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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
思った以上に効果が有った、逆もある。均衡
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    曇り寒い太陽光の無い地上は冷える。

    人は寒いと言っては暖房を考えて寒さを凌ぐ工夫をする。

    しかし自然界はそのままだ、木々は寒空の下で落とした枝を焚火にすることもなくじっと来年の春を待つだけだ。

     

    葉っぱを落とす理由は寒さ対策なのだろうか身体?樹木の表面積を最小限度にすることで気(木)温調整が出来るのか。

    そう言えば沖縄の木々シュロなどは葉っぱが落ちない逆に葉っぱが暑さ対策をしているのかも。

    自然界はそれなりに暑さ寒さ対策をしていたんだ。

     

    日頃の行動にどうしたって成果を期待するものだ。

    思い即ち言葉に出さなくてもどうなるか、どう言う効果があったか等々思いめぐらす。

    そしていい結果が出ればほくそ笑んでニヤリと笑ったりする。

     

    何処かに自己満足の域が有りそうだ。

    自然にニタニタしている場面も無いとは言えない。

    思い通りになる中々無いがそれを期待して行動しているのが日々だ。

     

    若干期待過ぎの点は誰しもが認めるところだろう。

    小池氏も自分に期待して結果を求め行動した。

    結果は惨敗これほど自分の期待を裏切ったことはないのでは無かろうか。

     

    思惑通りになることは確率1%程度かも知れない。

    とすれば逆に何でも思い通りになると思わなければいいのだが、人は自己を尊重し、自己を過大評価している癖があるので、逆は考えにくい。

    苦悩やらストレスやらはこうした自己評価の課題間違いから起きるのではないかとも考える。

     

    時として思った以上にいい結果が得られる、都民ファーストの会が圧勝したような事がしかし実は1%の稀な結果で有ったんだ。

    が、そのことが忘れられないのが普通だ。

    今度も上手く行くと思い込むものだ。

     

    ギャンブルがその典型的な行動だろう、勝てば次も同様な結果を期待しはまり込む。

    先般大王製紙の御曹司だっかたギャンブル(カジノ・カード)で相当のお金を使って自己破産したとか記事になった。

    その方の言い訳かどうか分からないが、最初は相当に上手く勝てた、一晩で億単位儲ける時が有った。

     

    しかしいつの間にか負けると負けた分を取り戻せると思ってしまって続けてしまったそうだ。

    思い以上の結果が忘れられないのだ。

    そして逆が現れると再度思い以上に期待してしまうのだ。

     

    こうしてギャンブルは最後まで行って最終に行きつくのだ。

    実はギャンブル(カジノ)で近い人(親戚)でも有ったのだ数億円の借金で自己破産した。

    思惑通りなんてのはこの世で1%だと思っていれば、無理をせずに日々を過ごせるはずだが何故か期待は100%で思い通りにならないと思う気持ちは0%である。

     

    子供が泣き叫ぶ駄々をこねる即ち思い通り100%を親に要求しているのだがそうはならない。

    となれば叱られて泣き止む諦める、ここんところが自然じゃないから子供はいつでも不満が貯まる。

    そして大人になり自分で自分を制する段階が来ると思惑通りになるものとギャンブル(パチンコ)にはまって昼日中(ひなか)でも

    空気の悪い部屋で一日中粘る。

     

    結果は勝ついわゆる思い通り以上になったときの有頂天さを感じる、たった1%だったのに。

    これがはまる基だ、たった1%を100%に置き換えてしまうのだ。

    逆があることを常に思っていればいいのだがすぐに忘れるのだ。

     

    人は忘れる動物だ、鶏は直ぐに忘れる動物の代表だが人だって五十歩百歩だ。

    肝に銘じてなんて言うのはその時だけでいつもは思い通り100%にしがみついている。

    小池氏もその一人だったのかどうか分からない。

    | 当然の成り行き | 10:03 | - | - | - | - |
    悪が裁かれる大統領でも
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      そろそろ桜の蕾も大きくなって、花びらがほころびそうです。
      昨日「桜咲いた」の報告をした合格者の喜びも花が開いてこそ、早く咲いて欲しい。
      来週には開花のニュースがあちこちから聞かれるでしょう。

      パク大統領が弾劾裁判で罷免に至りました。
      権力者の質的な問題だった様に思います。

      多くの取り巻きに影響されながら政権を維持していたのでしょうが、公私混同は常の事、失敗はそこに有ったのか?
      前都知事の舛添氏も同様な失敗、権力者になるとそうした道も有るのでしょう。
      脇道に逸れる、そこは悪の世界。
      現実社会でも同様です。
      華々しい選挙勝利、そして弾劾されて枯れ果てた花びらが道に落ちている姿、対比するに忍びない感じがします。

      誰も勝利を悪に利用する目的で戦う訳じゃ無いのに、結果として悪に染まる!悲しい事です。
      女性大統領として最後まで勤め上げれば、無限の賞賛を浴びたでしょうに、何処で間違ったのか?
      これで又々女性の能力と言うか権威を落としてしまった感が有ります。

      しかし日本の内閣にも女性が居ますが、イマイチ実力者と見えません。
      他人に負けまいとする意気込みが先行して内容が伴わないのです。
      競争社会ですから見えを張っても権力者になりたい気持ちは理解しないまでも無い、しかし実力が無いと惨めに見えます。

      女性の地位を上げようとするならば、もう少し謙虚さを勉強してはどうかと、そう思います。
      一般人でもそうです、最近の女性は男性顔負けのシーンが多いです。

      大股で闊歩する、しかし女性らしさを強調した方が本来の地位を確実にします。
      見栄の構図から、外れた道へ入り込むのではと、化けてしまわない様に。
      慎ましさの中に本来の実力を見せる、これが本当の権力者です。
      | 当然の成り行き | 07:00 | comments(0) | - | - | - |
      年だから、この言葉に拘らない。
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        夜通し強風が吹き荒れていました。
        今もその残りが吹いているようで、間もなく春の陽気が来るんじゃないかと、期待しています。
        これから墓参りにも出かけますので、穏やかになって欲しいです。

        我々の年齢(70を過ぎると)になると、「もう歳(年)だから」と言う話が度々出るんです。
        何かの基準が有る訳では無いのですが、自然に言葉として発せられます。
        なんなんでしょうかね。

        年とは何を意味しているのか、寿命が長いか短いかの判断材料なんでしょうか。
        年老いた、これも何歳からそう言われるのでしょうかね。
        或いは年甲斐も無く、これもどこに基準があるんでしょうか。
        年とは不思議なものです。

        何も年をそれほどまでに崇(あが)めなくてもいいんじゃないかと思うのですがね。
        毎年一個づつ増えて行く自然な現象です。
        これが人間以外の動物たちは年などの考えは無いと思います、スズメたちが「もう年ですから」なんて仲間外れにされることはないでしょう。

        人の世界はこうした年齢がいろんな面で疎外的な要因になっている気がします。
        又、年だと感じ始めた人は周りから疎遠になるような行動にもなります。
        もし動物のように年と言う概念を持たなかったら、生涯の形が変わるでしょうね。
        たぶん、身体の続く限り一つの仕事を続けるような気がします。

        サラリーマンだって、定年など考える必要も無く、生涯その職場で働き続けるのです。
        だいたい、定年を作った人は誰でしょうかね。
        自然に隠居の世界に入ればいいことで、個人で商売している方々は一生涯同じことを繰り返しています。
        それが自然体かもしれないと、だから「もう年なんです」の言葉は辞書になくてもいいのではと、そんな気がしています。
        | 当然の成り行き | 10:17 | comments(0) | - | - | - |
        目の動き、確かに偽れません。
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          今朝の気候はもう春の感じを受けました。
          春霞では有りませんが、何となく靄(もや)っぽいのです、曇り空と気温のせいでしょうか。
          もやもやとした空気が春なんですね。
          気持ちも初恋などの時はもやもやしていましたから、春と言うものはそうした判明しにくい時期かも知れません。

          恋の始まり、それはどうも目からではないかと、そうしたことが言われているように思えます。
          「目は口ほどものをいう」の諺の通りです。
          人との最初の交わりは口からでは無く、目から始まるのを強く感じます。
          目の動きがこちらを、相手を、そこに感情的なものが含まれれば必ず相通じるものが生まれます。

          目線が合うかどうかで人間関係が出来上がるのですから、目とは凄い存在です。
          生活の場で目からの情報は99%程度有るんじゃないかと思えるくらいです。
          そんな中で、春は新しい友も出来るチャンスも多く、初顔に会えるものです。
          新入生の子供たち、そこに待っているものはお友達を作ること、その事始めは目と目が互いに納得する雰囲気が有るかどうかです。

          そこには感情が多分に介入し、その目の中にいい感じを受けるかどうかです。
          会社に入ったころにも同様な場面に遭遇しますが、ここには感情意外に大人的な計算も含まれて来ますので、だんだん純粋さが欠けてきます。
          しかし恋と言う心の動きに発展するときは、やはり純な気持ちが優先されるでしょう。
          恋人を持ちたい気持ちは誰でも有るのですから、先ずは目からの感情表現をたっぷりと出すことが必要かも知れません。

          この世に多くの人々が存在しているのに、お友達は限られています。
          街を歩いている人と目が合うことなどほとんど有りません。
          もし一人ひとりの目と目が会っていたら、そこに感情が入っていたら、友人が物凄く増えるでしょうね。
          ですが、実際には出来ないことで、変人扱いになってしまいます。

          実に簡単な行動で友も恋人も出来るはずなのに、それが現実には単純ではないところが人の面白いところでしょうかね。
          目の存在感、とても凄いことですが、しかし使わないで「宝の持ち腐れ」的になっているような気がします。
          もっともっと目を使っていいものへ挑戦したい気持ちが有ります。
          目にもっともっと熱情を持って置かねばならないのでしょう。

          そうかも知れません、死んだ目では何にもなりません、生き生きとした目でこの世を見なくてはいけないですね。
          情熱、いいですね、最近そんな目を見たことが無いです、わくわくする感情を表す目、そんな目に出くわしたら恋が生まれそうです。
          恋への密(ひそ)かな憧れ、いい目に会いたいです。(夢かも)
          | 当然の成り行き | 09:03 | comments(0) | - | - | - |