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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
多忙、暇は自分で決める事、元々は暇。
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    今日は最高の天気と言ってもいいでしょう、実に爽やかで清々しい気候です。

    若干ひんやりとする風ですが、活動するにはこの程度が一番です。

    昨日は風雨がひどく、湿度も高かったですから雲泥の差です。

     

    連休中ですから行楽地では多くの人が楽しんでいることでしょう。

    こうしたいい天気に恵まれればいいですが、昨日の様な天気では思い通りの行動も無理だったでしょう。

    女子プロゴルフも中断したようですから、見物している方々も残念だったでしょう。

     

    こうした中で連休をどうすごすか、ゆったりと休養に使うか、忙しく行動するか、全て自分で決めるものです。

    忙しい方が好きな人は兎も角じっとしていられない、逆にのんびりやさんは何の計画も立てない。

    性格と言うか生まれた環境によるのか、子供のころに方向が決まるんでしょうかね。

     

    多忙を好むと言うよりも、多忙にしているような気もします。

    そこまでしなくてもいいのに、他から見たら思う事もしばしばです。

    しかしその人は何かと忙(せわ)しなく行動しているんですね。

     

    メールなどを送ると、忙しくてメールも出来ないと言う返事が返って来ます。

    しかし本当にメールの時間も無いのでしょうかと疑問を持ちます。

    メールの文章を作るのに数分で出来る内容ですが、その時間が無いかと不思議になります。

     

    即ち、忙しいと思っている人は自分の事が中心で他人事はそれほど気にならないのかもしれません。

    気ばかり焦って!そんな印象を感じてしまいます。

    本来、人は暇からスタートしていると思うのです。

     

    暇なところに何を入れていくか、その事が個人によって違い、いっぱい入れるか、少な目にするかで、多忙・閑散が決まると思います。

    ですから暇が普通で、忙しいのが異常とも言えます。

    そう思うとのんびり過ごしている事って実は自然に近いのかもしれません、焦らずに過ごすことって良い事かとも思って来ました。

    | 滑稽 | 09:05 | - | - | - | - |
    動脈硬化の診断 モーニングエレクション
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      又かと言う思い、曇天になった。
      朝方は上空に少し青空が望めたが今は西の彼方に見えている。
      暑くなりそうだ。
      33度の気温に耐えるのだから辛い。

      公園の散歩も着替えを二着程持っていかないとぐちゃぐちゃになって気持ち悪い。
      でもこの時期、体力作りに汗を流すことは良い事だ。
      但しヤブ蚊に刺されて大変なのだ。
      先日蚊の忌避スプレーを買って来て付けたが効きそうだ。
      笑ってしまったが、腕や首筋等に付けて出たが顔(ほっぺた)を蚊にやられた。
      蚊も真剣勝負してるんだよ。

      モーニングエレクション即ち朝立ちである。
      これは男の象徴として起こる現象だ。
      だがこれが重要な要素を提示してると言う。
      ええ朝立ちなんて若い頃だけと言うとそうじゃなかったんだ。

      現在73歳でもちゃんと朝立ちと言うか、夜中にオシッコで起きた時にも立っている。
      その事が重要だと言っている。

      人の一番細い動脈がペニスに有るのだ。
      直径1.2ミリ程度だとか。
      ここが肝心なところで、動脈硬化の始まりはこの細い所から、即ち朝立ちが無くなると怖いことになる。

      そんなことだそうだからモーニングエレクションを蔑ろ(ないがしろ)に出来ない。
      いやはや重要なポイントがペニスに絡んでいたと言うから滑稽で有る。
      ペニスは生殖器だけでは無く健康バロメーターでもあったのだ。

      女性の性器は動脈硬化を知らせるかどうかは書いてなかった。
      どうなんだろうか?
      他の所で感知で来るのか?分からない。

      ついでにロコモティブシンドローム運動器症候群なる言葉も有るとか?
      調べて見たい。
      それと性行為と言うか性的な興奮は何歳になっても必要だとも言う。

      ホルモンの分泌が大事なんだろう。
      因みに男性ホルモンはテストステロンと言うそうだ。
      確かにホルモン剤を使うと老人の髪の毛が黒々となる事を見た事がある。
      ともあれ人は興奮する生き物であったのだ。
      | 滑稽 | 08:55 | - | - | - | - |
      汚い 美意識の欠如 経済発掘
      0
        今朝も湿度が高く不快感が残る。
        蝉は平気の様でミンミンミンと大声で鳴きわめいている。
        鳥の声よりも高音域を維持出来るのは凄い。

        さて、そんな夏模様で有るが着ているものは年中同じもの。
        何でしょうか?
        答えはジーンズです。
        ここの地域性が有るのかどうかと分かりませんが多くの女性はジーンズです。

        9割がたジーンズではと思わせるぐらいです。
        夏はスカートで爽やかさを感じさせる、これが季節的と言うもの。
        しかし季節感の無いジーンズ姿はどう言っても頂けない。

        ジーンズのいやらしさ汚さに閉口している。
        実に美的感覚に乏しいのがジーンズである。
        時には本当に汚い感じさえ有るのだ。
        何故女性は美的感覚を喪失したのか不思議でならない。
        その理由が経済的な事だとしたら日本は貧困国で有る。

        確かに日本は経済大国だと言うがそれは間違いで有る。
        100円ショップが繁盛し安い食い物屋が多く競争している。
        ちょっと高いものは敬遠されてしまう。

        デパートの売り上げがどんどん下がっている現象は貧乏へと向かっているとしか言いようが無い。
        昔はお金が余分に入ると先ずはデパートで買い物をする。
        これがステータスであった。

        現代はお金を使わずに溜め込む事に意識が回っている。
        だから着るものはジーンズ一本で良いわけだ。
        多分だよ、ジーンズを五本も有れば年間を通じて余裕で有ろう。

        しかしスカートとなると夏だけでも最低10着は必要、いやそれ以上に必要だ。
        この違い即ちお金を使う金額が段違いで有るのだ。
        汚くても良い、ジーンズしか買えないと言う事なのか?
        いやそうじゃ無いだろう、お金を使いたく無いだけで有ろう。

        世間(男性)の目が汚いよと言っているのに平気なのだ。

        実に美的感覚などとっくに無くしてしまっているから平気のへいっちゃらなのだ。
        昔はペイズリー柄のスカートが流行りに流行った。
        誰もがペイズリーであった。

        実に可笑しかったがでも男性は楽しかった。
        美しくも有った。
        興味も有った、柄と色とが決めてであった様に思う。
        もしスカートが復活したら女性のアパレル界はものすごく売れるだろうし景気も良くなるだろう。

        この仕掛けを早くする事で景気回復に繋がること間違いなしだ。
        ジーンズは汚いからスカートにと言うメディアが流言すればズゴイ事になる。
        理由はスカートを持っている人が少ない事だ。
        スカートを新たに買わねばならないからだ。
        日本は貧乏でも無いだろうと思っている。
        だから買い物をさせる動機付けが有ればお金を使うのだ。
        スマホは高いが平気で子供達にも持たせる世の中である。

        動機付けは汚いのフレーズを流行らせる事から始めると良い。
        | 滑稽 | 10:37 | - | - | - | - |
        失言の致命傷
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          寒いです。
          13度の気温は冬なら暖かいなあと感じるはず、今の時期では寒いと、季節の中の気温はデリケートです。
          確かに半袖シャツ一枚ですから寒いと感じるのも当たり前ですか?
          最後の花粉症が来ている様です。
          連休に入れば終局となるはずです。

          失言で大事な大臣の椅子を逃す人が結構います。
          やっと大臣の順番が来て、威張れる状態が来たと言うのに本人は残念でならないでしょう。
          公の場で言う言葉じゃ無いのです。

          世間知らずの人が大臣になるとこうした発言をするもんです。
          苦労人なら絶対に口に出ない言葉です。
          今の政界人は苦労して選挙に勝った訳じゃなく、勉強も机上だけで現場知らずです。
          庶民感覚も無ければ常識だって違った見方をしてます。
          住む世界が違えば考えも違います。

          しかし政治を扱う人は庶民が対象で庶民感覚が大事なんです。
          この先の都議選では多くの新人が都民ファーストから出てくるでしょう。
          いずれも庶民です。
          政界に入って、驚きの感覚を味わうのでは無いかと思います。
          しかし新鮮さもあっという間に政界感覚に汚染されて、議会だけの議員になってしまうでしょう。

          議会中心で物事を考える、現場の庶民は置き去りにされてしまうのです。
          せっかく新人に投票し、期待した効果も時間と共に希薄になって行きます。
          この傾向を変える人が現れるでしょうか?
          選ばれたと言う感覚は無く、勝ったと言う事だけが強く残り、選んだ人などに感謝等の気持ちは有りません。
          バンザイが象徴している通り、自分だけが上段に登ったと言わんばかりです。
          そうなれば上からの視線でしか有りません。
          東北で良かったと、自分達の政治の場が守られたからと、復興などに精力を注がなくてもいいと。
          誰が考えても常識じゃ無いです。

          しかし政界ではまかり通るほど堕落した考えがあるものです。
          擁護する幹事長もいれば、議員のパーティーに4000人もの支援者が集まるのも異常です。
          こうなれば、庶民の一票などどこ吹く風です。
          1票の格差なども問題視している議員は一人もいないでしょう。
          選挙違反してまでも「勝つ」それだけです。
          法律を作る、これが議員の仕事です。
          その法律の裏側を利用するのが議員だったら、一体この世は良くなるでしょうか?
          大臣の椅子は異常な地位だと議員は思っているからこそ待っているのです。
          来た〜と思いきや辞表を出さねばならない羽目に、もう一度普通の庶民になる事です。きっと目が覚めます。
          | 滑稽 | 08:23 | comments(0) | - | - | - |
          全体と部分のアンバランス
          0
            今日も雨のスタートになりました。
            昼過ぎには雨も止む様ですが濡れた芝生の上にビニールシート敷いての花見は若干辛い所が有ります。
            それでも最後の花見になるでしょうから今から用意している人も多いでしょう?
            桜も咲いて見るとあちらにもこちらにもと発見します。
            どうやらここの公園には千本ぐらい有るかも知れません?

            桜の花にだけ目が行きがちですが、他にもたくさんの花が咲いています。
            菜の花は美しい黄色の花をつけて風になびいています。
            独特の香が周りに芳香して思わず立ち止まります。

            三色スミレは小さいながら精一杯美を表現してます。
            チューリップも堂々と自分が最高とばかり花群の中で威張っています。
            他にもたくさん花を咲かせて見てくれと言わんばかりです。
            ちょっと驚いたのはさつきが咲いているのです。確かにさつきですよ。

            気の早いと言うか狂ったと言うか?まだ出番では無いはず、と思わせます。
            又木々にも葉が出始めイチョウなどはちっちゃなちっちゃな葉が生まれてます。
            それもあっという間に緑の木に変わるんですね。
            公園内の動きが手に取るように四季を気づかせてくれます。
            公園の全体が部分の積み重ねでバランス良く構成されているのです。

            しかし、人の世は全体のバランスがいつも正常とは行きません。
            殆どがバランスを崩した状態になってます。
            人間はバランスを維持する事が下手なのかどうか?
            アンバランスの方が居心地がいいのかと思える事だらけです。

            全体を見る目が無いからかも知れません。
            木を見て森を見ずの例えがある様に、部分の追求は熱心でも、全体が見えてこないのです。
            百条委員会でも追求はしてもそのこと自体がどう言うものかの全体像が分かりません。

            バラバラ状態を上手に組み立てて全体像を作る事が下手です。
            部分は大事なものです。
            しかし部分だけでは物が出来上がりません。
            物作りと言う工程を無視して、部品をいくら磨いてもそれは効果的では無いです。

            全体と言う概念を説明する事で分かりやすい説得になります。
            多くの問題が生まれて原因を探ることは必要ですが、全体を忘れて貰っては困ります。
            どうなるのか百条委員会の結論は都民としては気になるものです。
            汚い部分だけを見ないで、美しい部分もある事を見つけて欲しい気がします。
            | 滑稽 | 08:49 | comments(0) | - | - | - |
            疑惑、世間では好きなカテゴリー(範疇)ですかね。
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              今朝も素晴らしい天候、しかし日中はとなると、30度までうなぎ登り、今のうちに買い物を済ませたい気分です。
              まだスーパーの開店まで時間が有りますから、結局暑い中買い物となりますか。
              それにしても、雨が無いから若干乾燥気味でしょうか、鼻の中が乾いている風な気がします。

              犬は常に鼻の頭が濡れていないといけないようです、乾燥状態は病気でしょうかね、この暑さで乾燥しちゃったら大変です。
              それはともかく、疑惑の多いこと、多いこと、なんでしょうね。
              JOCオリンピック関連でも何億円の使途が疑惑の中です。

              疑惑とは嘘が混じっているから起きるのではないかと、正直になれば疑惑は起きないのに。
              「正直者が馬鹿を見る」の諺を信じているのが疑惑を醸し出す人の心理でしょうか。
              しかし、正直ほど楽な気分・気持ちはないです。

              嘘をつけば、その後どうにも心がスッキリとしません、「嘘も方便」ですが、それでも気になります。
              ですが、嘘が多いんですね、疑惑がこれほど多いのですから。
              疑惑が無くなると、世間話が無くなって面白みのない殺風景な世になるのでしょうか。

              言葉のあや、といいますか、言葉とは曖昧です、話したことを簡単に覆(くつがえ)すことも出来ます。
              簡単に変化することが出来る、これが疑惑を招く元凶でしょう。
              文章ならば、後々まで残り、見分することも出来ますから、そう簡単に嘘も書けません。

              言葉遊びの範疇ならいいのですが、公式の場にいる人々が言葉を泳がせて遊んではいけないと思います。
              舛添知事も頭が良いせいか、遊んでいます、真剣に正直になろうとする意志が見えません。
              立場は公式なもの、しかし公私混同が入り込むことを楽しんでいるかに見えます。

              第三者を立てて、疑惑を解明する、これが流行りになっています。
              しかし、当人(当事者・関係者)が正直になれば、簡単に解決することですし、時間も労力も必要ないのです。
              時間稼ぎなどと非難されることもなく、疑惑を長く持続することも無くなります。

              疑惑の状態が好きなんでしょうかね。
              疑惑の中にいる方が世間から注目されていると勘違いしているのかどうか。
              この世に無くならない疑惑、それをメディアは追いかけて、想定の記事を書き、読者に読ませる、この繰り返しが永遠と続いています。

              これが人間らしさと言うもんでしょうか。
              大昔はどうだったんでしょう、権力者は疑惑など感じさせない、力で圧倒していたのでしょうか。
              疑惑を持つこと自体出来なかったのでしょうか、悪代官への疑惑は有ったはず、しかし取り締まる術を持っていなかった。

              ともかく、疑惑を解明する、このことだけで多くの時間と労力、経費が無駄に使われています。
              無駄の多い疑惑、正直になれない人の行為、この業(仕業)は永遠なんでしょうかね。
              人間らしい、その一言、神はどう見ているのか???
              | 滑稽 | 09:07 | comments(0) | - | - | - |
              デジタル時代、しかしアナログが頼り。
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                路傍のさつきは既に花が落ちてしまって、やや汚くなってきてます。
                美しく咲いているうちは見事と思いますが、終わってしまうと急にみすぼらしい姿に変わってしまいます。
                誰も面倒を見てくれないために、汚さが強調されてしまって、可愛そうな気がします。

                それにしても、さつきがこの時期で終わるなんて、さつき(五月)の名前を返上せねばなりませんかね。
                次に来るのがアジサイ、これは梅雨の時期が似合います、雨に濡れた大輪の真っ青なアジサイは素敵です。
                しかしこの乾燥した時期に咲いたら、色気が無いでしょう、艶消しです。

                何にしても頃合い、時期が大切です、丁度いい、ふろの湯も何でもそうなんですよ。
                でもこの程度・バランスが中々思い通りにならない、この世の常です。
                どこか平衡感覚を失って、右に傾き、左に曲がって、もう真っすぐに歩行困難が日ごろのこと、世の中は至って難しいもんです。

                デジタルの言葉はいつごろから一般的に使われだしたんでしょうかね。
                我々はアナログ人ですから、デジタルは新しい感覚として覚えたものです。
                しかし現代人はデジタル人で、アナログをバカにしてしまう傾向があるように感じています。

                時計が未だにアナログの針式を使っていますが、さすがにゼンマイでは有りません、ゼンマイ式など手に入りませんね。
                しかし、デジタルとはいっても、実はほんの僅かであって、実際の行為・行動はアナログではないかと思うのです。
                パソコンだって、入力する行為はキーボードをたたくわけでこれがデジタルとは思えません。

                もしデジタル化にするとすれば、音声入力でしょうかね。
                或いは、何らかの信号を送れば、意思が通じる意思疎通ができる、となれば別ですが。
                殆どが今までのことと同じことをして、一部デジタルに頼っている程度ではないかと。

                料理などデジタルの部分は少ないか無いかです、多少タイマーで自動化された部分は有りますが、無くたって支障は有りません。
                結局、デジタルと言う言葉は部分的なものを強調して、大げさにデジタル化と呼んでいると思えます。
                それにしても、昔の人々は偉かったんですね。

                今使っているもの、それは昔に開発されたものばかりです。
                現代・近年になってから家庭で新たに導入されたものは、先ずはインフラでは都市ガスでしょうか、家電では冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、娯楽のテレビ、後にゲーム機、等々でしょうか。

                生活に必要な布団、机、いす、茶箪笥、箪笥、本箱等々はもう古くから使われています、そしてその代替製品は現れません。
                必要なものを昔から使っている、そうなんですね。
                全てがデジタル化などと言いはやされていますが、現実は旧来通りの生活様式です。

                アナログがあたかも悪いイメージですが、なんのその逆にいいことばかりです。
                現代はオールデジタル社会などと言う人がいたら、馬鹿げた考えです。
                スマホも検索の作業は結局人の手で行います、機械はデジタルでも操作はアナログです。

                と言うわけで、アナログ人が肩身の狭い思いをすることはない、そんな気分で生きています。
                日々の一部始終がアナログだっていいじゃないかとね。
                昔はそれでも生きていられたのですから。
                | 滑稽 | 09:59 | comments(0) | - | - | - |
                見苦しい年よりの我の強がり。
                0
                  エルニーニョか温暖化よるものかわかりませんが気温は高めです。
                  今朝もAM6時、10度を超えていました。
                  12月の半ば、今時分は5度前後でいいのではと思うのですがね。
                   
                  年末になってもいろんな問題がでるもんです。
                  セーラーの前社長が解任されて不満を訴訟に持って行ったようです。
                  何と73歳だそうです。
                   
                  大蔵省出身とか、エリート中のエリートなんでしょうが、お年を考えて、と言いたいですね。
                  セーラーは我々の若い時分は万年筆でなじみが有ったのです。
                  実は二流品として見てましたがね、でも有名な会社でした。
                   
                  その後はほとんど聞いたことが有りませんでしたが、こうして不祥事で名前が出てくるとは思いもよりませんでした。
                  事実、今この会社が残っていたとはつゆ知らずでした。
                   
                  それはともかく、73歳まで会社の社長、即ちトップで仕事に励む、凄いなと思いますが、野次馬的に言えば、もう引退して若者へバトンタッチすべきだと、そんな印象です。
                   
                  会社は社長のものではない、社員のものだと、東芝の例が物語っています。
                  しかしその場に座ると、人は人としても感覚が失われるのかどうか、見苦しい、としか映りません。
                   
                  解任されたら、ごめんなさい、至らなかったね、後を頼みますよ、程度の言葉が出ないですかね。
                  それが人としての行動・言動ではないかと、そう思うのです。
                   
                  エリートは以前にも書きましたが、小学校から塾通い、大学も優秀な大学へ、そして超エリートの大蔵省へ、順風が追い風になって、苦労などなし、世間知らずの裸の王様になってしまった。
                   
                  そして過去にないほどの悔しい屈辱の解任劇に直面し、人間らしさを出せないでもがいている姿、なんとも哀れさを感じます。
                  我々と同じ世代(二つ上ですがね)ですから、特にそう感じます。
                  何も威張ることもなく、年金で生活していればいいじゃないかとね。
                  活発に行動する残りの日々はそう多くは無いのですからね。
                   
                  いや、老人の域に達しているのですから、後進に席を譲る、老人の仕事です。
                  馬鹿な、おりこうさんだったエリートが最後に馬鹿な真似をする、結局おバカさんだったんでしょうかね。
                   
                  バカボンの方がよっぽど人らしいです。
                  こうしたエリートが日本の会社にうんざりするほどいるのでしょうかね。
                  大企業のトップはエリートじゃなくてはならない、即ち昔の貴族(男爵や公爵やらなんやら)がなるものであると。
                   
                  どうやら、そうした風習は明治、いやもっと前に、歴史が戻っているのかも知れません。
                  歴史は繰り返される、その諺が現実になってきた、そのような噺(はなし)、落語を聞かされている錯覚?
                  惨(みじ)めな老人の姿、哀れで見ていられない、ふくよかな年よりの笑顔が素敵なんですがね。
                   
                  顔面皴(しわ)いっぱいに。
                  | 滑稽 | 09:56 | comments(0) | - | - | - |
                  連休、今日は何の日か分からない。
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                    五月晴れが続き、何となくぼんやりとしています。
                    気候が良くなると刺激から開放されたような、ふやけた感じがします。
                    緊張感が薄れたような、呆然としてしまいます。

                    連休が来ていますが、今日は何の日で休みなのか気にしなくなってしまいました。
                    5月3日は憲法記念日です。
                    しかし憲法と言うことになると全く自分に関係が薄いか、無いかの気分です。

                    ですからこの日に何をするかなど考えに無くただ休日を楽しむ程度です。
                    今は休日の中日(なかび)は休日になり、連休が出来やすくなっています。
                    しかし我々の時代は石飛(いしとび)連休と言う言葉を使いました。

                    今日は休み、そして明日は出社、その次は休み、そんなことですから落ち着かない休日でした。
                    丁度3日が土曜日、4日が日曜日、5日が月曜日となると、3連休になります。
                    この時ほど嬉しいことは有りませんでした。

                    そうした時代が有ったなど現代人は知らないし、不思議だと思うでしょうね。
                    時代とはどんどん変化します、そして結果が良い方向に向かっています。
                    昔のことなど話す人もいないし、知らないで過ごしています。

                    ですが、過去の歴史の上に現在が有ります。
                    憲法記念日、憲法が制定されたことを記念している訳で、日本に憲法が出来て日本人が保障された訳ですから、とても重要な事です。
                    しかし憲法制定の歴史を知っているかどうか、どのようにして憲法が出来たのか、誰が作ったのか、国民が納得したのか、国会でどのような審議がなされたのか、いろんなことを知らないで過ごしています。

                    ただ連休で遊びたい、買い物をしたい、遠出をしたい、海外に行きたい、もう憲法であろうが、子供の日であろうが、お構いなしです。
                    我々の子供の頃は国旗・日の丸を掲(かか)げたものです。
                    しかし我々が大人になってからは、国旗を家に備えていませんでした。

                    今でも国旗を持っていません、少なくとも今日のこの日は国旗を飾ってみたい気がします。
                    国旗を買って来ましょう、そしてこれからの記念日(祝日)に国旗掲揚をしたいですね。
                    日の丸は単純でとても美しいと感じています。

                    オリンピックで日の丸が上がっても、未来の子供たちが「どこの国旗か分からない」とならないためにも、国旗を掲揚して子供たちに教えたいですね。
                    記念日(祝日)、休みの前に、何の日か、しっかりと認識して置きたい気がします。
                    | 滑稽 | 09:15 | comments(0) | - | - | - |