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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
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ふれあい欲求No 4063
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    今年のツユにそろそろストレスを感じ始めてます。
    朝起きた時に太陽が燦々と輝いている夢を見てしまいました。
    と言う想像をしたい気分です。
    夢でも太陽が見てないのですから。

    梅雨の無い国で過ごしたいですが何処の国に行けば良いやら、しかし日本人である以上この国しか住むところが無さそうです。
    ですが今年はコロナ騒ぎで日本のいいところが全く消滅してしまいました。
    修学旅行もまだ実行している学校が少ないか無い様です。

    これからそのシーズンに入って多少の活気が出れば良いですがね。
    我々も旅の計画などの話も出ないくらいに旅を忘れてしまいました。
    旅の良さはいっぱいありますが何と言っても地元の方々とのふれあいではないかと思う。
    思い出に残るのは美しい景色も有りますが地元人との会話で何らかの影響を受けることです。

    海外に行っても言葉は通じませんが何となく外国人に接してふれあいを感じるものです。
    明治維新には多くのお偉いさんが欧州や米国に行きましたが殆どが話せない人ばかりでした。伊藤博文などは真似事をしたけど全くダメとか。
    しかし一年もパリに住んで毎日の様に出歩いていた川治利長などはパリ警察の全てを知ったと言います。

    そこには人と人のふれあいから相通じるものを得るのでしょう。
    そうなんですよ、ふれあいって一々説明するものじゃ無いし何となく分かり合える間柄かも。
    ですから家にいて家族とのふれあいだけに終始していた自粛は人を閉塞感に押し込めてしまいます。

    その反動かも、最近は家にいる事が辛くなり外に出ると夕方迄人とのふれあいを感じ取ってます。
    ふれあいは会話せねば成り立たないもんじゃなく、歩いている人を見ているだけでもふれあいを感じます。

    一方スマホでラインなどして意思疎通していると思っても結局はふれあいって無いし、意思疎通も出来てないと感じます。
    ソーシャルとはそうしたもんでしょう。
    ソーシャルデスタンスを社会的距離と訳して使ってますがこれはおかしな表現です。

    昔我々の若い頃はソーシャルダンスが流行ってました。
    即ち社交ダンスです、社交即ち外で人と交じり合う事でふれあいです。
    ですからソーシャルデスタンスは人の交じり合いの間隔(距離は直訳)ですから、社交間隔と言えば自然ですし分かりやすいと思う。

    社会的な距離を2m保ちなさい!は日本語でしょうか?
    最近の日本は言葉選びに問題がありそうな気がします。
    誰にでもわかりやすくそしてニュアンスで感じ取れる様な表現が良いと思う。

    兎も角人の欲求の一番はふれあいだそうですから今日も外出をして世間にふれあってきます。
    一時の鬱憤を払い除ける為にも積極果敢に行動することです。
    園児たちは思い切り自分の行動に終始してます。
    その中は全てふれあいの連続です。
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