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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
過去の窮乏を知らなくても良いだろうか、上杉景勝時代の米沢藩
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    北陸北日本の雪はどうなっているでしょうか。

    豪雪に見舞われて大変な生活を強いられているでしょう。

    応援したい気持ちはやまやまですがどうする事も出来ません。

     

    これこそ自然に春を待つしかないかも知れない。

    それに比してここは毎日晴天に子供たちは早くも校庭で野球の練習に余念が有りません。

    雪国の子供たちはどんな遊びをしているのでしょうか、雪合戦も飽きているでしょうからね。

     

    最近藤沢周平の「漆の実のみのる国」を読み始めています、前にも読んでますが内容を覚えてないので新鮮な気持ちで向かってます。

    米沢藩上杉景勝が会津から移封されて来た時からの話です。

    徳川家康に歯向かって代償として減封されました。

     

    会津120万石から米沢30万石に落とされたわけです。

    5千人の人々を連れての移動ですからそれはそれは大変なものです。

    それに米沢は開拓も十分ではなく、人々の暮らしは貧窮そのものだったようです。

     

    上杉と言えば戦国時代謙信が越後で覇を欲しいままにした名門です。

    武田信玄との戦いは有名過ぎるほど、川中島の戦いがそうです。

    毎年春になると戦いを始め農作業が忙しくなると終戦することを繰り返したとか。

     

    それは別として家康から睨まれて貧乏くじを引いてしまった景勝の政治は大変なものだったでしょう。

    しかし所謂大名の上層部数名はなんとか普通の生活が出来たでしょうが残りの5千名はどんな生活か想像を絶する姿を目に浮かべます。

    小説の中でも土間に藁をまいてその上に茣蓙を敷いて居間にしたそうです。

     

    もちろん家は藁ぶき屋根です、修理をする経済的な余裕が無いために雨漏りは絶えず有ったと言うのです。

    これが老中とかの偉い人の生活です。

    では一般の人たちはどうしてたんでしょうか、自作農とかして家族分が生きられる程度の開墾はしたでしょうが家は多分にぼろ屋だろうし、着るものだって何を着ていたのか。

     

    米沢は雪国です、それも豪雪地帯です、雪と寒さで住む快適さなど有りません。

    その時代の人々、日本人の先祖ですよね、どれ程の苦労と言うか生きるか死ぬかの瀬戸際で日々を送っていたんです。

    そこで考えるのは現代の裕福な時代に窮乏していた日本人が存在していたと言う過去を知らないで良いのだろうかと言うことです。

     

    現代人は多くの不満などを抱えてそのはけ口を喫茶店などで大声で話しているのを聞くにつけ、何とまあ平和なことかと思ってしまいます。

    景勝の時代に戻ったら現代は天国以上の竜宮城かも知れません。

    現在が有るのは貧窮しても子孫を残してくれた親が居たからです。

     

    どんなに苦しくても子供をちゃんと生み落とし育て次の時代へとバトンを渡したんです。

    次も次も苦労は絶えません、貧窮は継続されました。

    しかし日本人は人は諦めずに子孫を繋いで来ました。

     

    そうです、そうした過去が日本に会ったことを歴史を教える教科書に書かれているのでしょうか。

    日本は裕福な国など無かったのです、何処へ行っても窮乏の生活が普通だったんです。

    多くの過去の人々は苦しい毎日を送り子孫だけを頼ったのです。

     

    武士の家計簿と言う映画が有りますが何回も見ました、その家計は窮乏でしたが、下級武士の姿の一部が見える様な気がします。

    実際にはもっともっと厳しい状態であったろうと思われますが体裁を考えて(格好を付けて)貧乏たらしく見せていません。

    現実の窮乏を追及して欲しかった、それは別にして兎も角明治がそこまで来ている時代でも武士でも農村でも苦しい生活の連続でした。

     

    現代の人々ほど裕福な生活を送っている時代は無かったんです。

    過去の人即ち先祖の生きていた姿を顧みる機会を持つ事が現代人に必要かと、何故ならば人の生き方を知らないからです。

    人生とは何か、大上段に構える必要は無く、ただ貧乏していた人たちが先祖だったんだと認識するだけで、自然にどう生きればいいのか分かって来るような気がするのです。

     

    よくぞ窮乏に耐えて子孫を残してくれた、と感謝の念でいっぱいです。

    先祖の耐乏に涙がこぼれます。

    | 熟慮 | 09:47 | - | - | - | - |
    晴れ着姿の文化は何処かに言ってしまった
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      木々の紅葉が公園全体に広がっている。

      ここは公園があちこちに有るので歩けば目に入って来る。

      部屋の中からも近くの公園の背の高いラクウショウが見事に色づいている。

       

      木々は一年に一度こうして正月衣装のような晴れ着を身に着けるのである。

      自然界も美しいと言う競争が有るのであろうか、それぞれ自分の特有な色を出している。

      こうして美の共演後にしばらく休養する春の芽吹きまで。

       

      しかし人はいつでも晴れ着を着ることも出来るしおしゃれもする。

      だがそうでもないかも知れない年中同じ衣装で過ごす輩も多い。

      結婚式などは衣装を競うが若い人だけで老人は全く蚊帳の外だ。

       

      一年に一度正月だけでもいいから晴れ着を着たいものだ。

      来年の正月とは言っても後1か月後だが晴れ着を着るようにしてみたい。

      でも晴れ着なるものが無いなあ着物を持ってないから。

       

      昔は「よそゆき」としての服を大事に箪笥にしまっておいたのだが今はそういった風習が無くなった。

      一つだけまだ着てないものがあるから今度の正月はそれを着ようと決めた。

      そうだよな正月だもの、我々子供のころの正月は特別なものだった。

       

      お正月の意味合いが現代と大分違っていた。

      お正月を迎えると言う準備心構えみたいなものが心の中に有ったんだよ。

      そうして大きな夢と言うものを持たねばと感じていたんだ。

       

      それが普通の日々と変わらなくなったのはいつごろからだろうか。

      自分たちが大人になって親たちから離れてしまったころからかも知れない。

      昔は大家族の生活スタイルだったが我々の時代から個別の家族になってしまって風習もみんな引き継がなくなった。

       

      変化と言うものは良い事もあるが風習を捨ててしまうことが悪いと思うこともしばしばだ。

      風習は即ち小さな文化であろうかと思う、文化は変革しなくてもいいものだと思うのだ。

      実際にはどんどん変わってしまって現代の風習がどんなものか老人には分からなくなった。

       

      先日とは言ってもちょっと前になるが神社で子供の晴れ姿を見ることが出来た。

      七五三のお参りだ。

      この風習が残っているのが嬉しい、できれば正月も子供たちの綺麗な着物姿を見たいものだ。

       

      だが晴れ着はレンタルで借りるのだから家にはないそれに日本髪を母親が結べないのだから実際には無理な話で有る。

      と言うことが日本かと思うと一抹の寂しさが沸いてくる。

      洋式化は良いのだが日本人は相変わらず日本に住んでいるのだアメリカに移住したわけじゃない。

       

      だが生活内容はアメリカ式であるのが不思議に思わなくなっている。

      朝食はパンと牛乳とかジュースとか、昼はハンバーガーとコーヒー、夕食は焼肉とサラダとか食べ物自体が変わった。

      味噌汁など定食で飲む時だけだ。

       

      何だか変化と言うものが侘しい気分をもたらすのである。

      変化についていけないと言うが過去の日本人が行ってきた風習も忘れては勿体ない気持ちで有る。

      自然界の晴れ着(紅葉)を見て日本人の心を動かす動機付けにならないかと思うのだ。

       

      | 熟慮 | 10:44 | - | - | - | - |
      時の刻み 単位様々
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        今朝は寒いの表現が出来る程度でした。
        太陽が無いとこれ程までに肌が敏感に反応します。
        暑いのも辛いですが、この時期寒いのも困りものです。

        ここんとこ虫歯治療で歯医者に通ってます。
        所がいよいよ治療も終わり、金属を入れる為に型を取り、仮のフタをしています。
        そのフタが直ぐに外れてしまい、毎日フタをして貰ってます。

        昨夜の番組で時の刻みを感じました。
        地球が出来てからどんな変化が有った、相当に分かっていると思います。
        所が現実の世界の時の刻は全く無視されているのではと感じるのです。

        日々のカレンダーによって過ごしている、長期的な時間感覚など誰も感じていません。
        今、温暖化と言う言葉さえも無視しようとする人間が圧倒的です。
        それは長期の長い時間であるからです。
        どれ程の時間かは実際に現象が起きて見ないと実感出来ません。
        現在平均気温がある時期よりも2度程上昇した言います。
        しかし沿岸部分の開発に何らかの支障が出ていませんから気温を気にする人はいません。
        ですが、この先海面が6mも上昇すると計算されて居ます。

        現実にそうならないと人の行動は気付きません。
        実に時計は現在だけにのみ気をかけて、長期の刻みは無関心です。
        それでいいのかどうか?
        良いんですかね。
        | 熟慮 | 08:53 | comments(0) | - | - | - |
        立場と見解に相違は当然
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          再び寒さを感じる日になりました。
          花冷えとか、花曇りとか言いますが、当たっています。
          昔から矢張りこの時期はそうした気候なのでしょう。
          昔の人は表現が上手いです。

          人は必ず立場と言う位置があります。
          物理的に立っているのでは無く自己の存在している証とでも言いますか。
          どうしても自己の存在を他人に認めて貰いたい、これは無意識に持ち合わせているものと思います。

          自己の存在を強調したい時に意識が強く出て来て、自分の立場を立証しようとします。
          裁判などはその例では最強だろうと思います。
          自己主張が審判を左右する訳ですから。
          ですが、一般的な立場ではそれ程強調しなくてもいい場合がいっぱい有ります。
          しかし、現代は無茶な表現が多いように思えてなりません。
          お互いに立場を主張して譲り合わない、その結果の結論は一方に傾いてしまっている。
          政治でも与野党があり、お互いがその立場で意見を言い合う、見解の相違が際立ち結果は強い与党の考えになってしまう。
          こうした傾きは決して良いものでは無いかと思える。

          東芝の株主総会でもそうした傾向が見られました。
          株主が居て会社の立場が確保されているのに経営者は自己の立場のみを言うだけで終始して居ます。
          もし経営者が逆の立場で思考したら再建策も柔軟になるのではと思った。
          硬すぎる意識が改革を阻害しています。
          遠い目で見れば立場と言うものはそれ程重要な事では無くなります。
          今の立場で生涯終わる訳では無く、時が経てば(老後)皆同じ位置になります。
          多くはその事に気付かないのです。
          相違の中に何処かで妥協もいい事だと思います。
          それが嘘を無くす方策になるかどうか?
          ともかく嘘が多いです。
          | 熟慮 | 09:28 | comments(0) | - | - | - |
          満足の度合い。
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            7月も下旬に入り、学生は夏休み中、天候がいまいちで盛り上がりに欠けるかな?

            そろそろギラギラの光線が出てもよさそうです。

            実は久しぶりにメガネを変える事にしました。

             

            今のレンズはプラスチック製ですから、傷と言っても表面のコーティングが取れて見にくくなるようです。

            そのためレンズを交換することにしました。

            メガネ屋さんでレンズに色を入れますかと聞かれたので、日の当たるときにサングラスになるものを頼みました。

             

            来週できますので、早く試してみたい気分です、それには太陽が出ないとね。

            メガネといえば、現在3種類使っています。

            遠視、中間老眼、老眼用と使い分けています。

             

            遠視は普通の場合、中間はパソコンと料理に、老眼は読書など、この中間が実にいいんです。

            老眼鏡の距離感よりも少し離れていますから、料理などでは重宝です。

            そんなことで、この3つが無いと不便です。

             

            我々は先進国に住んでいる、と言う表現を先日知りました。

            なるほど、そう言う言い方があるかとね。

            国によって先進国だったり、発展途上国だったり、何かの基準で決められています。

             

            生まれたのがたまたま先進国だったので、現在の姿(生活)が有るのかと。

            人は生まれたときから平等だと、しかし実際にはこうした環境は不平等かも知れません。

            同じ人生でも生まれたところによって、生活スタイルが違います。

             

            そこに満足という事柄が存在します。

            先進国で有ればこそ、その他の国・地域に無い多くの満足を得ています。

            しかしそれでも満足度は満たされていない、と思うのか、どんどんエスカレートして満足を求めます。

             

            際限のない満足の追及、宇宙の果てまで行こうとするんでしょうか。

            この地球上で先進国に生まれた、それだけでも十分な満足が有るはずです。

            日本でも200年前は江戸時代、鎖国の世、世界との交渉は無かったですが、その当時は先進国だったのかどうか。

             

            しかし日本人の満足度はどうだったんでしょうかね。

            今と比較したら、不便な生活だったでしょう、その中で満足の部分はどの程度だったのか、聞いてみたいです。

            交通機関は歩くか馬しかない、通信は飛脚、水道もガスも電気もなし、住居も木造しか無い、もう現在からみたらないないずくしです。

             

            そう言う生活環境がほんのちょっと前まで有ったんです、我々先祖の生活は。(4代前程度はほとんど)

            現代の生活はどこを取っても満足する内容です。

            この現代に満足しないとは「何たることか」とお叱りを受けます。

             

            適度な欲求と適度な満足感を心掛けたい気分です。

            日に一度ぐらいは「満足だ」と思えるようにしたいなあ、と考えているところです。

            先進国の有りがたさを感じつつ。

             

             

             

             

            | 熟慮 | 08:26 | comments(0) | - | - | - |
            本来の姿、中々見えません。
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              何時まで続くのでしょうか、この良い天候、梅雨が来なければと願うものです。
              しかし、間もなく6月、雨ザーザーと降る季節が来ます。

              既に紫陽花が咲き始めました。
              紫陽花イコール雨の連想です。
              空梅雨も良いとは言えませんが、適度な期間で有って欲しいところです。

              本来の姿、どうもどれがそうなのか、中々見極めがつきません。
              本物、これを見て見なければウソかどうか分かりません。
              そうしたことが結構多いのではと、最近感じます。

              この世に存在しているもの、その中には偽装ものも多く、どうしてそのようなものを作るのか、生み出すのか、そこんところが疑問です。
              何も偽りのものを作らなくてもいいじゃないかと、そう思うのですが作る人がいっぱいいるんですね。

              許可制度と言うものも、何か疑問が残ります。
              先般、トクホ(健康食品)に合格している商品に根拠(エビデンス)が無いと言う記事を見ました。
              トクホ商品は高いですが、その効果に期待して買うわけですから、仕方がない、となります。

              しかし効果の根拠が無いのであれば、なんのための許可制度なのか、さっぱり分かりません。
              高血圧を抑制するお茶、と言うものが有りますが、実際にその効果を検証しているのかどうか、論文だけで説明している場合も許可されるそうですからね。

              なにはともあれ、現代に生きている上で本物に接することが出来たら、幸運と言うことになりましょうか。
              先日マイセンの焼き物を見てきました、素晴らしい芸術だと思います。
              しかし古い時代のマイセンと現代のマイセンでは違うのです、ですから古いマイセンが本物としたいのです。

              本来の姿、そこに近づけたらと思っている昨今です。
              | 熟慮 | 09:35 | comments(0) | - | - | - |
              準備に要する時間はたっぷり必要でしょう。
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                昨日の夏のような日差しに汗を出した方もたくさんおりましたでしょう。

                そのせいか桜の花も開く速度を速めたようで、2分咲程度になりましたか、満開はもう目の前です。
                4月1日の花見は満開の下でなりそうです。

                その花見の準備にいまから余念が有りません。
                レジャーシートも、紙コップも、紙器も、いろんなものをそろえています。
                今日は弁当に必要な素材を見てこようと思っています。

                作る(料理)ものは既に検討しており、6品か7品を作ります。
                なにせ5人で食べるのですから、それ相当のものが必要です。
                11時集合でその後2時間ぐらい飲み喰いする訳ですから、それなりに用意が必要です。

                その次の日はちょっと仕事が有りますので、その準備も欠かせません。
                こちらはレジャーと違った準備が必要で、夜間作業にもなりますから寒さ対策をどうするかとか、いろいろ悩みながら行っています。
                今時期、寒いのか暖かいのか、その日にならないと分かりませんから必要以上のものを用意してしまいます。

                予定の時刻に行くための調査も、今では簡単にインターネットで調べられますので便利です。
                そうした予定に対する準備、これが大事なことです。
                こうして前もっての準備でも忘れ物が必ずと言っていいほど有ります。

                そして準備期間は何か浮かれています。
                楽しいのです。
                どこかにロマンチックな感情が有るのでしょうね。
                ロマンは何も男女だけに限ったことではなく、予定を如何に完璧に完成させるか、その点にもあると思います。

                そうですね、完成、これが予定に対する終局の目標です。
                目標達成、この気分を味わうために、人は計画し、予定し、準備し、行動します。
                達成感、その根源は準備でしょうかね。
                | 熟慮 | 10:53 | comments(0) | - | - | - |