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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
大げさな動き意識的に
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    今日は若干の雲がたなびいている。

    やはり太陽が雲に隠れていると暖かさが違う。

    今後雲は切れそうなのでいつもの温かさになると思う。

     

    いつも思うのだが年齢に沿ったものの考えになるものだと気づく。

    老人と思ってないのだが考えは老人らしくなっている。

    これはそれなりの自然体かも知れない。

     

    そこで思うのは行動・動きである。

    年を取ると見ても分かることだが動きが鈍くなっている。

    歩く時もゆっくりだし足が上がっていないのだ。

     

    歩くときに躓(つまづ)くのは足の爪先が上がってないからだと言う。

    普通は10冂度上がるそうだがもし5冂度しか上がらなかったらちょっとした突起物が有ったらそれにぶつかってしまう。

    即ち躓くのだ。

     

    運動神経がまだ衰えなければ体勢を立て直す事が出来るが出来なければ転んでしまう。

    ので老人はこの点を十分に注意せねばならない。

    対策は意識を使うことだと思う。

     

    大げさに動くことが良いと思う。

    外を歩くときは先ず大股にする、いつも歩道の横白線を目安に歩く結構大股にせねばならない。

    これが大股の基準にしている。

     

    大股にすると自然に爪先が上がる十分な位置まで来る。

    結果躓きが無くなる、時に段差が有るところで躓くのは不注意で有って老化現象とは関係が無い。

    兎も角意識的に大げさな動きがいいのだ。

     

    足だけではない手だって動きを大きくすれば全体の神経が使われる。

    手の動きは他の部位から見たら物凄く動いている。

    特に指先はじっとしている暇がないほど動いてる。

     

    実に酷使しているのでどうしたって損傷が出ると困るのである。

    四十肩から始まって10年ごとに肩が痛くなるがこれは非常に辛いのである。

    今は七十肩にしては少しずれているが右肩が痛いのだ。

     

    毎朝ストレッチしているが痛みは取れない、痛いのは慣れっこになっているから辛くも無い。

    ただ痛みが強い時もあるのでその時は困る。

    その内にけろっと治るのだが。

     

    老人は自分が老人だと誰も思わないで過ごしている、しかし行動・動きはどうしても傍から見れば老人の姿なのだ。

    その姿は動きの鈍さと言うか小さくなっているのだ、大胆に大きな動きに変えれば姿は変わる。

    意識的に動きを大げさにするこれがカッコいい老人の姿であろうと最近思うのだ。

     

    ハイカラさんの老人はいいものだ。

    | 意志の強弱 | 09:35 | - | - | - | - |
    愛情表現の難しさ
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      実に暖かい。
      新春の候とでも言えそうな穏やかさです。
      雲は南から流れています。

      気候の異常さはどんな理由でしょうかね。
      何か凶の前触れなのか?
      地震かそれとも噴火か自然の動きが気になるところです。

      ともあれこの陽気に大掃除でもしましょうかね。
      外の掃除は寒いと辛いですから、今のうちに終わらせたい気持ちです。

      愛情表現は中々難しいです。
      心に持っているものを単純に表現出来ないのが虚しいです。
      こうしてあげたいと思っても出来ない。
      そこの所を直して上げたいが上手く表現出来ない。
      どうしてなんでしょうか?

      簡単に行動、言動に移せばいいものを躊躇い(ためらい)が出てしまいます。
      この状態は愛情がまだ足りないのでしょうか?
      愛情とは一体何ですか?と質問されたら、正解を出す事が出来ないものです。
      心とは不思議な理屈では表現出来ないものです。
      とは言っても愛情なしでは生きられない。

      人の行動は愛情を別の所に置く事が出来ません。
      常に何らかの心の動きが有ります。
      一々言葉で言わなくても内面には必ず愛情が隠されています。

      難しい問題は結局解決されないまま来世紀に至るのでしょう。
      逆に嫌いと言うものも有りますが、これは比較的簡単に表現してます。
      嫌いには遠慮が必要ないもんです。

      好き嫌い!これしか無い人の関係単純なんですがね。
      先ずは隣人愛と言いますが、それが難しいと来ています。
      ざっくばらんな人間関係が有るといいですがね。

      ここで気づいたのは多分男と女が居るからだと、男同士、女同士ならば特別な愛情問題を論ずる必要が有りません。
      しかし男が女を女が男をとなれば、愛情と言う不確かな局面が現れます。
      そうか、不確定なもの
      それが愛情なんだ。
      有って無い様なものが愛情なんだと、蜃気楼の様ものかも知れません。

      愛情にこだわることも無いか?
      しかし愛情は大切、どうしたらスッキリするのかね。
      | 意志の強弱 | 09:19 | comments(0) | - | - | - |
      理解すること、それを実行に移すことが難題。
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        待ってました、その冷風・秋風を、今朝の風はまさにそのものです。
        今も依然として気持ちの良い自然のエアコンが効いています。

        窓を開放し、部屋の空気も一掃、換気が歓喜に置き換えられました。
        しかし気温は25度、27度とそれほどの差はなさそうですが、感触は全く違います。

        その辺の温度が微妙に人の身体に影響するのでしょうかね。
        しばらくはこの気持ちのいい気候が継続してくれることを祈りたいです。

        毎朝、言行録(宮城谷昌光著)を読んでいますが、中々理解し実行することが難しいです。
        先ず、理解する、これが分かったと思ってもその場限り、本から離れると頭脳の一部に残って無いのです。

        理解するには5回ほど繰り返して読む、それも声を出して読む、と忘れる度合いが減るそうです。
        これも中々実行出来ません。

        しかし今朝の文章の刺激にやられました。
          倹(けん)より奢(しゃ)に入るは易(やす)く
          奢より倹に入るは難(かた)し
        です。(倹は倹約、奢は奢侈と言うことのようです)

        難しい説明になりますが、このことから感じたのは上の文章は簡単に、普通にしてしまいます。
        しかし下の文章が難しい、実行するにはものすごい意識改革が必要です。

        奢侈(無駄遣いとでも言いましょうか)を一旦覚えると、そこからの脱出が出来ないのです。
        止めねばと思う気持ちは有るのですが、現実の日々の中で、実行に移す意識の強さが無いのです。

        変更・改革と言う言葉を実行する難しさ、しかし難しいと言う言葉が便利に使われて、諦めでは無いのですがやりきる力を持てないのです。
        どんしてなんだろうかと、そう思ったりしています。

        そうした気持ちをこの文章が説明してくれていて、なんとも刺激的でした。
        非常に良く理解できるのです、現実がそうなんですから、ピッタンコなんです。

        一度黒に染まれば、白にならないようなものでしょうか。
        それを人は意識で改変できるのだと、それは大変なものです。

        しかし染まらない人が居るのですから、抜け出すチャンスは必ず有るはずです。
        意志の強さを持たねばと、今朝はつくづくそう思いました。
        | 意志の強弱 | 08:57 | comments(0) | - | - | - |
        励み、意欲、やる気、外的要因に左右されます。
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          曇り空、北風、気温が上がりません。
          昨日の美しい夕日が嘘のような天候になりました。
          「夕やけ小やけ、明日天気なあれ」って願ったものです。

          そして翌日の朝に素晴らしい青空が、そんな子供の時代が有ったことを思い出します。
          しかし今日は願いが叶いませんでした。

          こんな時って多少滅入ってしまって、奮闘する気分が薄れてしまいます。
          気分は外的要因が大きいですね。
          ちょっと他人から褒められでもしたら、もうその時点で気分が上昇ムードに変わりますからね。

          単純と言えば単純ですが、気分とはそうしたものです。
          逆に文句の一つ言われれば、気分は落ち込み、面白くなく、行動がめちゃめちゃになることも有ります。
          それほどに気分と言う代物は薄氷のようなものなんですかね。

          どこに気分と言うものが有るんでしょうか。
          脳の働きと違う場所に有るような、心即ち心臓?まさかね。
          しかしお腹にも脳が有るような話を聞いたことが有りますから、神経は必ずしも脳だけでは無いのかも知れません。

          それは兎も角、やるきを起こす、この事が大事な問題です。
          何が何でもやる気の意欲を駆り立てねばなりません。
          それが日々の努力で補うことになるでしょう。

          しかしその努力が時によっては裏面に出ることも有り、面倒なことです。
          ネパールの震災でいろんな情報が入って来ますが、やる気を出して頑張っている人々がたくさんいます。
          それは遺族(家族の犠牲者)からの励ましを感じたり、自分で奮い立たせたり、大変な状況下で努力されています。

          自分と言う存在、そのことに気づき、自分と言うものがどんな位置にいるのか、知るだけでやる気が出るような気がします。
          自分を忘れない、この一言だろうと、そんな気がしています。
          自分から奮い立ってやる気を励ます、そう出来れば日々が有意義に、活発に過ごせるかなと思っています。
          | 意志の強弱 | 08:52 | comments(0) | - | - | - |
          気分次第は常の事です。
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            春の天気、陽春が戻って来ましたので、朝からもう動きがスムーズで活発になっています。
            朝食を作り、弁当を用意して家族のお出かけに間に合わせ、買い物へ、掃除をと一通りの仕事をこなして、やっと机に座りました。

            気分がそうした行動を駆り立てます。
            気温も適度に、湿度も丁度良く、薄日がほのかな暖かみを、そんな時の気分は最高です。
            気温18度が最適といいますが、今日はその最適条件です。

            気分、常にこのことは纏(まと)わりついています。
            何でも気分次第です。
            気分の乗っかっているときはどんどん自分の方針に惑いが無く進められます。

            その結果は非常にいいものになります。
            気分とはどこから来るんでしょうかね。
            頭脳のどの部分から発するのか、ともかく運動神経も音感も感情もなんでも良いようになります。

            一方、反対も多々あります。
            と言うか、気分がすぐれない、この方が多いかも知れません。
            ですから、気分がいい時は爽快に感じるし、病人などは顔色がとてもいいことで分かります。

            その点、子供、特に赤ちゃんは頭脳の発達がまだですから、気分に左右されることが無いんでしょうかね。
            しかし「むずる」(これは方言でしょうかね)時は気分が良くないのでしょうか、それとも別の要因なのでしょうか。
            気分は天性からの授かりものかも知れません。

            いずれにしても、気分次第で事に当たっていることは確かでしょう。
            では気分をいい方向に導く、この法則を身に着けていれば、いつでも気分爽快となるはずです。
            しかしそう簡単な法則など無いですから、常にどっちかに傾いて生きているんでしょう。

            それが気分次第の法則なのかもね。
            毎日、刻一刻、気分次第で行動し、思考し、生きています。
            それが自然体ですから、「これでいいのだ」のバカボンの姿に同感します。
             
            | 意志の強弱 | 11:47 | comments(0) | - | - | - |
            靡(なび)く様(さま)は素直なことかも知れないが怖い気もする。
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              寒いは人だけが感じるものかも知れません。
              植物はこの時期寒くたって気にしていない、そんな現象を見せてくれます。
              坊主になった枝にどんどん新芽がみるみる内に葉っぱの木になっています。

              凄いもんです、常緑樹でも新しい葉っぱは初々しい、ちょっと黄色味がかった葉を出しています。
              新緑の前のこの小さな葉っぱの子供たちは可愛いですね。
              銀杏などは小指程度の小さな葉っぱが生まれています、それが物凄く可愛いです。
              春は人の新入生のだけでなく、こうした植物にも新入生が有るんです。

              先日テレビだったか、体制になびくと言う話が有りました。
              なびく、従うとも言いますかね。
              風になびくから来た言葉で有るのでしょうか、自然体のような感じを受けます。

              しかし体制になびくとなりますと、何かを暗示するかのような意味合いも感じます。
              現代の体制とはどんなものか、曖昧のような気がしますが、それぞれの処には体制が存在しています。
              その体制に従うのが普通であろうかと思います、しかしそれでは何か問題が無いかどうかを検証できないのです。

              反論をする、これは何も悪い事では有りません、当然違った意見が有ります。
              しかし最近はなびくの傾向になっているような気がします。
              なびかねば、破門も有りえますし、罰則も有ります。
              とすれば、なびくと言う生き方の方がいいのかも知れません。

              なびかずに独自路線を走っているのが日本共産党かも知れませんね。
              有る弁護士さんから紹介されて、赤旗新聞(日曜版)を読んでいます。
              その中には元自民党とか元公明党とか、いろんな方々が現在の体制に疑問を持っていると書かれています。
              この新聞を読むまでは内容が物凄く偏ったものかと思っていました。

              しかし開かれた新聞のような気がしています。
              体制になびく、だけでは見えないものが有りますが、反論の論旨を考えると妥当性も感じられます。
              従順もあれば反論も有りでいいのではと、そんな気がしている最近です。
              放送に自由さが無いような記事も有りますが、重大な問題かも知れません。
              お国(政府)の方針になびく、そうしないと放送の許可を取り消される、死活問題に発展しかねる重要課題です。

              慎重にならざるを得ませんか、個人ではそこまで入り込めませんがね。
              | 意志の強弱 | 09:43 | comments(0) | - | - | - |