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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
こんな時(猛烈な暑さ)の危機管理はどうなっているのでしょうか?
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    もし電気が来なかったら、そう思う事は無いでしょうか。

    どうすればいいか、熱中症で多くの命が奪われてしまうでしょう。

    こまめに水分の補給、塩分の補給だけで生きていけるでしょうか。

     

    とても気になりだしました。

    都内に(通勤・仕事・遊び・買い物等々)昼間はどれほどの人数かは把握できていないでしょうが、その内の何割かが熱中症になり、搬送先の病院も電気が使えないとしたら、どんな危険が待っているでしょうか。

     

    政府はその辺を何も説明していません。

    なった暁に大惨事が起きたと言う結果論だけになるのでしょうか。

    事前に手を打つ事はないのでしょうか。

     

    月曜日は都内で39度の予報が出ています、恐ろしい数字です。

    もしその時、雷雨でもって変電所が数か所機能停止になったら、その地区はどうなるのでしょうか。

    考えたくない事柄ですが、自然の猛威は人間・動物に遠慮はしません。

     

    水害でもそうでした、ちょろちょろ流れている水は決して害になりませんが、暴れた濁流になれば人を呑み、家を崩壊し、作物を壊滅してしまいます。

    全てが重大な被害に会います。

    危機管理とはそうした災害が来る前にやるべき事を考えるのが筋でしょう。

     

    もし停電になったら、この一点だけでも考慮しただけで、相当な対応策を考えておかねばならないでしょう。

    停電即冷房が使用不能、そうしたらどう対応すればいいのでしょうか。

    気温35度とは言っても、直射日光は50度程度になっているはず、屋外に居る人は干からびてしまいます。

     

    水が貴重だと水害で水道水が使えなかった人々は口々に言っています。

    砂漠でも一滴の水が命の泉になります。

    停電は水道水を送るポンプが停止します、即ち水道水を得る事が出来ません。

     

    気温体温が上昇し、水分補給が出来ない状態になったら、そういった危機を想定する必要は無いのでしょうか。

    戦争で敵が来襲してくるために、戦闘機を数千万で買う、これも危機管理で必要でしょうが、現時点で後10日間は日照りが続くとしたら、当面の猛暑対策を考えておくべき時です。

    家庭では水の確保を十分にしておくこと、塩飴などを用意しておくこと、冷蔵庫に氷をたくさん作っておくこと、保冷材も冷やして置く事、団扇の用意、涼しい場所の確認、等々それはそれはたくさん有ります。

     

    災害で多くの犠牲者は今度の水害でもそうですが、老人です。

    老人は危機に対応する能力が減退しています、それを援助支援するのが危機管理の仕事でしょう。

    危険は迫っています、気象も危険状態に突入しています、今行う危機管理は?政府は熟慮する時です。

    | 自然・気がかり | 09:42 | - | - | - | - |
    梅雨の戻りか、台風か。湿度が気になります。
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      いやはや湿度の高い事、身体がべとべとした感じです。

      梅雨の戻りかも知れません。

      梅雨前線が日本中をすっぽり覆っています。

       

      雨も降っていますから気分がのりません、保育園の園児たちの声も聞こえて来ません、部屋の中で騒いでいるのかどうか。

      今年は台風の当たり年になるのかどうか、もう8号が発生して大型に発達しているとか、これまた日本に影響するでしょう。

      梅雨明けで暑さにまいってましたが、今度は湿度でまいってます。

       

      天候に左右されて体調を崩している方もおおくいるのではと、腰痛持ちですからちょっと辛いところが有ります。

      重いと言うか、軽い痛みも感じます、湿度のせいだと思っています。

      なんにしても灼熱の太陽が出てくれた方が歓迎です。

       

      じとじとした雰囲気は良くないです。

      友人(大学の同級生)が一昨日亡くなりました、胃がんと心筋梗塞だったようですが、半年間の闘病の末に天国に行きました。

      もう我々は寿命が近づいていますから当然の成り行きです。

       

      74歳は徳川家康の寿命と同じです、これから10年の間が不幸の知らせを受けることが多くなるでしょう。

      もう「幸多かれ」の場に招待されることが無くなってます。

      人生とは梅雨の様なじめじめしたものかもしれません。

       

      梅雨の合間のカラッとした天気は人生でも同様に少ないです。

      それにしても豪雨で各地の被害が心配です、孤立してしまった家を救助する自衛隊に期待したいです。

      自衛隊は憲法を変えて軍隊にすると言うことになれば災害時の派遣はどうなるのか、これまた心配です。

       

      何もない平穏な自然現象になって欲しい、の一言です。

      | 自然・気がかり | 09:21 | - | - | - | - |
      人口問題が出ていた、子供を産む勲章。
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        雨の一日が始まっています。

        校庭は水たまりがあちこち見えます、運動は出来ない状態で教室で子供たちは騒いでいるのでしょうか。

        ちょっと可哀そうです。

         

        今朝の記事に日本の人口減少についてありました。

        人口がどんどん減って行く状況に歯止めがかからないようです。

        あと何年かすれば1億人も割ってしまいそうだとも言ってます。

         

        そうなると、子供を育てる事に意味が無くなってしまいそうな気がします。

        子供が大人になってどんなに苦労するのかを考えれば、子供を産むと言う意識が途絶える様にも思えます。

        とても悲惨な状況になって来たと思います。

         

        人口問題は働き方改革以上に問題が大きいと考えねばなりません。

        老人の人口も増え続けています、社会保障と言うものが破壊するのは時間の問題でしょう。

        年金や医療費等々の保証が有ればこそ老人は暮らしていけます。

         

        それが子供たちが大人になった時に働けど働けど給料の半分以上が社会保障費に取られてしまう時代が来ます。

        働く意欲だって無くなってしまうでしょう、暮らしも貧困状態に落ち込むことでしょう。

        昔江戸時代の農家の年貢と同じような取り立てをされたら、サラリーマンは一体何を楽しみに生きていくのでしょうか。

         

        働き方改革で女性の働く場を多くすることはいいとしても、子供を産む事を優先する方針が必要だと思うのです。

        少なくとも子供は4人から5人を育てる環境を作るべきでしょう。

        その為には住まいを大きくせねばなりません、今の住宅事情では5人を育てるスペースが有りません。

         

        日本は住宅にお金がかかり過ぎです、もっと安いく住宅を供給する方策が今求められているものです。

        新婚の夫婦には特別でもいいから、広い部屋を提供し、子供を5人程度になっても暮らせる環境を作ってあげて欲しい。

        我々の時代は兄弟5人、6人は普通でした、同級生の中には12人もいた人もいました。

         

        もちろん、我々の生まれた環境は戦争中か終戦直後ですから子供を育てるには苦痛を伴っていたことでしょう。

        しかし子供はどんな環境でも育つものです、布団など無く兄弟が一つの布団で3人も寝ていたものです。

        そうして育った我々が日本の経済を世界第二位まで押し上げた力の基になったのです。

         

        現代は子供が3人いれば多い方で2人どまりになっているのでしょう、2人じゃ絶対に人口増加は望めません。

        社会の規模を小さく出来ればいいのですが、国家予算は毎年上昇させている現状では税金の額も増える一方です。

        人口減少と比例して、国家予算も減らす、そのような政治を行なえば、国民としても何らかの方法を駆使して子供を産むことになると思うのです。

         

        喫緊の問題は人口減少です、社会保障の恩恵を受けている我々老人はまだ救われています、が20年先や50年先にも老人は存在する訳です。

        その老人が恩恵から見放されたら、どんなに辛い老後になるでしょう。

        想像するだけでも空恐ろしい社会です。

         

        今からでも遅くは無い、政府が真剣になって子供作りの対策を推進することが大事なことです。

        セクハラがどうとか、言う問題はそれはそれで罪をきせねばなりませんが、子供を産むと言う事に敬意を払うための賞を、勲章を授与すべき時期に来ています。

        文化勲章も良いですが、子供を産むことの方が勲章に値すると思えて来ました。

         

        | 自然・気がかり | 09:07 | - | - | - | - |
        名門故に変わらない、変われない、昔の大大名もそうだった。
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          今朝の花じゃなく鼻の状態は水っぱなに悩まされています。

          早速薬を飲んだんですが効き目は無しと言えるでしょう。

          予報マークも真っ赤かですから、杉花粉の日かと思わせます。

           

          今日は大変な一日になりそうです。

          寒さも戻って来て三寒四温の言葉を作った人は気象予報官よりも優れモノです。

          でも暖房を入れる程でもないし、中途半端な朝です、これから太陽が出て来るのかどうか、嫌な天候です。

           

          そんなこんなで季節は変化していきますが、人間社会では課題がいっぱい有ります。

          又かと思わせる事が度々記事に上ります。

          昨日は神鋼(神戸製鋼)の社長辞任発表が有ったそうですが今朝の記事で読みました。

           

          名門の鉄鋼会社の社長ともなれば、意気揚々と鼻高な位置でしたでしょう。

          しかし5年と言う期間に会社を盛り上げ成功したかに見えた会社が窮地に立たされてしまったのです。

          辞任せざるを得ないことになったのです。

           

          社長の力だけで会社の盛衰は決まらないでしょうが、改革をしなければと言う思いは社長の立場では当然有るでしょう。

          しかし名門には名門らしさが要求される、と言うか名門の名前の陰に潜んでいる虚栄心なるものが問題になります。

          所謂、見栄(虚栄)です、中身が貧弱でも外装を飾る事で、既に飾られていた事で凄いと思われてしますのです。

           

          昔はデパートの包み(包装)がそうでした、お歳暮お中元はバラのマーク(高島屋)でなくてはならない、と見栄を張ったものです。

          今じゃ、スーパーから送っても喜ばれるのは同じです。

          そうした見栄・虚栄の中に、驕慢が蔓延ってしまったことです。

           

          上杉家と言う戦国時代に名門と言われた藩(国)が落ちぶれて会津120万石から米沢30万石に、そして藩主の引継ぎで失態し15万石へとどんどん下がっていったにも関わらず、国を見ている執政者たちは相変わらず大大名の気分でいたために、改革は進まなかったと小説に書かれていました。

          まさしく名門気取りと言うものがこの現代でも引き継がれていることを知らさせます。

          改革は進まない、そして驕慢が不正を導いた、規格外でも納入することに何の疑問も持たなかったと。

           

          社長一人の責任では無いにしろ会社(国)の代表者で有る以上、何らかの行動はしかるべきです。

          しかし社長がどんなに改革したくても周りの見栄保持者がいる限り体質は変わらないでしょう。

          同じようなことは東芝でも起きた事は記憶に新しいことです。

           

          東芝はついに外部社長を選択しました、即ち新殿様は別の藩(国)から来てもらったのです、自分たちの藩の中から見いだせない状態だったのです。

          これは上杉家でも同様でしたが昔は藩を潰すか、永続するならば殿様は家系を守っていかねばならなかったのです。

          しかしもう一つの方法がありました、それは養子縁組をして別の藩から有能な人を連れてくる例です。

           

          こうして藩が滅亡寸前まで名門意識は変わらないのです。

          神鋼も東芝も名門故の苦難に遭遇しているのでしょう。

          日本の企業は今後こうした名門が危機に立たされる可能性が多いと示唆しているのかも知れません。

           

          次の不正はどこに火の手が上がるのか、既に上がっているとも言えます。

          財務省の文章偽装問題が、これも財務省と言う政界の名門中の名門ですから、驕慢も当然のこと蔓延っているでしょう。

          手を打つ事が出来るかどうか、中々難しいですよ、首相だって投げやり的な発言をしているように見えますから。

           

          多分、首相が何を言っても財務大臣(麻生)の大ボスが聴く耳を持たないのが現在の執政者仲間でしょう。

          残念なことですが、平穏な時代が続くとそうした傾向が出て来るのが人間社会です。

          | 自然・気がかり | 09:33 | - | - | - | - |
          雪の首都になるかどうか
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            雲がだんだん厚みを増してきたような感じがします。

            どうやら雪模様になって来たようです。

            天気予報が見事に当たりました。

             

            今外を見たら雪が舞い始めました。9時55分。

            粉雪ですから外気温が低いのでしょう。

            このまま夕方までこの状態が続けば積もることになります。

             

            ここでは珍しい雪ですが雪国では嫌になるほど経験する光景です。

            さて早めに買い物に行かないと足元が不安定になってしまいます。

            それにしても夕方まで降り続けば交通機関に影響が出る事になります。

             

            ニュースでも早めの帰宅を促していますが仕事との関係もあり判断に苦慮することでしょう。

            滅多にない雪の化粧、是非と願うのですが首都だけに交通のマヒ状態は避けたいものです。

            矛盾の中でやはり化粧を見たい気分です。

             

            地下鉄は雪の影響が無いでしょう。

            これは雪だけじゃなく自然災害を避ける方法として最適かも知れません。

            都内は地下と言う地下に鉄道が走ってます。

             

            これほど多くの地下鉄は世界中でも一番でしょう。

            雪に交通遮断されても地下鉄は動くでしょうから混雑はピークになってしまうでしょう。

            必要のない外出は避けて欲しいと天気予報官が言うのも理解できます。

             

            ともあれ、珍しい雪に心が躍ります。

            流石に小学校の校庭には子供たちがいません、体育館で走ってます。

            では買い物に出かけます。

             

            | 自然・気がかり | 10:08 | - | - | - | - |
            愛情が何処に有りますか?
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              長雨は続く、雨雨降れ降れもっと降れ・・・歌の文句じゃないけどやけっぱちになって来た。

              台風も追い打ちだから二重ビンタを喰らった感じである。

              今はビンタと言う行為は禁止されているかどうか分からないが子供のころは良くビンタを張られたのもだ。

               

              ビンタ即ち頬を平手で殴られることだ。

              思い切り殴る先生も居たなあ、痛かったよ。

              ビンタは大よそ軽く殴るものじゃ無いから顔から火が出る時だってあったよ。

               

              それもこれも悪い事の戒めであり更生なのだ。

              殴られて悔しいし殴り返したいが相手が本気の場合は危険であった。

              やはり殴られる理由があるからだ。

               

              ビンタだけじゃない頭をげんこつで殴られるとこれは痛いもんじゃない後々こぶが出来ることだって有った。

              げんこつも死語になったか分からないが最近は聞いたことが無い。

              ついで尻を叩くこともあった、こちらは軽傷?で痛みは少ないが広範囲である。

               

              抓(つね)られる主に頬をやられるこれは局所でとても痛かった。

              これは母親に叱られる時が多かった。

              他にも有ったような気がするが全て愛情の表現だったのかも知れない。

               

              子供の成長には間違いが多いと言うか勘違いや知らないでの行動である。

              それを正すのが叱る理由だ。

              もちろん悪ガキは怒られるのを承知で事をすることもある。

               

              知られなければ悪い事をして面白がる、ばれたら大変な仕置きが待っているのだ。

              このアバンチュールも楽しかったのだ。

              子供と大人の騙し合い的なことだが、いざ自分が大人になったときには同じ様に子供に接するのだ。

               

              しかし我々の時代から相当に変わった気がする。

              我々は戦中に生まれたが戦争は全く覚えていない。

              都下の空襲警報で家の庭の防空壕(穴を作っていたと言う)に母親におんぶされて入ったそうだが記憶は無い。

               

              そうした戦争の苦い経験をしていないのが何らかの生き方に変化が起きたのか?分からない。

              我々は先輩や先生から殴られることが当たり前で育った。

              しかし我々の時代人から子供を殴る行為はしなくなった様に思う。

               

              昔は親子の間に口論など無い、反抗すればたちまち殴られるのだから。

              時代は親子喧嘩に変化が生まれ口論やら無口で抵抗し陰湿になって来た。

              今はどんな親子喧嘩かは経験してないので分からないがどんどん陰湿化したのかどうか。

               

              陰湿の原因が愛情だと思うのだ。

              我々子供のころは親だけじゃない地域の人々は子供を大事にするがために愛情を与えてたのだ。

              愛情の表現が子供を叱り殴りいい方向に導いたのだ。

               

              確かに殴ることは悪い行為と言えるがしかし痛みは一瞬であり更生する動機付けは十分に働く。

              これが愛情だろうと思い出す。

              実際に叱らない殴らないとなると、本当に子どもに愛情を持っていたかと言うと疑問に思える。

               

              子供を深く思っていないのかも知れない。

              現代の子供たちは無邪気に大声で騒ぎ叱られない。

              その為にレストランなどで老人が騒がしいと怒鳴ったりする。

               

              親よりも老人の方が愛情をもって子供たちに何かを教えているのかも。

              愛情はもう無限にあるものだ。

              しかし姿は無い、表現しても伝わらないことも多い。

               

              愛情に満ち足りることなど有り得ないことだが実は逆なのだ。

              愛情に満足しているからこそ日常の生活が安定している。

              ご婦人方は得てして井戸端会議になると悪口を言うことが普通だ。

               

              しかし言えると言う事実が愛情から発する信頼の証であり安心の世界なのだ。

              もし愛情がなければ夫の悪口など口に出ない出せない、不安だから言ってしまったてばれたら大変な事態が。

              そうなのだ平凡に生きていると言う環境に愛情がいっぱい詰まっているのである。

               

              愛情はどこにと探す必要はないどこにでもあるのだ、そして愛情をいっぱい与えるのだ。

              良い事をするには愛情が根底にある。

              愛情は無駄にはならない、相手に通じないと思うことを止めればいい。

              | 自然・気がかり | 09:30 | - | - | - | - |
              色鮮やかと褪(あ)せた色の違い
              0

                やっと晴天が戻ってきたしかし夕方には雨になると言う。

                つかの間の太陽に感謝し紫外線を浴びたい、折角の日焼けがどんどん落ちてしまっている。

                早速外出して精一杯歩き回りたい。

                 

                紅葉はまだ鮮やかさに至ってないが気温が低くなって来たので間もなく美しさを表すであろう。

                そして色あせて落葉する。

                冬の到来である。

                 

                それが自然の姿であるが人の世にも同様なことが起きる。

                人には華やかな時期がは必ずある。

                若い時でも壮年になってからでも老年になってからでも一度はぱっと花咲く時期が有る。

                 

                鮮やかなの言葉はとても感動的で感激を覚える。

                しかし褪せて来るとなると何とも言いようがないほど気が滅入ってしまう。

                外部者からは可哀そうにと言う同情さえ生まれる。

                 

                色は褪せてはいけないのだがどうにもならないことだ。

                昨日ここの地域の希望の党候補が車に立って手を振って通り過ぎた。

                一昨日は駅前で街頭演説していた、しかしだ反応が全くないのだ。

                 

                手も振らないし演説に聞くものが一人も集まらない。

                これほど都民から捨てられてしまったのか、色あせて落ち葉になってしまったのか可哀そうな気持ちで見ていた。

                一度褪せてしまったら鮮やかさを取り戻すことなど不可能だ。

                 

                人も皺がでたら元には戻らない、もちろん人工的にヒアルロン酸注入を行なえば皺を無くすことが出来るが自然体で有れば不可能だ。

                そんなことだから今度の選挙は希望の党自体が失敗作であった。

                しかし政界だけの話ではない企業の中にも失敗して鮮やかさを消滅しているところが次々に出て来るものだ。

                その失敗は人為的な原因で起きている。

                 

                神戸製鋼が40年前から改ざしていたと言うことが明らかになった。

                ではその鉄鋼を使った橋梁などは本当に安全何だろうか。

                何処にどれだけ使われたのかを調査するのは不可能であろう。

                 

                500社に及ぶ納入会社が有ると言う購入して作った建物や部品を一々調べることなど全く不可能である。

                では危険範囲の納入品が有ったのかどうかである。

                それすら40年と言う実勢から調べるものも不可能だ。

                 

                完全に会社の色カラーを消失してしまった状態になって今後生き残れるのだろうか。

                改ざんをしておきながら堂々と製品を納入していた輩はどんな心境でいるのか是非聞きたい。

                過去にこうした場合はトップの話しか聞けない、改ざん担当者が記者会見する例は皆無だ。

                 

                実際に改ざんした人の気持ちは快感なんだろうかそれとも罪の重圧に耐えられない気分だろうか。

                日産自動車でも完成車の検査に素人がかかわったがその担当者が何故そのような仕事をしたのか、実際には問題ないのかなどなど直接聞きたい。

                問題が起きると隠そうとする隠蔽は人間の本性なのだ。

                 

                自分に立ち返っても嘘をつきたくなるそして失敗する。

                鮮やかな時代には決して失敗する原因を作らない、色あせて来ると焦りが出て来て失敗に次ぐ失敗を犯す。

                結果希望が無くなってしまって萎(しぼ)んでしまう。

                 

                終わりである。希望を失った気分は辛い。

                | 自然・気がかり | 09:08 | - | - | - | - |
                昼食と中食があるとは知らなんだ
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                  急な天候の変化に戸惑っている。

                  昨日までは28度と言う気温が今日は17度の予報だ。

                  確かに身体に感じる空気も冷たい気がする。

                   

                  寒さを感じるのは空気と水だ、水はまだ冷たいと感じていないから冬と言うイメージになっていない。

                  だがトイレのウオシュレットの水は温水にしないとひんやりする。

                  便器にも温度を入れたそうじゃないと座ったときにヒヤッと冷たい気分になるのだ。

                   

                  中食とは昼飯のことかと思ったらどうやら違っていた。

                  総菜や弁当を買って家で食べることをそう言う様だ。

                  夫婦共働きが多いから帰りに総菜と弁当を買って家で家族で食べることが多くなっている。

                   

                  その規模は何と10兆円、数字に驚いた。

                  その内コンビニが3割も売っているとか。

                  最近コンビニに行ったことが無いから実感がわかないが売り場の様相が変わったのかな。

                   

                  特にセブンイレブンがこの種に力を入れているとか、確かにコンビニで総菜が手に入れば家で料理したくない。

                  と言う主婦も多くなるであろう。

                  仕事から帰って食事の用意は大変とも言えるが、食後に食器やらの後片付けが結構負担になる。

                   

                  であるから、買ってきた容器で食べれば空になった容器を捨てるだけで終わり。

                  洗い物は無し。

                  直ぐに休息時間になる、テレビもドラマも見ることが出来る。

                   

                  コンビニ即ち便利さが現代の過ごし方だあろうから、10兆円も有りうることだ。

                  だがセブンイレブンの営業利益率は43%もあるそうだから、それも総菜は利益率が高いと言っていることから、素材の倍以上であることは間違いないところだろう。

                  確かに素材を買ってきて何かを作る、しかし素材が適量ではない、バラ売りが少ないからだ。

                   

                  とすれば総菜が必要量を手にすることが出来れば無駄が無くなるかも知れない。

                  便利さや効率から考えれば中食も悪くは無い。

                  しかし家庭の料理が無くなってしまって、家庭ごとの味わいが無くなっていしまう気がする。

                   

                  所謂、母ちゃんの味である。

                  味付けとはその人独特のもの、同じ味を出すことが出来ない。

                  だから母親の味料理が良いのである。

                   

                  味噌汁にしても煮物にしても料理をする人は気を配って最高のものに仕上げる努力をするものだ。

                  味が濃い足りないの失敗もいっぱいあるがその中で旨いという境地に行くのである。

                  どんな人でも親から離れたら母親の味噌汁が飲みたいと思うのだ。

                   

                  それが中食では決して無いことだ。

                  この先おふくろの味は無くなってコンビニの味が最高で母の味は不味いとなれば最悪である。

                  どちらを選ぶか当然母親の料理だ。

                   

                  仕事から帰って夕飯の支度をしている母親を見て育った子はきっといい母親になれると確信する。

                  いい母親の継続が要望される、希望的観測かも知れないが。

                  希望はあくまでも希望である現実になることは少ない。

                  | 自然・気がかり | 09:21 | - | - | - | - |
                  混乱・乱れ・統制不能変革・改革の時に起きる
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                    涼しくなった。

                    寝苦しい事など全くなくなった。

                    良く熟睡出来て起きたときはスッキリ感が有ると言えばウソで眠さが続いている。

                     

                    もし目覚まし時計が無かったらいつまで寝てしまうか。

                    子供たちの大声まで寝ているかも知れない。

                    この時間には保育園の子供たちの雄たけびが凄い。

                     

                    選挙もこうも混沌とするとはこれまた想定外で有ろう。

                    日本の政治はまだまだ未熟と言えるであろう。

                    政治家は自分だけの思想で動いているだけで国民無視の感がうかがえる。

                     

                    くっついたり離れたりの混乱が続いている。

                    焦りもあろうが見苦しい行動だけはやめて欲しい。

                    芯を持って貫き通す気構えが必要だ。

                     

                    しかし混乱は悪い事でもない、概ね大きな変革がある時は必ず乱れた状態が起きる。

                    信長が光秀にやられ秀吉が光秀を撃ち、勝家と戦い、天下を取るまでは大混乱であった。

                    その後も家康が天下を取るまでは日本中の大名が右往左往した。

                     

                    どっちが甘い水かを見極めながらあっちに付きこっちに移動する。

                    勝てば良いのだが負けた組に居たらその後が大変惨めな境遇になった。

                    今まさに候補者の姿がそうである。

                     

                    負けるわけにはいかない勝たねばならない、とあちこちを見渡す。

                    小さな池の中で(選挙区で)泳ぎ回っている。

                    相手を倒せばいいだけの事、全体(与野党の数)がどうなってもいいのだ。

                     

                    一時は反安倍政権と言う同意で出発したものがここに来てそんなことはどうでもいいのだ。

                    自分さえ勝てば当選すればいいのだ。

                    それで国政でどれだけの力が発揮出来るであろうか。

                     

                    いやそんな輩は議員になれるだけで十分であり、国会議員様に収まればその後は裕福な生活が出来るのだ。

                    もし落選すれば次の選挙まで冷や飯を食うしかないのだ。

                    なんとも政治家個人の貧困思想に驚く。

                     

                    日本はスッキリすると言う概念が無い気がする。

                    どこかにジメジメしたウジ虫が湧きそうな雰囲気が有る。

                    乾燥した秋の空気環境が見当たらない。

                     

                    人間は日々必ず成長しているのだろうが速度はゆっくりと動いているのだろう。

                    秀吉の1600年代から比べたら現代はどれ程発展したか比較できない。

                    しかし人間の考え思想は戦いと言う面では何ら変わっていない。

                     

                    戦いは混乱であり相手を撃つことだ。

                    どんな手段でもいいから結果を出さねばならないのだ。

                    堂々と戦うことなど有り得ない、こそこそとイタチの様な動きしか出来ないのが日本の候補者のような気がする。

                     

                    一本の木を大木にする様な育てることをしないのだ。

                    根っこが育たないと木は倒れるここの公園でも大きな木が倒れているのを見るが根っこが発達してない。

                    二大政党論が言われて久しいが実現できない日本人は何とも寂しい。

                    | 自然・気がかり | 09:42 | - | - | - | - |
                    休日も必要 年中無休は疑問
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                      昨日の空は久しぶりに眩しいくらいな青空であった。

                      この遠視のメガネは偏光ガラスを使っているので明るくなると茶褐色に変わる。

                      即ちサングラスになるのだ。

                       

                      為に明るさが制限されるので眩しさは抑えられて快適だ。

                      メガネを外すと極端に明るく眩しさを強く感じる。

                      便利になった偏光グラスである。

                       

                      毎日懲りずにブログを書いているがどうも癖になってしまったのか書かないと落ち着けない。

                      この作業をすることで一日がスタートし完了するような気がしている。

                      その他の時間は予備的なものだと、しかしそうではない。

                       

                      圧倒的に他が多いのだから、そちらがメインである。

                      年中無休と言うところが多くなっている気がする。

                      スーパーマーケットやコンビニはすでにそうである。

                       

                      居酒屋とかファミレスも喫茶店もいろんな業種に広がっている。

                      もちろん公共の交通機関等は始まって以来休暇は無いであろう。

                      しかし年中無休にはそれなりに無理が生じている気がする。

                       

                      例えば飲食店などは衛生面で十分な対応が出来ているかどうか疑問だ。

                      店舗内はほとんど太陽など入らない、空気も空調機で動いているだけだ。

                      自然から隔離された空間を何年も何年も使うわけだ。

                       

                      そう考えるとちょっと不気味である。

                      気持ち悪い感情を持ってしまう。

                      今日の様に窓を全面開放し、部屋の空気を入れ替える様な事が必要だと思う。

                       

                      多分にカビやゴキブリなどは当然いる訳でその対応に何らかの化学薬品を使っている。

                      殺虫剤と言うものをしかしこれは積もり積もれば部屋中に充満しているとも言える。

                      だから衛生面で問題ないと言えるのだが人に対して従業員お客にはどんな影響が有るのだろうか。

                       

                      やはり休日を作って全面的な開放を行うことを希望する。

                      確かにお客は年中来てくれるだろけど休日の看板があれば諦めもある。

                      前もって休日を知っていれば行かない。

                       

                      昔はデパートが水曜日だったか休日だった今は無休だろうが。

                      だからなんとなく水曜日が特別に気にした日だった。

                      休日は大事な人の営みの中で有るべき姿であろう。

                       

                      一週間を作ったのは誰なのか調べてないのでわからないが日曜日は休日にした。

                      実に人の行動に必要としたもので優れモノだ。

                      ともかくそうした休日をもうけるような方向が働き改革で有ろうと感じる。

                       

                      実は一斉に休日もいいかなと思う。

                      町中が商店街が皆で休む町は静かになるだろうよ。

                      そんな動きとは逆に年中無休にシフトする傾向が多くなった昨今である。

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