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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
スタンス(立場)の相違
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    若干雲が多いですが初夏の清々しさを満喫出来ます。
    タンポポが地面にくっついて咲いている様子は可憐な愛情を醸します。
    この公園ではカントウタンポポと言う種が群生してます。
    どうやらタンポポも西洋かぶれした様で、カントウタンポポの群生はここだけだと言います。

    しっかりと生き延びてます。
    植物の世界も弱肉強食で外国種に席巻されてます。
    タンポポの種は風に飛ばされて繁殖しますが、ドンドン増えている様子が感じません。
    一定の枠内に有るだけです。しかし枠が作られているだけでも保護出来そうです。

    タンポポもそうしたスタンスで生き延びています。
    人は個々人全てがスタンスのちがいを感じているでしょう。
    立場の違いが個人の意見に現れます。
    同じ立場に有っても考えに違いが出ます。
    十人十色と言う表現は凄い言い切った内容です。
    結局人は自分以外に同じ立場を認識出来ないのかも知れません。
    テニスを教えて貰うにしても上手くならないのもスタンスの違いから発生しているのでしょうか?
    教育の難しさもこの辺から来ている様に思えます。
    兎も角、人の世皆スタンスが違います。
    お互いに違いを理解して生きて行かねばならない運命共同体です。
    そう共同体ですから、争いは愚の骨頂です。
    | 一つの考え | 07:29 | comments(0) | - | - | - |
    10年の時
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      今朝はすっきとした気分です。
      久しぶりに晴天になった気がします。
      公園に行って、運動したい気持ちです。
      眼下の小学校校庭では野球の練習を早々から元気に行っています。

      あの様な時代が有ったんです。
      そう、時間は過ぎて過去が積み重さなっていきます。
      十年一昔とも言いますが、今校庭で練習をしている子供達の10年後はどんな姿でしょうかね。

      もう社会人になっています。
      そんな想像もせずに練習に励んでいるのです。
      人はその時点だけに生きるものでしょう。
      未来を見据えて、これは中々出来ません。

      こうして老人組に入っていると10年後など考える余地は有りません。
      日々が楽しければよれで良しです。
      10年前を考えてみますとサラリーマン生活にピリオドを付けた時期かと思います。
      その後の10年は何か商売したいと思って会社を作り営業を始めましたが、8年で頓挫しました。

      この10年間は自分の意思で行動出来た唯一の時間だったかも知れません。
      サラリーマン時代は組織の一員でしか無く、自分を見失う事も多々有りました。
      時流に流されていた為、10年の区切りが無かった様に感じます。
      そんなこんなで今後の10年はどんな生き方になるのか?記録する事も良いかとも。
      10年を過ごしてしまえば短いと思うし、これからの10年は凄く長い気がします。
      同じ10年なのに。
      10年、3650日も有るんですね。
      何か思うことができる様な気がするんですが、日々の生活は惰性の中に埋没してます。
      公園のモグラの様に光を避けて仕舞っていると。
      輝かせたい気分は充分に持っているのですが、頭の中で眠ってしまいます。
      | 一つの考え | 08:54 | comments(0) | - | - | - |
      多少の寸法変化、大きな余裕に変身かも
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        台風が近づいて来ているようで、影響があるか心配しています。

        今のところは静寂ですが、風雨が来るのでしょうか、気圧はそれほど低くないので中型以下かも知れません。

        雨が欲しいところ、ここんとこ全く降ってないですから、野菜などどうなっているんでしょうかね。

         

        プランターの花は毎朝水を与えていますから、水不足はないでしょう。

        元気に花を咲かせています、桔梗が5個も開きました。

        水の有るところにしか生き物の存在が無い、そう言う実感です。

         

        毎日買い物にスーパーまで足を運ぶのですが、太陽が南に傾いたせいか、影が出来てきて、長くなっています。

        多少楽になったかなと、下駄の音を立てながらリュックを背負って、通っています。

        そんな中で、何気なく感じたことが有ります。

         

        いつもの通り、いつもの野菜や魚や肉やら何やらかんや、買い物かごに入れてレジへ、この作業が日々です。

        そこで気づくことが無かったことに気づきが有りました。

        ポイント5倍デーと言う日が土日と水曜日に有ります。

         

        この日は朝から結構お客さんが多いんです。

        ポイント5倍とは言っても、お金に換算したら大した数字では有りません、200円で1円が5円になるだけです。

        しかし客の心理は儲かったと思うのです。

         

        計算してみると、例えば毎日2000円の買い物、ポイントは10円、これが50円になるだけです。

        この50円が大きいか小さいか、判断しにくいところです。

        そのポイントの事じゃなくて、この日は混むことが問題です。

         

        最近はカゴを載せるカートを使う人が多いですから、買い物通路がカートでいっぱいになるんです。

        思うように行動できないことも多々あります。

        そんなときに、感じたのが陳列している棚です。

         

        陳列棚はどこでも同じような形状です。

        製作しているメーカーがそれほど多くは無いのかも知れません。

        店のスペースで、通路を広くしたくても、陳列棚によって限界が生まれます。

         

        そこで気づいたのは、現在の陳列棚の奥行を変えることを進めたいのです。

        同じ商品を目いっぱい陳列するのがスーパーのやり方ですから、奥行いっぱいに並べます。

        大よそ、毎日商品補給をしているのでしょうから、その日に売れないものもいっぱい有るのです。

         

        コショウなどの調味料などは相当持ちますがそのコーナーにはいつも満タンに並べられています。

        この奥行を狭くさせれば、通路が広くなること当たり前です。

        全体を眺めれば、今の陳列棚の奥行の変更でぶつかっていたカートが楽に動けるようになります。

         

        又、陳列している商品を買うとき普通は賞味期限を見て買います、奥の方に有るものが新しいのですから、それを狙います。

        ここでも、奥行を狭くしておけば商品をぐじゃぐじゃにしないでも済む訳です。

        見ていると、もう商品を商品と見てない、ぐじゃぐじゃになっても平気な客が多いんです。

         

        この陳列棚の変化がいつ現れるのか、だれが変化させるのか、見守りたいです。

        コンビニも同様に所狭しです、小型の陳列棚ですが、それでも通路は狭いです。

        陳列商品が過剰なんです、売れ筋は多くてもいいですが、売れていないものが圧倒的に多いと思いますよ。

         

        もし自分の店が有って、自分流の商品陳列をするのであれば、客の通路確保を第一優先したいですね。

        地震などの災害時に店中に商品が散乱している画像を良く見ます。

        そのときに通路が狭い、そこに気付きます。

         

        多少の余裕が欲しいスーパーの通路、改善することでお客さんに別の意味での満足を与えます。

        広くなった通路で買い物が出来る日を待ちます。

        | 一つの考え | 09:47 | comments(0) | - | - | - |
        体育の日、老人にも運動会を、区で計画ないかね。
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          あいにくの雨、曇り空、外の運動には最悪の状態です。
          秋のスポーツに励もうと言う気分ですが、天候がね。
           
          健康診断の時に質問票があり、毎日1時間の運動をしていますが。
          それに対する回答が「はい」で答えられる老人はどれほどいることか。
          1時間、中々長い時間です。
           
          運動とは、歩くだけでも良いのか、それとも体全体を動かす、テニスとかになるのか。
          運動と言う範囲はどこまでか、いつも気がかりです。
          これでいいのか、という疑問を持ちながら運動しています。
           
          それでも気を付けて体を動かしています。
          そんなこんなで毎日を過ごしているのですが、老人も運動会などの行事が有るといいかな、そんな思いです。
          確か、区の議員の中に、運動推進する役職があったはず、実は同級生が区議をしていたときに、そんな役柄だったと記憶しています。
          そこで、若者対象は普通ですが、老人も今はパワーを持っている方々が多いです。

          一年に1回ほど、競争という場が有ってもいいかなと。
          老人の運動会、いいじゃ有りませんか。
          どこかの自治体で初めて欲しいものです。

          話題になれば、広がると思いますよ。
          体育の日、老人運動会、いいですね。
          参加しますよ、かけっこだって、綱引きだって、体操だって、何でもやりますよ。

          日ごろ、若干身体をもてあそんでいますからね。
          そんな夢でも見ながら、昼寝でしょうか???
          | 一つの考え | 09:25 | comments(0) | - | - | - |
          自分と他人、どこに判断基準が?
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            天候は良いのですが、なんとなく冷えを感じます。
            南風から北風に変わったんでしょうか。
            ひんやりします。

            せっかく暖かさを感じていたのに、水を差すようなことです。
            順調にならない天候も困りものです。

            さて、自分のしていることに突如解析してみたくなりました。
            何がって、それが良く分からいのですが、こんな風に思ったりしています。

            即ち自分の行いはどんなものかと、例えば朝飯を食べますが、そのことです。
            朝飯を作って食べる、これは自分のものですが、もし他人が作ってくれたものを食べる、これは自分のものと言うより他人へ依頼したものだと。
            テレビを見る、これは自分がそうしているように思いますが、実は他人からの提供であった、自分のものでは無い気がします。

            どんなものが自分のものか、やはり作る(造る)ものじゃないかと、料理でも、ブログを書くでも、工作するでも、絵をかくでも、いろんなものが有ります。
            小説を読む、音楽を聴く、等々は他人からのものであると。

            結局、自分の時間と思っている日々の生活、実は他人からの提供されたもので有ったと気づきます。
            毎日の過ごし方パターンはそれほど大きな違いは無いでしょう、その中身を解析してみたら、ほとんどが他人任せだったりします。
            折角の自分、自分時間を多く持ちたいものだと、そんな気がしたんです。

            ですから、料理をし、ブログを書き、掃除をし、壊れたものを直す、などなどなんでもいいですから、自分の作る時間を多く持ちたいなあと思っています。
            ゲームだとか、テレビだとか、ラジオだとか、インターネット情報だとか、最低限にして自分の作る時間を有効に持ちたいと、何か分かりませんが他人への依頼心を少なくしたい気がしています。

            子供がゲームに時間を割いている現状、自分を見失うのではと心配になります。
            我々は子供の頃は自分たちで遊びの道具などを作ったりしました。
            遊びも自分たちで工夫をしたもんです、もちろん引き継がれた遊びが多いのですが、そこにひと工夫をすることもありました。

            現代はそうした自分の存在を意識せずに過ごしているような気がして、今日は変なブログになりましたが、これ(ブログを書いていること)が自分を表現しているんだと、実感しています。
            まだまだ自分らしいものを持ちたいと、そんなところに気づきました。
            | 一つの考え | 09:13 | comments(0) | - | - | - |