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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
納得が行く、これが中々
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    やはり、小学校の校庭は子供たちが騒ぎまわっている。

    天気のいい日はこうしたもので気分転換は天候次第か。

    これから早々に出かけるが気分は最高にいい。

     

    納得の行くこと、これが常々の行動に期待するのだが中々だ。

    どうも中途半端になってしまって、とことん納得まで至らないのが普段である。

    何が原因か、時間的な余裕か、意識の欠如か、興味を持てないか、諦めやすいか等々あるがどれも当てはまる。

     

    じっくりと、究極まで事を進める根気が無いのか。

    兎も角、納得したときは至高である。

    満足とは納得の結果得られるものだろう。

     

    しかし難しいのだ。

    納得の範囲と言うかこの程度でも納得とすればほぼ問題ないのだが、納得を一段上げるともうそこまで至らない。

    だが最高点だけを狙っていても所詮は能力が伴わないから平凡なところで納得せざるを得ない。

     

    満足の原点が納得であれば、点数をさげておけばほぼ満足だ。

    ここで満足度を測定するとやはり納得度に関係している、相関関係が成り立つ。

    実に正確だ。

     

    そう性格がものを言う。

    現実主義か理想主義かで納得の度合いも異なる。

    実に人間とは勝手な考えが成立するから面白いのだ。

     

    納得させると言う言葉だってある。

    納得しないが納得してしまうことは偽装だろうが現実に有る。

    結局人間は曖昧な世界で曖昧な感覚に浸って判断している。

     

    無理に厳格な納得も必要ないのか。

    ま、そんな訳で全てに納得して満足の日々を送った方がいいか。

    歓喜を得ることが一日一回あっても良いと思っている。納得だ。

    | 自然・歓喜 | 08:36 | - | - | - | - |
    やっと行楽の条件が満を期して
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      天気晴朗の日々が続く予報にほっとしている。

      何回か旅の予定をしては台風や雨で中止にさせられた。

      やっと行楽シーズンに入った感が有る。

       

      紅葉も気温が下がったせいか急激に進んでいる。

      一日とは言えないほどの変化だ。

      今はイチョウが黄色になりつつある。

       

      紅葉になるのは太陽光の影響が大きい、午後の西日を受ける葉っぱは黄色になっているが日陰の葉っぱはまだ青い。

      随分と違うのだ、通りの両側にあるイチョウは東側は西日も受けるのでまっ黄色、だが西側は建物の日陰になるのでほとんど変化がない。

      ケヤキも一本で他の木に影響されないものは綺麗に赤くなったが並んでいるものはまだ一部だ。

       

      ここでも太陽の必要性が確認できる。

      自然界は太陽中心に回転していることを物語っている。

      昨日は空も真っ青だったから紅葉した木々の写真を何枚か撮った、その中で池に映ったラクウショウとイチョウがとても綺麗に撮れた。

       

      スマホの壁紙にしている。

      こうしてどんどん秋が深まり綺麗な色とりどりの風景がこれから見ものだ。

      秋の行楽は日本の美しさを見ることが出来る。

       

      都会では見ることが出来ない紅葉を求めて山野に足を延ばしたい。

      旅費をかけて遠くまで行かなくても近場でもいい、素晴らしい風景のあるところを見つけるのも楽しい。
      バス旅行もいい、今は安い料金でのバス旅行が繁昌している。

       

      老夫婦が多いようだが気晴らしにバスの旅と温泉はいいものだ。

      行って見たい気分だが一人旅になるので敬遠してしまう。

      だが何処かに行って見たい気分が高まってきている。

       

      いい天気が続くようだからじっくりと計画して実行しようと思っている。

      絶好の行楽シーズン到来、万歳だ!!!

       

      | 自然・歓喜 | 08:05 | - | - | - | - |
      敬う、敬われるの出来る人が居る
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        曇天から雪が落ちて来るかも、そんな雰囲気の朝です。
        北国はいつもそうした空が続きます。
        太陽の姿は久しく見る事が出来ません。
        それに反して太平洋側は晴天の連続、こうも中央にある山脈が天候を左右するものかと驚きです。

        人を敬う事が出来る、実にいい事です。
        現代の世でそうした気持ちになれる雰囲気は中々出来ません。
        疑いやら、嫌悪感が先立ち、相手の人を真摯に見ようとしない傾向がある様に痛感してます。

        これは競争社会の産物なのでしょうか?
        日々社会の中では競い合いしかありません。
        相手を蹴落として自分の位置を確保する、政治の世界は正にそうです。
        食うか食われるか弱肉強食の時代です。
        そんな世の中に敬う、尊敬すると言う気持ちが何処に現れるでしょうか?

        しかし人は心の中には敬うと言う意識は必ず有るはずです。
        自分の存在、これを実現させる為には、自分が敬われていると言う実感が欲しいのです。
        子供にお父さんと呼ばれる、この事が実は子供が父親を尊敬して居る現れだと思います。

        この自然な表現が大人になって、競争しに突入すると忘却してしまうのです。
        気持ちが、意識が別の方面につよく流れてしまって、本来持って居る自然な意識が隠されてしまってます。

        何故に競争を激化せねばならないのか?お互い様の精神は完全に失われています。
        共存はあり得ないと考えているのは自然体では無い気がします。
        夫婦、此処には共存が有りますが、それも長い間続くことの難しさ、実感しているのでは無いかと思います。

        人を敬う事を今感じているのです。
        相思相愛はお互いに思いやる気持ちが大きい時だと思います。

        一方だけの片側通行では成り立ちません。
        尊敬し合うことが出来ると強い人間になれる気がします。
        お互いの励ましが自然に生まれます。
        競争社会から互恵の社会になればいいのですが、難問でしょうか?
        | 自然・歓喜 | 08:06 | comments(0) | - | - | - |
        懐かしい思い出、過ぎ去りし日々に有った。
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          朝の空気がすっかり変わった感じです。

          湿度が高くても(今部屋の中70%、気温28度)何らムシムシしません。

          少し前でしたら、もうエアコンが必要だったのに、どこが違うのか、体感と言うものが不思議なものです。

           

          9月に入ったら、何か忙しくなりそうな気配です。

          友人と残暑ビールの誘いがいくつか有ります。

          又海外から友人が一時帰国しますので、食事やら買い物やら、一緒にします。

           

          気候も良くなったんで、散策も計画しています。

          もちろん旨い魚と酒がつきものです。

          そして、後半になったら仕事の準備をします。

           

          こうして一か月にいろいろな予定が有ることは最近珍しいのです。

          現役時代は毎日が予定に押し流されて、日々を送ってました。

          引退後はのんびり過ぎるくらいですから、こうした予定は嬉しいものです。

           

          過去を考えてみれば、懐かしいことっていっぱい有ります。

          懐かしいって、言ってみれば経験から生まれてますよね。

          経験、それは一人じゃないのが、友人が有ることが一番残ります。

           

          子供の頃の友達、今はほとんどお付き合いしている人はいませんが、懐かしい思い出が浮かびます。

          残っている写真はちっちゃな、白黒の、ぼやけた写り、でもそこから当時の生活がよみがえって来ます。

          その後も学校の友、長い長い期間、勉強と遊びでいろんな人との交流、あの人はどうしているかと、懐かしむことしかり。

           

          社会に出てからも、諸先輩から指導を受けて、一人前になる、そこには必ずいい先輩に巡り合いが有り、懐かしむものです。

          人は一人では生きていけない、過去を振り返って初めて分かることです。

          もし、友人も、友も少なかったら、懐かしむ思い出も微々たるものになったでしょう。

           

          今はいっぱい満載の懐かしみが有ります。

          そのほとんどが友から得られたものでしょう。

          今月はそうした友と共に過ごせる機会が多くなりそうなので、とてもウキウキしています。

           

          最近でも新しい友が出来ています、いい関係を作って行きたいと、後に懐かしむ思いを作るために。

          秋はどうも感傷的になるんでしょうか。

          ですから、秋はきっと友を求めるのかも知れません。

           

          語り合う、時間を忘れて、何を話そうか、と言う心配は有りませんね。

          どんどん懐かしい思い出に浸れます。

          ああ、楽しい秋を見つけました。

          | 自然・歓喜 | 09:36 | comments(0) | - | - | - |
          旬は旨い、これぞ待つ楽しみ。
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            台風が又もや接近中、何だか変な天気です。

            こんなに連続で何回も来ることなど経験がないです。

            第一沖縄に台風がいかなかったのが不思議です。

             

            Uターンするとは思いもしませんでした。

            お盆帰りじゃ無いんです。

            今回で終わりにして欲しいもんです。

             

            今が旬、先ずは「さんま」旨いですね。

            待ってましたとばかりに、初水揚げした翌日にはスーパーに並んでましたから食べましたよ。

            塩焼きが一番です。

             

            あぶらもたっぷりと有りましたから、旨かった。

            今夜もさんまにしようと思っています。

            台風の来る前ですから、魚(うお)が出来たでしょう。

             

            それに果物が旬を迎えて、旨いものばかり、甘さも度を越しています。

            いちじくが旨い、実は甘すぎて若干閉口していますが。

            さつま芋、金時ですが、これも旨い。

             

            そしてカボチャが出来がいいですよ。

            ホクホクして舌触り、感触が最高、甘みも有り、何とも言えないほど旨い。

            今年は当たり年じゃないかと思うほどです。

             

            毎日の食卓にかぼちゃとさつま芋の煮たものを載せています。

            あっという間に食べてしまい、次の準備です。

            イカも北海道産のスルメいかがりっぱに成長しているから、旨いですよ。

             

            確か、函館などでは朝からイカを食べると聞いたことが有ります。

            さすがに獲り立てが旨いでしょうね、食べてみたいです。

            まだまだあります旬の食べ物、「馬肥える秋」人も同様ですか。

             

            甘さ控えめ、しかし熟したものに甘さを抑えることは出来ません。

            自然に出来た宝を頂く、体重を気にしない。

            人間は冬眠しないから、太る必要がないのかも、しかし秋はいっぱい食べて太っておくことが自然かも知れません。

             

            ああ、旨いものがいっぱい、毎日のメニューが楽しいです。

             

             

            | 自然・歓喜 | 08:40 | comments(0) | - | - | - |
            自然(人の手が及ばないところ)が身近にある、ちょっと踏み込めば。
            0
              先ずは銀の鈴を用意せねばなりません、昨日は最高の天候に恵まれた理由はてるてる坊主のお陰でした。
              数日前からお願いしておりました、そして昨日電車に乗ってから、空が雲を消化し始め、現地についたころには太陽が燦々と輝いて来ました。
              「てるてる坊主てる坊主、明日天気にしておくれ・・・・晴れたら銀の鈴あげよう」唱歌にあるように、次も又願いたい。

              三浦半島に手つかずの自然があります、小網代(こあじろ)の森です。
              一歩踏み込むと、うっそうとした自然林に圧倒されます。
              こんなに都心から近いところに(京急品川から約1時間)、こんな自然が有るなんて、行ってみて驚きを感じます。

              友人6人、みな感嘆の喜びを受けたのです。
              ある友人は昨年沖縄に行って、自然に触れたときよりも、ここの方が感動したと。
              何万円も旅費を使って旅した豪華な沖縄より、何千円かの簡素な旅でも感動が享受できることを教えてくれます。

              光景を書くにはやや勿体ない気分です。
              やはり現地に行ってみて、光景を眺めて、感動する、この段階がどうしても必要です。
              そうして自然林を抜けると、海岸(入江)が現れます。

              この日の目的の二つ目がそこに待ち構えているのです。
              この日を選んだ理由にもなります。
              それは潮の満ち引きに関するもので、干潮時に何かが起きると言う現象です。

              海水が引き、海の底が現れます、その干潟に戯れるちっちゃなちっちゃなカニさんがいます。
              先ずは大きさをしっかりと知ることから、そして徐々に目が慣れて来ます。
              すると、カニさんたちはリズミカルな動きをしています。

              その数は目に留まる範囲でも何十匹もいます、そのカニさんが両手を上げて踊るんです。
              俗に言う「カニダンス」です。
              ほぼ同じリズムで踊りますから、ラインダンス(古いかな)の様な、足ではなく手を一斉に上げるんです。

              可愛い、その一言です。
              それも男の子が踊り、女の子は周りで見ています、上手に踊れる子を探して、そして見つけると、巣(穴)の中に勢いよく姿を隠してしまいます。
              中で何が起きているかは想像出来そうですが、子育ての前段階でしょうか。

              これも自然かと思わせます、植物(森林)の重厚感、反して動物の軽快な動き、何ともよく融合、両立しています。
              この自然な姿、崇高なものを見る思いです。
              身近に、この地球に住んでいて、感じられるところを持っているのがどんなに素晴らしいか、絶対にここは未来まで残さねばなりません。

              破壊動物の人間、地球をどんどん変えていく人間、ここの自然を覗いたら、心痛の思いに駆られるでしょう。
              サミットの開かれた伊勢の島々、そこにも自然がいっぱい残っているんでしょうね。
              カニダンスしている干潟もきっと有るはず。

              小網代の森は昨年も行きました、毎年行くことにしたいと思っています。
              自然に触れて、感動して、自然の英気を受け取りに。
              いい旅でした、てるてる坊主にも感謝です、一日違いの今日だったら、雨に打たれた散策になってましたでしょう。

              自然に接した後はいつものように、酔うまで飲む、これも自然体かも知れませんが。
               
              | 自然・歓喜 | 08:19 | comments(0) | - | - | - |
              2500回のブログ投稿記念、2009年1月スタートから。
              0
                今日で2500回目の投稿になります。
                自分でもよく続いたと、感心しています。
                2009年1月22日初めて書きました。

                それからほぼ毎日書き続けました。
                書く目的はそれほど確たるものを持ってはいませんでした。
                ただ書きたいと言う意欲が有ったので続いたのではと思っています。

                何分自分の偏見で書いていますから、読んでい戴いている方々には疑問も多々あるかと思います。
                その辺はお許しいただきたく、お願いする次第です。
                アクセスも35万を超えていますので、皆さんに感謝しています。

                アクセス数は気にせずに投稿していますが、とても多い時にはびっくり、驚きを感じます。
                こうして毎朝の習慣になりましたから、書けないときは若干寂しいものが有ります。
                何かを育てているような、日々欠かせない何かを感じます。

                主な題材は日々の暮らしの中から探します。
                インターネットの記事を読み、周りの方々の話を聞き、友人や知人・仲間などなどの情報から、時には恋人(嘘?)から、小説から、自然の交わりから、もう限りない広がりが有ります。

                その意識を持つことが好きなんですかね、昔会社の先輩から「目ざとい」と言われたことが有ります。
                確かに言われればそうかも知れません、物を探す・見る・観察するのが好きなんでしょうかね。
                そして子供のころから、小説が好きでしたので、いつかは小説を書きたいとも思っていました。

                しかし小説を書く真似をしたことは何回も有りましたが、上手く行きませんでした。
                どうもその方面の才能が無かったと、気長に文章を練りあげたりする気質に欠けていたような気がします。
                短文なら比較的気にならずに書けます、ですからブログは丁度自分の適合していたんではと、そんなことを考えています。

                何分、平易な文しか書けませんので、たまにはこってりとしたステーキのような文も書きたいんですが、出来ないですね。
                依然として、小学校時代の作文から抜け出していません、その程度です。
                しかし書くことが好きなんです、ですから仕事の後の報告書など気にならずに書いてしまいます。

                学生のころ恋人がいましたので、当時はラブレター時代、2年間で200通ほど書いた記憶が有ります。
                その方とお別れしてから一度も書いていない、済まないことだと思っています。
                現代はメール時代、友人・知人などなど結構多く書きます。

                どうやら文章を作ることへの執念が有るのかも知れません、これからも3000回を目標に書き続けます。
                今日は母の命日です、その日に記念になるものが出来てとても幸せです。
                幸せを感じる、いい日になりました。
                | 自然・歓喜 | 09:36 | comments(0) | - | - | - |
                いよいよ明日は2016年幕明け
                0
                  2015年の数字は今日限り、そう考えると寂しいのです。
                  西暦は1年から始まったんでしょうから、それから2000年以上も過ぎている現在、全ての歴史を知りたいものです。
                  1年目はどんな風に世界が動いていたんでしょうか。
                   
                  キリストがどうなった時に西暦が生まれたんでしょうか。
                  誰がそれを流行らせたのでしょうか。
                   
                  もう世の中西暦の時代、平成などの数字は役所の書類だけになったような。
                  いやはや、西暦のはじめっからを調べねばなりませんかね、そして現在に至るまで。
                  国立図書館にでも行けば、調べられるかどうか、来年はその辺を鍵にしましょう。
                   
                  ともあれ、2015年は終わります、カレンダーは新しいものを用意して、明日を待ちます。
                  正月のお祝い、それは西暦の祝いでもあります。
                  日本の伝統は旧暦でしょうから、日本人の奥深くには西暦正月に違和感が有るのでしょうかね。
                   
                  特に最近の傾向は正月気分など感じられない、新しい気分も感じなくなったんでしょうかね。
                  そんなこんなで時代は変わります、その変化を数字化するのが西暦の暦でしょうか。
                  まだまだ年末のやるべきことが残っています、正月料理の用意です。
                   
                  忙しさから逃避できない、それが生きている証ですかね。
                  | 自然・歓喜 | 09:53 | comments(0) | - | - | - |
                  快適さ、自然の中にしか無い。
                  0
                    なんと、まあ、こんなに快適な朝が有るなんて、自然とは素晴らしい。
                    と言う感想が今朝の気分です。

                    気温23度、湿度は72%ですが、なんとも言いようがないほど気持ちがいいです。
                    身体にとって快適を感じることって、本当に少ない気がします。

                    今朝は貴重な時間なのかも知れません。
                    自然が作り出す気候、耐えがたいほど辛い天候が多い中、こうした極々少ない気持ちよさに満足です。

                    この快適と言う言葉、自然の中にしかないように思います。
                    お金がたくさん儲けたとしても、快適と言う気持ちと違います。

                    勝負に勝った、としても満足度に快適と言う感覚にならないでしょう。
                    その逆に損した、負けたとなると、これが快適につながる訳もないです。

                    素晴らしい朝に感謝、自然に感謝です。
                    しかし、人はこうした快適さを有りがたく思う人は少ないのではないかと思います。

                    即ち、自然と言う大事なものを無視しがちです。
                    自然の中にいること、その事さえ忘れている、特に都会では山も見えないし、海も見えない、建物だけが目の前に有るだけ、そこに自然を見出すことが出来ません。

                    ですが、自然は有るのです、見出すことが出来るのです。
                    日々あくせく働く労働で草臥(くたび)れてしまい、この大自然に鈍感になってしまっているだけです。

                    自然と接する、それは旅に行けば感じる、と言うでしょうが、ここ都会にも自然がたくさん有るんです。
                    自然に教えられています、先日から書いていますが、スズメです。

                    スズメは大変にお利口さんです。
                    残ったご飯粒をあげていますが、一粒も残さずに食べてます。

                    この一粒、スズメたちがどんなに食料不足しているかが伺えます。
                    我々もそうでした、子供の頃の食料はとても少なく、米びつのご飯を一粒も残すことなく、しゃもじに着いたご飯粒まで食べました。

                    今はどうでしょうか、ご飯粒が流し台から流されて下水へと、各家庭のこれを集めたら膨大な量になります。
                    スズメが欲しがっているごはん、しかし流しから出て行ったら、もう食料ではなく、廃棄物になってしまいます。

                    こうしたことが現代の姿で、全てに言えるのではないでしょうか。
                    食(く)い物を粗末にしてはいけません、これが親からきつく言われたことです。

                    しかし現代は粗末にしています、飽食と言うよりは、気持ちが粗末になっているような気がします。
                    スズメに習い、大事な食物、粗末にしない、その気持ちを忘れてはいけません。

                    自然とは今日のような快適なものを与えて(教えて)くれるところです。
                    その大事なものを感じとり、気持ちよく一日を過ごしたいです。
                    | 自然・歓喜 | 09:06 | comments(0) | - | - | - |
                    待つ、これほど楽しい事は無いです。
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                      春霞、なんともこの時期にふさわしい今朝の模様でした。
                      好きなんです、この霞んだ雰囲気がもやっているのが、どことなく柔らかな気分にさせます。
                      「さくら」の歌にも、霞か雲か・・・と有ります、春の象徴的な現象です。

                      やっとここまで来たなあ、そんな印象を今朝は持ちました。
                      もう寒さも来ないのではと、自信を持ちます。
                      待ってました、このことです。

                      待つってのは長く長く感じるものです。
                      しかし来れば本当に嬉しいのです。
                      待つことが長ければ長いほど、その嬉しさ、感動は大きいです。

                      長い冬の北国はまだまだ寒さが厳しいのでしょうが、その中でもちょっとした変化が有るかも知れません。
                      春の気配を感じる時期でしょう。
                      「暑さ寒さも彼岸まで」この言葉を思いついた人は凄いです。
                      天気予報官だって気づかないのではないかと。

                      その「待つ楽しみ」、これをうんと持てば人生が面白くなるんではないでしょうか。
                      待つ、これは期待することが大きく、結果で失望も有りますが、そこまでの工程がいいんですよね。
                      4月6日の花見の予定をしています。
                      いつものメンバーといつもの場所です、その日が来るまで楽しみに待つのです。

                      6月ごろ、旅を予定しています、そのまでの計画を進めるだけでもうきうきして来ます。
                      若い人はそうした「待つ」ことが多く有り、いっぱい楽しみが有るのでしょう。
                      恋人を待つ、有楽町で逢いましょう、なんて昔は歌にまで出てきました。
                      人と会う、これほど待つ楽しみは無いでしょう。

                      友人(彼女?)がバンクーバーに行っています、一昨日も電話が有りました。
                      今年は会えるかも知れない、予定は確定していませんが、その日が来るまでとても楽しみにしています。
                      ともかく、そうした未来への希望を持ち、何かを待つ、これは日々の過ごす中でいっぱい有った方がいいです。
                      春はうきうきする気分になります、そこにはきっと待つ、待っていた、そのことが有ったのです。

                      「待つ身にもなって」、そんなセリフも有りますが、そこには辛さを超えた期待と楽しさが混同しているかと思います。
                      待つ、待たせる、それが人生なのでしょうかね。
                      浮世と言う言葉もこの辺から出て来たんじゃないかと、いいものです。
                      「春霞 浮世の花に 酔いしれて」
                      | 自然・歓喜 | 09:19 | comments(0) | - | - | - |