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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
臆病と恐怖の連動が老人へ押し寄せる
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    今朝もいい天気で明けました、若干寒い感じもしますが、昼は14度ですから春本番です。

    昨日の河津桜花見は素晴らしい天候に恵まれてすっかり気分よく過ごしました。

    前日の猛烈な風雨で花は大分散ったようでしたが十分に楽しめるものでした。

     

    大勢の花見客が三々五々歩いて今いました、99%はお年寄りでした。

    毎年楽しみにしているのでしょう、春の入口はやはり河津桜と決めている方々なのかもしれません。

    今日は土曜日ですから昨日以上の人出になるでしょう、一度行けば翌年も見たくなるものです。

     

    そんな老人パワーを見せつけられますが、老人にもいろいろと病と言う厄介なものも存在します。

    友人と一緒に行ったのですが、通院中でしたが今日で点滴が終了し、一応治療が完了、快気祝いとばかりでした。

    どこがと言いますと、老人に多く見られる耳鳴りと言うか耳の中がジーンとするものです。

     

    これは老化現象の一つと言う事らしく、症状が出たら早めに治療すれば完治するようです、しかし再発も有りうるようです。

    ま、症状がでたら耳鼻咽喉科に行くことだと友人から教えられました。

    また、級友で脳梗塞や認知症的なことで治療を余儀なくしている方もいます。

     

    いずれも老化による身体の変調からくる病でしょう。

    老人はこうして病魔に侵されて心身ともに朽ちていくものなのでしょう。

    こうした話は今後どんどん出て来ることが多くなります。

     

    しかし花見に来ている方々はそれぞれ病を持っているのかどうか分かりませんが殆どの人は元気に歩行してます。

    若干の登り道でしたが苦にせずに花を観賞しながら、おしゃべりしながら、楽しそうでした、菜の花も同時に咲いてますからピンクと黄色のコントラストにシャッター音が鳴り響きます。

    友人にも写メを送って羨ましがらせました。

     

    友人は北海道出身ですからマドンナに写メを送ったら「羨ましい」の返信が来たと見せてくれました。

    その日(昨日)の北海道は猛吹雪で花見どころでは無い程の気象状況だったのです。

    のんびりと花見をしている場合じゃ無いのかもと思いながらも、花の下で一献が続きました。

     

    つまみは朝作ったものを持参し、お店で買うものは無しでした、花の下に座って上を見れば蜜を吸いに小鳥たちが寄って来てました。

    メジロ、ヒョドリ、シジュウカラが集まって来てました、人も小鳥も花に吸い寄せられるのは同じでした。

    そんなこんなで一回りして帰路に、次の目的がありますから、三崎港の魚です。

     

    金目鯛、魚の王様的な存在ですが、中々口に入って来ません、高いが一番の課題、それから姿のいいものが入って来ない、もちろんスーパーでしか買い物しませんから、デパ地下ならいいものが有るでしょうがね。

    それが約45冂度は有ったか、写真に収めてますが、豪華な魚料理に舌鼓でした。

     

    旨い、とは言ってもそう口にしていないですから、美味いの一言がどんな意味合いか説明するまでも有りません。

    刺身で、煮もので旨かったです。

    お客さんも何組かこの金目鯛を食べてました、みなさん裕福なんだなあ、と感心した次第です。

    それと今の時期はわかめをさっと茹でてポン酢で食べる、これは美味(びみ)でした、めかぶも歯ごたえが有ってどんどん口に運びました。

     

    酒は「真澄」を定番にしていますので、何杯のんだのか既に夕方になってました。

    バスに揺られて薄暮の景色を見ていたら、突然富士山のシルエットが目の前に浮かんで来ました。

    幻想的な富士山の姿に見とれました、バスの車窓からですから、見えたり隠れたりの繰り返しでしたが嬉しい場面でした。

     

    河津桜に追加の富士山のシルエットと一日の思い出には多すぎる程でした。

    電車に乗ったら即刻寝入り、目が覚めたら東の空に満月が見えて、電車を追いかけてました。

    その内に地下鉄につながってますので、残念月ともお別れし、コンクリートの壁だけになりました。

     

    乗り換えて次の地下鉄へ、しかし通勤電車ですから乗る客は多く立ちっぱなし、優先席の場所に立ってましたが、誰一人としてお座りくださいと席を譲る人が居ませんでした。

    老人社会で有るのに、老人無視時代になったのかと、我々の若いころは老人を大切に、と言うかある意味で畏敬の念を持ってましたから、席を譲ることは当たり前でした。

    一日の疲れが電車の中でどっと出た案配でした。

     

    家に着くと風呂に入ったかと思いきや寝てしまいました、9時ちょっと前だったと思いますがね。

    老人は何かしかの病に心配し、臆病になって、ついには怖さが忍び寄って、日々の暮らしに支障を来たすものです。

    しかしその病を忘れて、花見に出て行く勇気が有れば、楽しさが待っていることを経験すること、これ以外に老人の生き方はないのではと思います。

     

    多くの花見客、そこには老人の姿が圧倒している、何故に、楽しさが生きがいだから、恐怖からの脱出。

     

     

    | 意志の強さ | 08:56 | - | - | - | - |
    もう一歩を踏み出して置けばと反省
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      今日も雲は有るが晴天域が広がっている。

      久しぶりにしっかりと寝たと言うか寝坊した。

      10時間ぐらい寝たろうかそれには若干の理由があるが。

       

      気温は下がって来た感じが強くなった。

      先ずは水道水の冷たさを感じる、そして起きてから窓を開けたときに鼻に冷気の刺激がある。

      敏感過ぎるので即鼻水が出ることも有る。

       

      部屋はフローリングだから床の冷たさも伝わってきた、スリッパを履かない習慣なので素足では辛い。

      一応こたつの用意はした。

      とは言ってもこたつテーブルに布団をかけただけだが。

       

      ここまでの生活で思いを引き出せば反省が多いものだ。

      満足よりも反省が大半である。

      その原因は事に当たってもう一歩踏み出すことへの躊躇であると思う。

       

      その時何故あの扉を開いて進まなかったかである。

      人にはあらゆる処でチャンスがと言うものが現れる。

      そのチャンスをチャンスと読み取れないでその場から踏み出さないのだ。

       

      どうしたって人と人の社会であるこの世、人の関係を持つチャンスに消極的だった。

      逆に考えれば関係を持つことへの面倒さも一因である。

      積極的と面倒の局面がいつでも有ったような気がする。

       

      どちらを選択するかで人生の方向が決まるのである。

      あの時あの人(有力者、権力者、富豪等々)と接触できるチャンスが有ったのに、どうして一歩進めなかったのかと反省の重複である。

      この世の多くは上位者でいることが世渡りの好条件である。

       

      長い物には巻かれろ的な行動が一番である。

      巻かれないで頑張る方法も有るがより苦労も多いし得るものが少ない。

      苦労を苦労と思わないと言うフレーズもあるがこれは現実的に言えば言葉を肯定しようとする理由であろう。

       

      一歩の違いがその後に大きな行動に影響することを知る。

      しかし当時即ち現場でのチャンスは中々見分けられない。

      何が良い方向に向かうのかを見極める人が成功者なのだろう。

       

      慎重さも必要だろうが冒険的な判断も必要だ、何が幸になるか禍になるか難しい判断だが躊躇していては前進がない。

      一歩突破すれば開けたはずの道を閉ざしてしまうことが多いのではと思う。

      一歩、たった一歩なのだがその一歩が地球の重さに匹敵するのだから恐ろしいのだ。

       

      反省の中に「一歩」と言う字が太く大きく描かれている。

      | 意志の強さ | 11:06 | - | - | - | - |
      改革に犠牲はつきもの、佞臣の排除は簡単ではない。
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        天声人語でも天候のことを言ってます。

        誰しもが9月の異常さを感じているのでしょう。

        「季節性感情障害」と言う病が有ると書かれています。

         

        どうもその傾向じゃないかと、神経細胞が上手く働かいない気がします。

        パソコンも同調しちゃって、変換がのろいです。

        イラツキも病のせいかも知れません。

         

        しかし評論するのは自由ですが、いい加減な表現が多くて何をかいわんやです。

        改革をしなければならない、そう思ったら、相当の覚悟が必要です。

        膿を出さねばならないのですから、膿をそのままにして、名前だけの改革がこれまでのやり方だったのではないかと。

         

        膿の原因は昔で言えば、佞臣でしょう。

        中国式に言えば、皇帝に仕える官僚たち、国の財産を私腹を肥やすために利用する、これが佞臣です。

        今読んでいる新水滸伝に出て来る官僚はほとんど全てと言ってもいいほど佞臣です。

         

        梁山泊に集まった人々は改革をするために、多大な犠牲を払いながら前進していきます。

        もちろん時間もかかります。

        しかし今、都の改革を行おうとしている小池知事に対して、何々大学の教授とかが、改革もいいが、現実との調和も必要と、言うは簡単、そんなに理想的な話では、結局絵に描いた餅になってしまいます。

         

        ここはどんな犠牲が起きようとも、全面的な戦いを行ってもらいたい、都民は誰でもそう思います。

        議会も都職員も佞臣らしい人はカットして、清々しい人たちが行政を行う体制を絶対に作って欲しい。

        小池知事が100年後の人たちのために、そう言っていることに大賛成です。

         

        清く、この言葉が今の都職員や自民党都議に無いことははっきりしています。

        ずーっと変わらない体制の中で、汚職も無く、嘘も無く、詐欺的なものもなく、そんなことは有り得ないことです。

        清く、そこには窮地に陥るようなことも覚悟のうえ、正しい行動は簡単じゃない、このことは誰でも知っています。

         

        曲がった道をまっすぐに直す、都市であれば、何十年もかかる仕事、そのために犠牲になる家だって出てきます。

        しかしまっすぐになった道は美しい、使いやすい、皆が喜ぶのです。

        自民党の政権が長すぎ、と言うか、相手を徹底的に陥れて這い上がれない状態にしてしまっている。

         

        自分たちはいいでしょうが、国民にとっちゃ迷惑です。

        何故ならば、自分たちの私服を肥やす場所にしてしまっているから、利権とはそうしたもんでしょう。

        どんどん税金を増額してしまう、もし国民を都民を思う気持ちが有ったら、増額しない方法論を考えるはずです。

         

        もし、税金が少なかったら、増額など出来っこないのです、鳥取や島根などの県はどんな予算をしているのか、都政と比較したら分かるでしょう。

        全てが佞臣なんです、利権で私腹を肥やし、まだ足りないと言って、予算を追加する、それも自由に、根回しをするだけで、議会を通してしまう、佞臣の団体以外に、どう説明しますか。

         

        舛添が広尾病院を移転させるために300億円以上の予算を簡単に議会を通したといいます。

        簡単に通ってしまう議会、それが議会民主主義ですか。

        自民党の佞臣ですよ、これから100年先を考えたら、小池知事はどんなに犠牲を出しても、それらの佞臣を排除して、清らかな政治をしてもらいたい、オリンピックが不成功でも結構、築地市場がどうなっても結構、その現実よりも佞臣を処分すべきです。

         

        蔓延(はびこ)る、雑草も刈っても刈っても出てきます、強力な殺草剤で根こそぎ退治せねばなりません。

        並大抵なことじゃない、しっかりと頑張って欲しい。

        | 意志の強さ | 09:23 | comments(0) | - | - | - |
        視野を広く、中々意識が行かない。
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          久しぶりに花の手入れをしました。

          雨に打たれたまま、1週間も放りっぱなし、可愛そうでした。

          でも強いです、枯れももしないで綺麗に咲いています。

           

          黄色いバラも一輪咲きました。

          弱弱しいですが、美しいです、やはり花の女王でしょうか。

          菊が本格的に咲いてくれそうです、既に白い花は夏ごろから咲いていますが、黄色と赤が咲きます。

           

          秋は「菊薫る」季節、又結婚の季節でもあります。

          「菊薫るこの良き日に・・・」のあいさつ文が使われます。

           

          会社を現役引退してもう10年もなりますか、その間自分の会社も興しましたが、もうそれも解散させて、今ではたま〜にビジネスする程度です。

          友人(年齢が上)がまだ会社を経営していますから、まアドバイザーになったりしてますが、景気が良くないと言ってます。

          一方、韓国の友人(若い)も会社を作ってビジネスをしていますので、応援しています。

           

          いずれも中々大変な経営状況です。

          今、何が売れて、何が欲しがっているのか、ヒット商品なるものが無いようです。

          ぼちぼち、そんな毎日を送っているようです。

           

          会社でビジネスをする、目的はお金を儲けて、何かに使う、程度で、それほど大きな目的も無いもんです。

          その何かですが、それもはっきりと決まった訳じゃないし、結果的に何故ビジネスを続けるか、これもはっきりとしません。

          年上の友人もそろそろ会社を解散させようと準備をしています。

           

          結局のところ、自宅に隠居していては老(ふ)けるだけだからビジネスを続けたい、そんなところでしょうかね。

          そこで、最近歩き始めたのはウインドウショッピングとは言っても、ウインドウ越しの店は少ないですから、この言葉も死後でしょうかね。

          商品を見に行くことです。

           

          昨日も家電の量販店に行って、パソコンやらテレビやらを見て、店員さんにいろんな話を聞いて来ました。

          最近の傾向を知らないですから、結構面白い話になりました。

          毎日インターネットでニュースを読む程度の世間しか知らない、しかし実際に世の中を覗くと、とても広い世界がありそうです。

           

          そこんところを、見たり知ったりすると、老けることも無いかなと、そんな感じを持ちました。

          しかし見ると欲しくなるものも出てきますから、その時はどうするかです。

          そんなこんなで、視野をもうちょっと広げる努力をしようかな、と感じたものです。

          | 意志の強さ | 10:00 | comments(0) | - | - | - |
          勉強しなければ、強く感じる。
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            さあ、残り二日になりました。
            今日も慌ただしい一日になりそうです。
             
            昨日は徹底的に掃除をしましたが、すればするほど広がってしまって、もうお手上げです。
            今日も続きをしたいと思いますが、切りが無い、そんな気分です。
             
            昨夜、放送大学を見てました。
            以前はよく見てたんですがね、ここんところすっかりご無沙汰でした。
             
            聞いていると、知らないことだらけですから、本当に勉強しなくっちゃと思ってしまいます。
            過去に得た知識など、大砂漠の中のほんの一個の砂粒ほどのもの、何もしっちゃいない、そんな気がしています。
            来年は勉強の年にしたい、そんな気分になっています。
             
            偉そうに、いろんなことを書いてきましたが、その根拠とする知識など皆無で、感情的な内容だった気がします。
            感情も人の持ちもの、ですが知識はもう一方の持ちものです。
             
            両方が相まって確実に立てるのでしょう、両輪、両足が満足でなければ、自立できませんからね。
            勉強、それは受験勉強だけであって、大学の専門的な勉強が本当に真剣だったかどうか、疑問です。
             
            青春と言う時代は勉学への情熱よりも、若さにあふれた感情に走ってしまったように思い起こされます。
            その後の社会生活に入ってからは、勉強はすっかり忘れて、日々の仕事に明け暮れ、身体を酷使し、頭脳は空っぽだったような気がします。
             
            現在ほど自由な時間が有る(与えれれている)、そのことに気づきませんでしたね。
            放送大学でもいいし、何か専門的な分野を切り開きたい、そんな気分です。
            来年は「気」と言う一文字を、熊野本宮大社で書かれたそうです。
             
            「やる気」が込められているとか、あやかりやいです、年男(さる)ですからね。
            | 意志の強さ | 09:33 | comments(0) | - | - | - |
            過去に栄光を持つ人はやはり凄いと思う。
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              寒いくらいに気温、空気が変わって来ました。
              北風の冷たさが肌を刺激します。

              今年の冬はどうなるのか、もうその心配をしています。
              扇風機は掃除して収納しなければと考えています。
              短パンももう着ないかな、半袖はまだ必要かな、などなど思考が錯綜しています。

              それにしても、先週米国LPG(ゴルフ)で優勝したデービスラブはもう51歳になっていました。
              我々の記憶にこの人の優勝が何回も聞きました、21勝したんですね。

              しかしここ何十年も優勝から遠ざかり、忘れていました。
              凄いのはもうシニアで活躍する人がレギュラーで優勝するんですから、驚きです。

              過去の栄光を持っている方々はたくさんおります。
              その栄光を汚(けが)さないためにも、日ごろ切磋琢磨な行動をさせているんでしょう。

              デービスラブも足の手術もしたとか、どんなに大変なことだったでしょう、しかし優勝と言う一字を達成させる何か物凄い気迫を持っているんでしょう。
              我々凡人は過去に栄光など持ち合わせていません。

              何も残っているものが有りません。
              そう思うと、栄光とは素晴らしい勲章なんでしょうね。

              その栄光は自分でつかむもの、自分の力だけのもの、なんとも逞(たく)しい努力の賜物です。
              本当に感動を受けますし、称賛もしたいです。
              来年のマスターズに出るそうですから、またまたそこで頑張って欲しいと、願うものです。

              タイガーウッズも先週のLPGで首位にもいたんですが、結果は10位でしたか、あれだけの大物も現在はスランプ状態、しかしいつかは栄光を見せつけてくれるでしょう。
              過去に持っている栄光の輝きは決して消えないものなのではと思います。

              栄光は努力の結果と言ってもいいでしょうが、天性も加わらないと、得られるものではないでしょう。
              天が与えてくれた栄光、我々もちょっとでもいいから、極小さなものでもいいから、栄光を持てたらいいですがね。
              努力不足では何も得られませんかね・・・・・・
              | 意志の強さ | 09:11 | comments(0) | - | - | - |
              出来ないのではなく、しないのです。本当にそう思います。
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                朝夕の湯たんぽのような温もりが無くなり、多少過ごしやすくなった気がします。
                気温は26度程度でしたが、二三度違いでこれだけ感じ方が異なるのですから、人の感覚は敏感です。

                スズメも元気に騒がしく鳴きさけんでいます、涼しく感じているのかどうかは分かりません。
                ここんとこ、気になることと言えば、後始末をしない人が多いかな、と感じます。

                例えば、パチンコの台から離れる時に、自分で飲んだポリ容器や缶をその場に置きっぱなしにしているんです。
                次の人に不愉快を与えることを知らないはずは有りません、自分がそのような場面に会えば嫌な気分になります。

                人に嫌な感情を与えない、その意識が有れば、必ず後始末をするものです。
                そう言う行動を出来ないと思っている人はいないでしょうが、しない人は多いのです。

                何でもそうですが、出来ないと言う難しい難題に直面することなどほとんど無く、ほとんどが出来ることが多いのですが、それをしないのです。
                これには困ったものです。

                歩きスマホをやめなさい、と言われて、それは出来ないのではなく、止めようとしないだけです。
                歩行禁煙もそうです、止めて欲しいと多くの人が言っているのに、そのみんなの意見を実行しないのです。

                ともかく、やれることは実行する、これに徹しないと良い社会にならないのが普通です。
                何故しないのか、我欲に負けると言うか、他人への心使い、もっと言えば愛でしょうか、おもいやりを持てばいいのです。

                どんなに頑張ってみても、100歳まで生き延びることが出来ないのです。
                そうしたら、積極的にやれることはやる、実行する、これが普通の考えではないかと思います。

                しない、これほど勿体ないことはないんじゃないかと、機会(チャンス)を消失しているわけで、楽しみも享受できないことも。
                「生活が豊かになれば、人は名誉と恥じを知るようになる」、と言われています。

                とすれば、現代人は豊かに見えても、実際には貧しい環境に置かれているのでしょうかね。
                現代しか無い中で生活しているわけで、自分で自分が豊かであると思えば、それでとても明るい気分になれると思います。

                出来ない、のではなく、しない、この事を常に頭の隅においていました。
                綺麗にしたい気持ちもこうした気分から生まれるのでしょう、いつも美しいものに憧れています。
                | 意志の強さ | 09:04 | comments(0) | - | - | - |
                納得する言葉は力が有りそうです。
                0
                  「貧乏人とは持たざる者のことではなく、多くを欲しがる者のことだ。」
                  と言うことを言った人がいます。
                  なるほどと納得してしまいました。

                  なるほど、これが納得した時に出る言葉です。
                  言葉だけではなく、現象でも見られます。
                  しかし納得することって以外に少ない気がします。

                  明日の選挙でも一人でも多くの議席が欲しい、それが安倍政権でしょうか、貧乏たらしい気がします。
                  政治家は貧乏人かと言いたいほど勝ちたいと言う欲望にかられています。
                  昨日の碁の番組を観ていても、この勝負はほぼ決まりと言う形勢が出来ているのに、欲張りな手を打って、結局敗北すると言う結果も有ります。

                  本人も観ている方も納得しませんね。
                  何故、人はそんなに欲望を持たねばならないのでしょうか。
                  年末の宝くじ、一等の確率は1000万分の一だそうです。
                  それでも買わなければ当たらない、と言う不思議な欲望(行動)が出るんですね。

                  当たったら私生活が変わり、悪い方に傾くと言うことも多い様です。
                  そのせいか、過去の当選した人で受け取らない人が40人もいるそうです。
                  何となく納得します。
                  欲望を誘うことってこの世には多すぎます。

                  日々の生活に納得していれば、それで十分ではないでしょうかね。
                  納得する方法は貧乏人にならないことでしょう。
                  貧乏人の定義が教えています。
                  「足(た)るを知る」だそうです。
                  | 意志の強さ | 10:37 | comments(0) | - | - | - |
                  休息、中々自分の意志で出来ないこのです。
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                    寒さを感じる時期に来ていますが今朝は特に北風の影響がもろに感じます。
                    こがらし2号が来たのでしょうか。
                    外出が億劫になってしまいます。

                    休息、休み、休憩、などなどこの辺でしようかな、と思っても中々出来ないものです。
                    ブログも2056回目の今日ですが、たまには休んでみたいとも思うのですが、机に座ると書いてしまいます。
                    休むのが勿体ない、とも思っていないんですがね。

                    どこかに休んじゃいけない、そんな意志が働くんでしょうか。
                    不思議なものです。
                    ラジオなどで投稿されるお手紙などはとても上手な文章で、感心してしまいます。

                    又、友人からのメールなどを読んでも、優れた文才が有るなあ、と感心もします。
                    その点、自分の文表現に何か物足りなさを感じるのです。
                    もう一歩前進すればいいのですが、相変わらず進歩が無い、そのことを感じます。

                    いろんなものを読むようにしているのですが、そこから学ぶことが出来ないのですから、もう諦めた方がいいのでしょうか。
                    そんな気分になっていますので、この辺で少し休息をしようかと、そう思うのです。
                    しかし明日になれば、又キーボードをたたいているんでしょう。

                    習慣的なこのキーボード時間、麻薬的な作用が働くのでしょうか。
                    疑問と言うものは常々持ち合わせていますが、自分の行動に関しては有る程度納得しているはずです。
                    時々その疑問が大きくなって、解決に苦労することも有ります。
                    失敗したなあ、このことです。

                    長い間に習慣としてしまうと、休息を取れない状況に置かれてしまいます。
                    ラジオ体操などがその部類でしょう。
                    始めると、毎日行わないと気が済まない、そんな気になります。
                    今日は寝ておこう、そんな気分を持つのですが、しかしやはりやるんですね。

                    どうも休息と意志との間に常に葛藤があるんでしょうか。
                    それが生きている証拠で有れば、何も考えることがないことかも知れません。
                    先ずは自然に生きていればいいのですかね。
                    | 意志の強さ | 09:11 | comments(0) | - | - | - |
                    粘る、粘り強い、最後まで通す。
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                      またまた台風が接近している沖縄は大変でありましょう。
                      友人にメールしましたら、慣れていますのでそれほど気にならないと言ってます。
                      去った後のかたづけが有るのでその辺だけです、と言ってます。
                      台風の通過地点ですから、一々混乱していてはどうにもならないでしょう。

                      しかし先日のように都心に来たら大騒ぎです。
                      テレビも特番ですからね。
                      自然災害の中では台風だけは予想出来るので、いろんな報道が出来るのでしょう。
                      地震でも噴火でも予知が中々難しいですから、前もっても特番は出来ません。

                      粘りのある食べ物は身体にいいです、と言います。
                      納豆しかり、山芋しかり、オクラしかり、海藻の中にも、いろんなものが有ります。
                      ですから出来るだけ食卓に載せたいものです。
                      しかしねばねば、後で洗い物をする時に若干困ったりしますがね。

                      粘る、これは食物だけではなく、人の行動にも必要なことです。
                      粘り強く最後まで行う、これが中々出来ないんです。
                      途中で投げ出しちゃう、諦めちゃう、中断してしまって後に続かないなどなどが普通です。
                      粘りは気持ちの強さに比例しますかね。

                      気長の性格もなければならないでしょう。
                      最近は短気ぽくなって来たような感じです。
                      一途に最後まで全うする、ここんところが続かないんです。
                      しかし何事も粘らねばいい結果が得られないのです。

                      そこんところを知っている積りなんですが、次々と変えてしまうのはどうしてなのか、自分でも理解に苦しむところが有るんです。
                      確かに小さいことは短気だったように思います。
                      しかし大人になるにつれて気長に物事に挑戦するようにはなったのですが、最近はまたまた短気になって来ました。
                      どうも短気は他人を受け入れる包容力が小さくなってしまうような気がします。

                      年齢を積むことで自分中心になってしまうのでしょうか。
                      昨日、有る節目になることが有りました。
                      2年半程度の結果が出ました、これは協力者がいたので出来ました。
                      ほっと胸をなでおろしています。

                      ここまで来るのに相当の手間をかけなければなりませんでした。
                      細かな伝票の整理とか、表つくりとか、計算とか、文章の作成とか、関係書類を収集するとか、ともかく粘り強く行いました。
                      その結果がとても満足できるものになり、嬉しい日でした。
                      協力者も喜んでくれました。

                      身近な人たちもほっとしていました。
                      やはり最後の結果が出るまで、粘っこくしなければならない、そういう感想を抱いています。
                      これから何が出来るか、挑戦するものが有れば粘り強くしたいと、そんな印象を持ちました。
                      | 意志の強さ | 09:42 | comments(0) | - | - | - |