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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
自伝、意外に残っていない。
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    アジサイの季節がやって来ました。

    あちこちで咲き始めたのをみかけます。

    アジサイは意外と強い花だそうで、花ことばも嫉妬とか、ともかく挿し木だけで育つと言います。

     

    沖縄の友人にメールしたら沖縄でも有名なアジサイ園があるそうで、とても綺麗だと言います。

    暑さに強い花なんでしょうね。

    道端で咲いていたり、場所がらも考えずに咲いている感じを受けます、それだけに強いのでしょう。

     

    歴史小説を読んでいると面白いの一言です。

    しかし書いている小説家は大変な努力でその当時の状況を調べているものと思います。

    もし家康が晩年に自伝・自叙伝を書いていたらもっとはっきりと歴史が分かる気がします。

     

    秀吉も天下を取るまでの経緯やらその後の豊富な金をどうして得られたのか、などなど実際に目に見える話になるかと思います。

    多くの歴史は結局物語になってしまって、本当の事は闇の中も多いかと思います。

    自伝があればなあ、と思うのです。

     

    どうしたって、他人が書けば想像に頼る部分が圧倒的でしょう、それに比して自伝であれば本物ですから判別がはっきりします。

    しかし小説の様な面白みが出ないかも知れません、現実面はそれほど面白可笑しい訳じゃないから、苦労話になってしまいましょうか。

    そうなると自伝が無い方が良いのかとも言えます。

     

    そんな風に考えると多くの権力者はあえて後年面白くするために自伝を書かなかったとも言えますか。

    現代は多くの事実が残されますから、未来の歴史小説で今の2000年以降それは面白味が欠けましょうか。

    闇の中が良いのかも知れないとも言えます。

     

    そんな中で自分の自伝を書いてみたいなあと思っています。

    思い出したことをメモっておいて、それを小説化できれば良いかなと、一度でいいから小説を書きたいと思っています。

    楽しく、面白く、そして事実を書ければいいのですが、才能に恵まれない事が残念です。

     

    自伝を書いたとしても読む人が居なければこれも寂しいもの、自伝も良し悪しでしょうかね。

    | 残念 | 09:27 | - | - | - | - |
    日本は先進国から後れを取っている、そう思う事が多い。
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      久しぶりに天候が怪しい、しかし連休も十分に楽しんだであろうから雨になってもいいかとも思っている人が多いであろうか。

      小学生も外で朝礼をして今終わったようで、連休ボケで勉強に身が入らないかもしれない。

      校庭では運動会の練習が始まっているようで、白線を引いて子供たちが走っている。

       

      さて、我々時代人は日本が先進国と言う感覚強いのであるが、最近はそうでも無いのかどうか分からない。

      評論家の話では先進国から後れを取っていると表現しているのが見える。

      確かに、そう言えばそうかと感じる。

       

      受動喫煙問題は中々進まない、簡単に公衆の場で禁煙と言う張り紙を出せば良いのではと思うのだが、どうもそうじゃないらしい。

      官僚の天下り先のJTに対する配慮とか、議員などは飲食店からの票が取れなくらるからとか、どうも個人的な理由が厳しい法案が出せないらしい。

      公明党も野党も国民を無視して法案に対する関わりを持ちたくないとも言う。

       

      こうなればやはり先進国じゃないと思う。

      既に55か国が禁煙を実施しているというから(WHOの方針)、日本は先進国から落第したのではと思う。

      先進国と言うレッテルは貴重であるのに、それを簡単に捨ててしまったのかと憤慨するのだ。

       

      国民もマナー、躾(しつけ)がなっていない、ともいえる。

      道路に吸い殻をポイ捨て、してはいけないことを平気で行っている、これはその人が自分を先進国人では無い、と言っている事になるのだ。

      しかしそうした行為を行う日本人は多いのである。

       

      我々が日本を発展させ、世界でもGDP2位まで持って行ったのに、今ではどんどん低下して来て学力も先進国でも下位になっているとか、どうにも知能の低さを感じる。

      先進国と言う威厳を感じれば、他国よりも優れた先進を発揮する、これが他国に遅れているのではもう日本も終焉である。

      経済発展も技術発展もマナーも遅れを取っている現状を日本人が気づくべきです。

       

      そして、禁煙を全面的に国民が受け入れる気概を見せるべきです。

      国民が何もしない、今の日本人はも盲人になってしまったのかと思いたくなる。

      | 残念 | 09:04 | comments(0) | - | - | - |
      失敗、途中で変な邪魔が入ってブログ抹消してしまった。
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        どうにもならない、折角書いた文章がなくなってしまうのですから。

        これも現代の技術ではどうにもならないのですかね。

        もし紙に書いていたら絶対に書いた文章は残ります。

         

        しかしペーパーレス時代にレポート用紙に文章を残す方法は無いかも知れません。

        そんなもんでしょうが、誤って文章を消した場合の救済措置方を考えてソフトを作ってもらいたい気がします。

        残念でしょうがいほど悔しいです。

         

        もう意気消沈して続きを書けません、朝鮮半島の統一に関する考えをまとめていたんです。

        民族分断が解消される、これは地球上で最後まで残っていた課題が氷解する訳ですから、世界中が注目するのも当然です。

        暖かい目で今後を見守りたいと思います。

        | 残念 | 09:53 | - | - | - | - |
        本屋さんが消えていく、一抹の寂しさ
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          校庭では子供たちが鬼ごっこで思いっ切り走り回っいます。

          授業の時に疲れ果てて居眠りをしなければと心配してしまいますが、子供たちはそれだけ余分なエネルギーを持っているのでしょう。

          それにしても鬼ごっこ、鬼は逃げる側ですが、追っかける方は何と言うのでしょうかね、いつ頃からこの鬼ごっこが始まったのかで決まりますか、もし江戸時代だったら十手を持っていた岡っ引きかも知れません。

           

          でも鬼ですからね、桃太郎の鬼退治から来ていれば又別かも知れません。

          逃げるを現代版にすれば犯人を追いかける警官になりますか。

          いずれにしても、面白いのでしょう、ともかく命がけで逃げ、追いかけています。

           

          今朝の記事に本屋さんの減少が載ってました。

          以前にもこうした内容を書きましたが、本当に寂しい思いです。

          2000年には2万軒もあった本屋さんが今では43%も減少したと言います。

           

          こうした流れは今後も続くのでしょう。

          本はネットで買えますから探す暇も要らないし、本屋に足を運ばなくてもいいのです。

          一方、本を読むと言う事も機会も少なくなって来たのでしょう、スマホに時間を取られてしまってますから。

           

          実際にここんところ本屋に行く機会が少ないです、以前に買った本を再度読み返しているためです。

          かなりの買い求めましたので本箱いっぱいです、何となく偏ってしまって、著者に拘ってしまってます。

          それと何となく買った本は気に入らない事が多く、都度捨ててしまった経緯もあります。

           

          多分買った内の半分は捨てたかも知れません、勿体ないと思いますが、場所が許さないために仕方なく可哀そうだと思いながら。

          そして残っている本を次々に読み返していますが、どれも内容を記憶していないのが実情です。

          となると、本を読む行為は何なのかと思ってしまいますが、読んでいる時の興奮と言うか著者との会話が楽しい気がします。

           

          物語の展開も面白いですが、こう言う表現、言葉遣い、会話風景などなどいろんな刺激を受けます。

          時代物を多く選んでますが、こうした表現が出来ればいいと思う事度々です。

          実に凄いものだと、専門家だから使えるのかと、どこからどう言う風に文字を言葉を持ってくるのかと、そうした処に魅かれます。

           

          本は人生の先生かも知れません、著者に直接教えを受けているような気分さえなります。

          そうした本が本屋さんで買い求めていたのが今では本屋さんが必要ないと言わんばかりです。

          本屋さんの無い自治体がなんと420か所もあると書いてました、即ちその町に本屋さんが一軒も無いと言う事です。

           

          本屋さんの良さは時間が有ったときに立ち寄って何冊かに目を通す楽しみが有ります。

          神田駅前に小さな本屋さんが有って、友人との待ち合わせで早く着いてしまったときに本屋をのぞき込みしてました、そんな時っていい本を見つけたりするんです。

          しかし何時頃だったか時間が有ったのでじゃ本屋さんにと勇んでいきましたがコンビニに変わってました。

           

          ガッカリしたのを思い出してます。

          馴染みの本屋さんが姿を消すとそのショックは大きいです。

          又、本屋さんが目印にもなっていまいした、友人との待ち合わせなども、どこどこの本屋さんの近くだよ、と説明に使ったものです。

           

          何千件も減ってしまった本屋さんが再び戻って来ることが有るのでしょうか。

          時代が先に行った時に、本屋さんの無い街が殆どになってしまったら、寂しい限りです、本屋さんの温もりが消えてしまうのです。

          いっぱい詰まった著者の魂に接するチャンスを持てなくなるのですからね、良いのでしょうかと疑いたくなります。

          | 残念 | 09:11 | - | - | - | - |
          失敗の本質は気づくのが遅かった
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            今朝は昨日よりも幾分外気温が上がったのですが曇っているために寒さは継続しています。

            気温も上昇してません。

            この分だと雪の解ける事もなさそうです。

             

            凍った雪はつるんつるんで危ないです。

            道路の両端にはまだまだいっぱい残っています。

            校舎の屋根にも5冂度真っ白な雪が載っています。

             

            失敗は誰もが経験するものですが失敗が無ければ今頃はどんな生活をしていたかと思うものです。

            前に失敗の本質と言う本を読んだような気がします。

            しかし書かれていた事を何も覚えていないのです、結論はその本から得るものが無かったか、或いは本質と言う内容を気づかなかったのかです。

             

            多分にして多くは気づかずに失敗しているようなものです。

            又気づいても実行しなかったことも有ります。

            いずれにしても意識として強く持つ事をしなかったのです。

             

            過去を思うとあの時にこうすれば良かったとか、しておけば良かったとか、もう反省の山です。

            結局何かの行動を起こして居る訳で、行動に間違いが有ったのでしょう。

            或いは試行錯誤して居る内にチャンスを逃したことも有るでしょう。

             

            実に頭脳がどう働かせるかです。

            しかし人は無限の頭脳を持ちながら使わないでも平気でいられるから面白いです。

            気づきながら平気で見逃しているのです。

             

            後になって理由を付ける時になって頭脳を使うのです、実に変な頭脳の使い方です。

            何だか分かりませんが仮想通貨ネムNEMが不正流出したとか、全くその分野に疎いのですが、580億円も、この失敗の本質も甘い管理を放置といいます。

            気づいていたにも関わらず厳しい管理をしてなかったと、結局失敗して気づきの遅さに気付くのです。

             

            人の意識と言う面に強弱が有って、気づきの面は弱いのでしょうか。

            どうすれば気づいた時に実行すべ強さに発展させる事が出来るかです。

            難題ですがそれを解決しない限り、失敗は継続されて、いい人生を作り上げられないでしょう。

             

            気の遠くなりそうな幻の楽園を追い続けていた人生だったんですが、失敗の本質を見抜けなかったが為に夢は破れたりです。

            夢破れて山河あり、城春にして草木深し ですかね。

            自然と言う風景が又いいかな。

            | 残念 | 09:20 | - | - | - | - |
            どうもダメ
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              今朝のパソコンは変です。

              動きが鈍いのでそれなりに待ちながら打ち込んでましたがついに途中で消滅してしまいました。

              ですので、今日は止めます。

               

              後程再度挑戦してみます。

               

              | 残念 | 09:45 | - | - | - | - |
              時はゴールド・金なり、まさに金・ゴールドに勝るものなし
              0

                寒い冬がやってきた、木枯らしが来る前に寒気が襲ってきた。

                普通は北風が吹いて木枯らし何号と言いながら寒さが厳しくなるのも、昨夜の寒さは突然来た。

                布団とタオルケットだけでは寒くて電機ストーブを用意した。

                 

                パジャマも厚手のものに交換してやっと安心して眠れた。

                今朝も寒さは残っているから太陽が出る前は外でも体操ストレッチは辛いのでやめた、これからやろうと思うがまだ寒い。

                昼になったら公園でやろうと思うがこうしてだんだん寒さを理由に運動をしなくなるものだ。

                 

                さてオリンピックの開催がどなるのかと言う記事を今朝読んだ。

                最後はなんとかなるのだろうが現状では豊洲の改修工事にゼネコンが入札拒否しているとか、豊洲移転が実行されなければ築地解体ができず、そのためにオリンピックに支障が出ると言う。

                小池知事も正念場を迎えているようだ。

                 

                大手ゼレコンからそっぽを向かれては仕事は進まない。

                ゼネコンは昔から談合は付き物、それにメスを入れたと誉れ高く言い放った時の小池氏は自滅したのだ。

                良い(好調な)時こそ謙虚にならねばならないのだが、人は奢(おご)りたくたくなるのも分かるが地位を考えねばならなかった。

                 

                その時、とても需要なその時を実に捨ててしまったのだ。

                時は金(かね)なり、と言うがお金と言うよりもっと価値が高い金(きん・ゴールド)である。

                お金は金・ゴールド(小判、大判)で作られていたが当然金は少ない、だから銅製のなどに代用させて通用している。

                 

                お金は金ゴールドなのである、もしゴールドを手にしたらそう安々と買い物もしないだろう。

                代用品であるから簡単に使ってしまう。

                小池氏も時を代用品と見間違ったのだろう。

                 

                都知事都政に専念するなら国政に手を出す必要は無かった。

                今更と言う感じだが時の使い方が間違うとその後は時を拾うことが出来ないのだ。

                お金は落としても、ゴールドを落とす人はいまい、大事に奥深くしまっておくだろう。

                 

                大事な時なのだが得てして時を無駄にしてしまう。

                自分を見誤ることになっていても気づかない。

                それが大人の道であるのだが残念ながら小池氏は年齢は初老だが精神面では子供だったかなあと思う。

                 

                もう取り返しが出来ない、希望の党の代表を辞退したと言うから今度は都知事も辞退したらどうかと都民の一部は思っているかも知れない。

                住みよい東京、都民ファーストの精神が生かされずにずるずると変な方向に行かねばいいがと今度は心配する事態になった。

                オリンピックはさておき、都民の生活がより良くなる施策が出来るのかどうか、舛添氏のように途中でやめる放棄するなら、今が良いのだが。

                 

                引き際が大事だと言う場面にまで来た感じがする。

                女性蔑視はしないが女性都知事は無理だったか、都民は考えてしまう。

                残念の一言。

                | 残念 | 09:30 | - | - | - | - |
                切磋琢磨は現実にあり得ないか現実の社会では
                0

                  昔の日本には干ばつやら飢饉が有ったと言うがこうも雨が多い近年から想像すると意外である。

                  実に雨で日照時間が少なく作物への影響が出てきている。

                  日照りではなく日照不足による作物の不作で飢饉になったんではと疑いたくなる。

                   

                  10月のこの時期は秋晴れに恵まれていい気分で過ごせるはずなのに今は何をするにも億劫になる。

                  外出時に傘を持つことがどれ程負担を感じるかだ。

                  雨に濡れた傘の始末も困るし床も汚れてしまう。

                   

                  良い事なしの雨だ、だが雨が無かったら干ばつになってしまうことも困りもの。

                  適度と言う事象は自然界には無い事であろうか。

                   

                  さて人の世に戻ると何処へ行っても競争の様相になっている。

                  グローバルになったために広い範囲で競争がより激しくなった。

                  その競争のために途轍もない誤魔化しをしでかすことも有る。

                   

                  現実に神戸製鋼の改ざんなどは原因として考えられる一因に競争が有ると思う。

                  競争も相手が何かであるが競合先もあろうし社内での出世の場合もある。

                  兎も角競争に勝つためには手段を選ばずの法則を利用している。

                   

                  昔はお互いにこの程度と言うものがあってそれ以上はお互いに妥協したり協力したりしていた気がする。

                  川中島合戦の時だって敵に塩を送ったと言うエピソードが有るくらいだ。

                  お互いが切磋琢磨してこの世を良くする概念は現代は全く消えた。

                   

                  切磋琢磨と言う言葉さえ聞いたことが無いインターネット上に書かれていることもない。

                  とても良い事なのだがその逆で一方をどん底に落とし込む事のみに汲々としている。

                  離合集散的なことも多いがそこに切磋琢磨と言う概念があればいいのだが見出せない。

                   

                  神戸製鋼では改ざんが50年以上前から行われていたともいうがそうした行為が問題化していないのが不思議だ。

                  重大な問題が起きていないことに疑問がわく。

                  改ざんしても問題が無いならば基準と言う物差しが何だったのか必要では無かったのか。

                   

                  疑問は次々に膨らむ。

                  改ざんすることを避ける方法は無かったのかどうか寸法が足りないしかし合格とし出荷。

                  その問題点を何らかの方法でいい方向に持っていけなかったのか、事実隠しではなく互いに疑問点を追及して改善する方向が出来なかったのか。

                   

                  事実隠しをお互いに切磋琢磨していたら別だが。

                  政界でも選挙中にお互いを誹謗することに終始しないで相手のいいところは見習うぐらいの度量が欲しいものだ。

                  小泉進次郎氏は同会場で出くわした相手を尊重し自分の聴衆に相手の話を聞かせたと言う。

                   

                  これこそが切磋琢磨していい日本の政治を描く方法の一つであろう。

                  与野党が重箱の隅をいくら突っついても所詮は何も残っていないのだ。

                  実に逆転の思考を行なうことが大事なのだ。

                   

                  糸川英夫はこの逆転の発想を見事に行った学者である。

                  有名人になりたかったら現行から別な道を作ることだ。

                  小泉進次郎氏はまだ若いがスイスでは31歳かな新しい首相が生まれそうだ。

                   

                  早くも小泉進次郎氏への待望論が出て来ても良い時だ。

                  小池百合子氏は既に遅咲きの「うば桜」になってしまった。(ちょっと失礼な表現かな)

                  しかしこの二人がお互いにいいところを持ち寄って日本の政治をいい方向に進める、所謂切磋琢磨して欲しいと願う。

                   

                  人の世は一人で出来るものではない、お互いが協力し教え合ったこそだ。

                  競争社会を逆にすればどうなるか、競争が無い社会即ち切磋琢磨の社会だ。

                  良いところを持ち寄る社会になって欲しい、嘘も振り込め詐欺も無くなる世に。

                   

                  | 残念 | 09:35 | - | - | - | - |
                  英語の使い過ぎか?恥辱的な間違い
                  0

                    天候が悪い実に困りものだ。

                    折角の土日休日が勿体ない。

                    遠足などの予定を早くから立案していた人たちは可哀そうだ。

                     

                    特に子供たちは嘆き悲しむであろう。

                    我々の時代は秋ともなればキノコ採りをよくやったものだ。

                    ほぼ毎週の日曜日はおやじに連れられて朝早くなら出かけた思い出が有る。

                     

                    キノコは実は雨の翌日によく生えているので絶好の条件なのだ。

                    雨後の竹の子と言うがキノコもそうだ。

                    だから多少の小雨程度ならば山に入った。

                     

                    キノコは毒キノコも多いから初めは分からずに採ったがだんだんわかって来て食べられるものだけを取れた。

                    しかし、しめじは中々見分けがつかない結果食べて食中毒下痢を起こす事が有った。

                    他にあけびや栗や山葡萄などなど秋はいろんな実を取ったものだ。

                     

                    神戸製鋼と言えば日本の誰もが知っている会社名だろう。

                    いや世界的にも有名な会社だ。

                    それが改ざんと言う不名誉な行動が日常茶飯事で有ったと言う。

                     

                    なんとも情けない気がしてきた。

                    社長の謝罪姿が痛々しいほどであった。

                    誰がそうした風習を作ってしまったのか、原因は必ずあるかから解明しなければならない。

                     

                    コーポレートガバナンスとか言って社内を管理する言葉を使っていたのだろうがどうもその言葉が一般の人にピンと来ていないのではと思う時が有る。

                    コンプライアンスもそうだ。

                    この二つが多くの問題を起こしている気がする。

                     

                    横文字は日本人にとって格好いいと思いがちだ。

                    だから何かと使いたがる、ソリューションなどもよく使われている。

                    実のところ言葉の意味合いがやはりピンと来ないのだ。

                     

                    結果、何が起きるのか、ピント外れの現象が生まれている。

                    写真はピントが外れるとボヤケテしまう。

                    そう管理もボヤケテしまって、管理自体が疎かになってしまう。

                     

                    企業統治に翻訳した人は会社を分かっていない人かも知れない。

                    企業統治を国に替えたらどうするか、国統治と言うと何が何だか分からない。

                    個人にすれば個人統治である、分からない。

                     

                    やはりピンボケの翻訳だ。

                    ちゃんと一般人に分かる言葉を作らねばならないのだ。

                    昔から日本は管理と言う言葉を使ってきた。

                     

                    それならば、社員は何らかの枠で管理されていると言う気持ちを持っている。

                    改ざんはしてはしてはいけない規則に乗っ取って仕事をするのだ。

                    これが管理者の指導である。

                     

                    統治となると何が統治なのか何をすればいいのか漠然としたものに感じる。

                    日産も完成車の検査を改ざんではないかろうが同じような過ちを犯していた。

                    コンプライアンスもそうだ、何がと言う感覚が無い。

                     

                    法律と言うものがピンと来ない。

                    言葉の重みをもたせるのが大事なことだが、横文字にすれば格好いいが内容が伝わらない。

                    重厚な言葉を昔から使っていたんだから戻す方がいいのだ。

                     

                    コーポレートそのものが一般用語であるかのようだが実際にはコーポレートガバナンス程度にしか使われていない。

                    会社説明会をコーポレート説明会など聞いたことが無い。

                    会社の社長の謝罪にコーポレート社長なども無い。

                     

                    結局横文字は曖昧さを作る基だ。

                    管理を徹底的にすることが大事だ。

                    コーポレートガバナンスを徹底する、これを完全に理解できる人がいるだろうか。

                     

                    日本的、日本の習慣、日本の伝統をもう一度元の鞘に戻ることを祈る。

                    | 残念 | 09:15 | - | - | - | - |
                    希望とは現実に無い事への羨望である
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                      今日も暑い一日が始まっている。

                      もう25.9度(部屋の中)に気温が上がっている。

                      湿度も高く蒸し暑い感がする。

                       

                      太陽も出て来たのでこれから辛そうだ、散歩は早めに済ませたい。

                      希望が叶うことなど中々である。

                      実際に希望通りになった事など少ないか無い。

                       

                      今回の選挙でも希望はあくまでも希望であって、上手く成果を出すことが難しくなったようだ。

                      そうであろうよ、急な行動に誰が信頼できるかと言うことだ。

                      「信」日本人は昔から「信」(信義)を重んじて来た。

                       

                      信義とはとても強い関係を持つもので簡単に出来るものではない。

                      日本人の心の奥の方にはそうした信念が宿っているのだ。

                      急に希望と言う名が出て来ても本当に希望に沿えるかどう分からない。

                       

                      岸洋子の歌に「希望と言う名のあなたを忘れて 遠い国から又汽車に乗る・・・」が有った。

                      希望はそうした淡い水泡のようなもの期待できる程のモノにはなり得ない。

                      残念だが今回は脱落してしまったようだ。

                       

                      小池氏が選挙に出なかったのは賢明な選択であった。

                      しかし第二党になることは確かであろうが与党に入る可能性も大きい。

                      となれば日本の国会はほぼ全部与党で色塗りされる。

                       

                      そうなれば国の方向も一致して進めることが出来、早めにいろんな改正ができるかも知れない。

                      良い事かも知れないし、一方同じ器の中で切磋琢磨することも出来るような体制も有り得る。

                      中国の汚職の蔓延も現在粛清されてきてどんどん処罰されているようだ。

                       

                      数千人規模で免職などされていると言う、自浄作用であろう。

                      大方が与党になれば内部で自浄作用が起きていい組織になるような気もする。

                      今までは追及する野党が光っていて与党は茶を濁す雰囲気だったが、これからはお互いに仲間同士となれば誤魔化しは出来なくなる可能性もある。

                       

                      希望とはそうした国会の再編成になることも考えられる。

                      態度(首相指名)はどうなるかは選挙後と言う小池氏は与党になる前提での話で有ったのか。

                      22日以降が日本の将来を決める決定的な瞬間になるような予測を持つ。

                      大胆な変化、即ち改革であろうか。

                      | 残念 | 08:49 | - | - | - | - |