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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
意識が先行(過剰)する老人の癖
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    今朝は寒さが厳しかった、まだ寒い。

    日中も気温の上昇が見込めないから厚手のコート(ダウン)が必要になりそうだ。

    それにしても昨日一昨日は電車の中、エアコン冷房が入っていたんでこうも違う気候に悩まされる。

     

    明日からまた暖かそうだ、風邪には十分な注意が必要だがウイルスはどこで飛んでいるか分からないから始末が悪い。

    多くは電車の中で拾ってしまうのかも知れないがウイルス殺菌できる工夫は無いものか?

    イオンプラズマなどが効けばいいのだが。

     

    年を取って来ると何かと、こうしなければ、ああした方がいいと言った話が多い。

    食事も何々が良いからと、運動もあれこれしなければ、歩き方はどうとか、サプリメントはこれこれが最適とか、もう若いころに意識しなかったことを異常に考えている。

    ボケないためにはどうするかなどなども重要な事柄に入る。

     

    こうまでも意識しなければ老後は心配なのかと思う。

    テレビのCMが老人対象のものが多い、まるで振り込め詐欺と思えるサプリメントだ。

    いろいろなサプリメントが出ていてどれも老人には必要だとなると、とても高額になるし積もり積もれば何万円いや何十万円にもなりかねない。

     

    それほど過剰反応的な意識をもたねば生きていられないのだろうかと思ってしまう。

    老人は静かにのんびりと生きていればいいのだが、最近の老人は忙しく動き回っている。

    意識的に今のうちに何かをしておきたいと思うのだろう。

     

    だがそれほど一生懸命に何かに意識を向けたとしても所詮は老人だ、それほどのものは無い。

    ここの公園も休日はジョギングする人が物凄い、その中にも老人が混じっている。

    つられてゆっくりとジョギングしたりするが余計なお世話である。

     

    ゆっくりと散歩程度で十分なのだが意識はそうじゃないのだ、皆が頑張っているから俺もやらねばと言うことになる。

    どこか落ち着きがないのが現代社会かも知れない、と言うか静かさを求める場所が無いのかも。

    なぜかと想像すると音に起因しているような気がする。

     

    即ちエレキギターと言うかそのたぐいの耳に異常な響きを感じる音だ。

    それが気持ちを落ち着けないのではと思ったりする。

    何はともあれ、静かさがなによりだ。

     

    これから自転車で出かけるがのんびりとサイクリングしようと思う。

    だが現実には運動を意識するために少しでも負荷をかけようと思ってペダルを早く回したがる、

    これが老人になった証であろうか、無意識に動き回ればいいのだが、過剰なほどに意識が入って来る。

     

    これが避けられないのだ、不思議だ。

    | 自然・意思表示 | 09:07 | - | - | - | - |
    日本文の表現力に力点を置きたい。
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      本当に寒さが身に応えてきました。

      もう半袖では我慢出来ませんが、街を歩いていると時に半袖を見かけます。

      無理してんじゃない、なんて傍目(はため)で見ています。

       

      最近よく歩く様にしています。

      それも出来るだけ歩幅を広く、早くを心掛けてです。

      歩幅、実に狭くなりました、同じ歩数速度だったら、歩幅が大きければ距離が出ます。

       

      即ち、同歩数であれば、歩幅の大きい人が早くなるわけでして、結論は遅れちゃいます。

      先日も身長の高い人と信号機から同時出発、しかし歩幅が違います、どんどん差が開いてこれはどうにもなりませんでした。

       

      そういえば、昔山手線一周の歩け歩け運動がありまして、参加したことがあります。3回ほど。

      その時に感じたのが歩幅でしたね。

      山の手一周は約40kmあり、マラソンの距離です、これは容易な距離じゃありませんでした。

       

      結局何歩で一周しなんでしょうかね、1万歩なんて数字じゃなく何十万歩だったでしょう。

      こうして文章を書いていると、気になるのが読む人に分かってもらえるかどうかです。

      難解な文章とか、支離滅裂だったり、主張が見えなかったり、文の構成が成り立ってなかったり、目的が十分に伝わらなかったり、いろんな課題が有ります。

       

      特に短い文章など端的に目的を表現する、これは中々です。

      上手いなと思う文章に時々出会います。

      それはメールです、短いのに表現力が感じます。

       

      自分と違った表現が出来るものだと、感心することも度々あります。

      先日ある方からメールの原稿(それなりの回答文作成)を依頼され、作ってあげました。

      そうしたら大変喜んで頂き、これからも表現力を勉強したいと言ってました。

       

      解りやすく、相手に失礼にならない、目的がしっかり表現されている、感謝の気持ちが入っている等々が要素となりそうな気がします。

      簡単じゃない、いや本当に気持ちを表現出来れば、難しいものでは有りません。

      日本語はじつにいろいろな表現をすることが出来る言葉がたくさんあります。

       

      その中から、こんな時はこんな言葉を、そうした工夫も大事かと思います。

      言葉選びも日本語の楽しさかもしれません。

      こうして毎日文章を書いていると、苦になることはありません、逆に書かないと気が抜けてしまいそうです。

       

      短い時間でも、短い文章でも、日々綴ることが出来ることの喜びが一番です。

      そして読んでいただいている方々に感謝しています。

      書ける喜び、読み手に感謝、この二重の幸福感を毎日味わっています。贅沢な日々です。

       

      | 自然・意思表示 | 09:47 | comments(0) | - | - | - |
      世間をお騒がせしました、そろそろ退場します。今日かな。
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        梅雨らしい空模様です。
        天気図を見ると、前線はまだ南の海ですが、梅雨の雰囲気が漂っています。
        前線が南の方のためか、北の涼しさが残っていますので、ジメジメ感が有りません。

        南風が入り込むと、ネバネバした湿気に悩ませれます。
        この時期は青梅の収穫時期です。
        さっそく、梅酒の準備をしました。

        今年も5塲磴辰董氷砂糖とホワイトリカーで仕込みました。
         青梅を 一年寝かせて 琥珀酒(こはくざけ)
         青梅に 砂糖と焼酎 ああ梅酒(うめ〜)
        一年は長すぎですから、例年4か月後から試飲してます。

        昨年の分は残り1瓶(1.8ℓ)だけです。
        この琥珀酒を待っている友人たちがおりますから、作るのが楽しいのです。
        待たれる、期待される、ここんところです。

        断末魔、この言葉を実際に使ったこともないし、聞くことも少ないです。
        しかし今の舛添知事を表現するにふさわしい言葉かと、つい思い出しました。
        孤立無援、孤軍奮闘、四面楚歌、崖っぷち、いろんな言葉遊びにこと欠きません。

        誰(たれ)か烏の雌雄(しゆう)を知らんや、と言う諺があります。
        烏はオスメスとも黒いから見分けがつかない、ことから、心の中が(善悪)見分けられない、との例えのようです。
        言葉を信じて、とは言っても、その言葉が悪に繋がっていると思えば、「信じられない〜!」ってなるでしょう。

        「本当に世間を騒がせました、今日ここで退場します」
        と発表すれば、人としてまだ浮かび上がれると思いますよ。
        公職にはつけなくても、誰かが拾ってくれます、「捨てる神あれば拾う神あり」と言います。

        しかし度を過ぎれば、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」になってしまって、救いようが有りません。
        人間の能力は無限であろうかと思いますが、しかし限度もそこそこ考えねばなりません。
        絶体絶命の危機に、援軍が来ればいいのですが、自分の軍隊が反旗を翻(ひるがえ)してしまってはもう最後です。

        優秀な東大生だった舛添はどこでどう間違ったのか、道なき道を歩んでいます。
        「断腸」と言う表現も有ります、ひどく悲しい、とても辛抱出来ないほど悲しい、都民は舛添知事を選んだことをそう思っています。
        今、そこから解放されて初めて安堵を感じます。

        「遅くはない、今からでも出て来なさい」2.26事件の若手将校に投降させる言葉だったかと、今日限りでこの言葉も有効期限を失せます。
        早急に記者会見を開き、辞任劇場を作ることが肝心です。
        ここまで言わせるかよ!、と怒りを感じている都民の一人です。



         
        | 自然・意思表示 | 09:13 | comments(0) | - | - | - |
        結末は必ず有るのに、「有終の美」と言う言葉を大事に。
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          雨の朝を迎えて、どことなく安堵する気分です。
          これで植物たちが元気になれるんだと思い、いい雨だ!と、稲も順調に生長するでしょう。
          根っこから水分を吸収するために、何十mも根を伸ばすそうで、ぶどうなどは岩盤を割いて行くのだと聞きました。

          又、近くの植物たちはお互いに根っこをつないで、お互いに水分のやり取りをしているとか、大木は水分を貯めている(水がめ)ようですから、小さい木は分けてもらうのでしょう。
          砂漠の方では、200トン(?)もの水を貯める木が有るとか、TVのどっかで見たような記憶です。

          水はあらゆる生物には欠かせない最重要な物質です。
          重要さから言ったら、都知事の職なんてそれほどの位置じゃないんじゃないの。
          舛添知事の固執ぶりは嘆かわしいです。

          「死んでも死にきれない」の言葉を使うほど重要なんですか、と馬鹿げています。
          次々に明るみに出る私生活、見たくもないのに暴露されて来るのです。
          もう結論は出ましたね、と皆(都民)から言われているのですから、恥の上塗りをどんどんしています。

          化粧を濃くすれば、シミでも皺でも隠せますが、恥の上塗りは内情が暴かれてくるだけです。
          そのうちに、有ることない事、噂として流れるでしょう。
          これほど世間に笑われている人は最近少なかったのに、本人は気づきません。

          ここんとことの日々はどんな気分で過ごしているんでしょうかね。
          誰か質問してみては如何なものかと。
          今日から集中的に質問攻めするようですが、真面目に追及したって、質問者よりも利口な人ですから、はぐらかされます。

          それよりも、ぼろを出すような、不真面目な質問でもしたらいいでしょう。
          公用車を勝手に使って(私用)いた、だったら自分の車を持っていたんでしょうかね。
          高級車でしょうかね、その金はどこからでたんでしょうかね。

          ま、そんなことなど、水と比べたらそれほど重要なモノじゃない、重要なものがいっぱい有ります。
          ですから、そこんところをチクリを針を刺してあげればいいんじゃない。
          そして、今こそ「有終の美」の最後のチャンスですよと、これ以上伸ばせば、「下策の美」(こんな言葉あるかね)ですよと。

          戦略には上策、中策、下策があったはず、そのどれを選びますかとか、もう結論を出しやすいように誘導してあげるのが、質問者の上策でしょう。
          策を弄する、これしかないです。
          正義感で追及しても、馬耳東風(聞き流すだけ)です。

          時間は貴重なもの、重要さの中では上位になるでしょう。
          時間を無駄にしないためにも、誘導尋問が妥当でしょう。
          重要なモノ、自分の立っているところだけじゃない、他に立ってみれば、一目瞭然であることに気づくでしょう。
          | 自然・意思表示 | 09:51 | comments(0) | - | - | - |
          確認を怠ってはいけないです。
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            今朝は曇り空、今にも氷雨が落ちてくる様相です。
            もう12月も半ばになり、寒さが厳しいのも分かります。
            これから年末までいろんな事をしなければならないのに、寒いと嫌ですね。

            その点、豪州などは夏でしょうから、暑い正月を迎えるわけでしょう、一度そんな年末を送ってみたいですね。
            毎日の生活で常に確認と言う作業をしなければなりません。
            と言うか、行動するには目的の確認を行わないと、何も出来ません。

            一日にどの程度の確認事項が有りますかね。
            一度数えてみたい気がしますが、多分無限大の数字になるかもしれません。
            それほど確認・チェックをしています。

            しかし肝心なところで欠落する場合も有ります。
            あそこで確認さえしておけば、こんな事故にならなかった、そんな反省もかなり有ります。
            要注意、このことを認識できるかどうか、日々の行動はなにげなく進めていますので、怠ることも多々あります。
            ここんところですかね。

            怠る理由は何か、どうも面倒くさい気分が出てきてしまう為でしょうか。
            性格にも関係するでしょう、性癖も有るでしょう。
            何にしても、安全を保持するためには左右の確認無しには危険いっぱいです。
            しかし現代社会の中で、左右の確認無しで行動している人が結構見受けられます。

            ようも事故も起こさないで過ごしているなあと感心してしまいます。
            スマホを見ながらの歩行がそうでしょう、左右どころか前も見ないんですからね。
            昔は道路と言えば舗装など無かったですから、雨の翌日は水たまりが有りました。
            そんな日にスマホを見ながらの歩行は靴がびしょびしょになってしまうでしょう。

            安全第一、そのために都度確認をしているのですが、安全を過信している向きが多いのではと、そんな気がします。
            原発もそうです、安全の確認をして再稼働する、しかし過信による判断が多いのではないかと、地球上に原子力など必要がないはずです。
            こうしていろんな場面で確認作業が延々と続けられています。
            何か定石のようなものが有って、今日は定石通りに進めれば確認作業を必要としない、なんて日は無いでしょうかね。

            無いね、致し方が無いから今日も一生懸命に確認を怠らないようにします。
            | 自然・意思表示 | 09:02 | comments(0) | - | - | - |
            涙を流すとき、真実に出会った気がします。
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              今朝は寒さも一段落の感じです。
              昨夜の長野で地震が有ったようですが、突然襲ってくる地震に驚き、次いで恐怖を覚えたでしょうね。
              家屋が倒壊するほどの地震規模を経験していませんから、どんな揺れだったんでしょう。
              新潟地震(学生時代で相当前ですが)の時に波を打って近づく揺れを経験しました。

              地鳴りも同時に感じました。
              しかし揺れが大きかったですが、本棚が倒れる程度でした。
              もし家屋が倒れるような状態になったら、振幅の大きな揺れなんでしょうか。
              役所の人の話ですと、机につかまっていなければ立っていられなかったと、怖かったでしょう。

              活断層の上に住んでいる人々はこうした怖さがいつ来るのか心配ですね。
              その活断層の上に原発が有ると言う、これを再稼働させるなど無茶な話です。
              安全と言う言葉はどこにも無いのかも知れません。
              地震国日本、ここ東京でもいつの時点かで大型の地震に見舞われることは決定していることです。

              耐震をしているから安心、安全などと言えないほどの規模も有るかと、そう思います。
              自然の法則を人が知る由が有りませんからね。
              そんな自然災害に遭遇して、被害が発生し、その後の復旧に大変な苦労と努力が必要です。
              何分(なにぶん)にも災害だけは避けたいものです。

              涙を流す、流れるって、時に有ります。
              ドラマを観ていても、映画を見ても、なんとなく涙が出てくることが有ります。
              どんな心の動きなのか(心情)、ちょっと考えてみました。
              結論は真実の行動や言動に接したときではと、そんな気がしています。

              この世は嘘が横行していますから、真実を見ることがほとんど無いと言っても過言ではないかと思っています。
              しかし心を表す、現れる時って、真実から出るのではないかと感じています。
              真実は尊いものになってしまったのです。
              本来は真実しかなく、嘘は無いはずです。

              しかし人は心を動かすものは周りから、環境から発生していると言います。
              自分では真実を、と思っていても、嘘をつく環境が有れば、平気でウソをつくことが出来るのだそうです。
              一度その壁を越えれば、容赦なく嘘を連発することに何の抵抗も無くなると、そのことは十分に理解します。
              経験もたくさんありますからね。

              そうした嘘の世界で、何か真実の心に触れた時に突然涙が出てきます。
              その人の心に思っていることが、ぽろっと零(こぼ)れ落ちた時に、それが瞬時であっても、感じるものです。
              悲しい、さびしいとかの涙も有りますが、真実に触れた時の涙は熱いものになっているように思えてなりません。
              じわっと自然に流れる涙、それは真実を待っていたからこそ、真実に飢(う)いていたからこそ、出るのではないかと、実に単純なことですが、事実でも有るような気がします。

              ウソの世を憂いてもこの世はそうしたもの、たまに真実に出会えればその時に涙する、いいのではと思っています。
              | 自然・意思表示 | 09:04 | comments(0) | - | - | - |
              我慢するってことは自分の意志(意向)と逆のことですかね。
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                益々冬が近づいて来ました。
                寒いです。
                暖房も必要で少し早すぎのような気がしています。

                こうなると暖かいところに行きたい気分です。
                先日沖縄の友人からのメールで朝晩は多少冷えてきましたが、日中は半袖です、と言うことでした。
                この寒さから逃れるには沖縄でしょうかね。

                我慢してこの冬を凌(しの)がねばなりません。
                まだ始まったばかりの冬模様、この先が危ぶまれます。
                しかし我慢ってのは嫌なものです。

                嫌いな事でも我慢しなければならないのですから。
                そう嫌な物、これは自分の意志と反対側のものでは無いでしょうか。
                好きな物、大歓迎しますし、はまり込むことも有ります。

                ですが、嫌いなものは拒絶反応が強くて、気に入りません。
                しかし、この我慢はほとんど連続的に押し寄せてきます。
                人は我慢しながら過ごしているんだと思います。

                どうして我慢しなければならないのかと思うのですが回答が得られない気がします。
                一人だけの行動であれば我慢も少ないでしょう、しかし一人で生きて行けないのが人です。
                結局、生き方には我慢と言う言葉から逃れられない運命が有るんでしょう。
                逆に言えば、人に我慢をさせていることにもなります。

                我慢と言う言葉が無ければ、そうした気持ち・気分を持つことが無いのでしょうが、有るんですよね。
                それが困りものです。
                自分の行動が自分だけのものに出来ればいいのでしょうが、それが許されるわけがないのです。

                我慢には大きなものから小さいものまで、いろんな濃淡、強弱が有ります。
                しかし並べて見れば、どれも嫌なものです。
                我慢の無い国があればいいのになあ、寒さもない国、嫌な事のない国、それは地球上には無いのかも知れません。

                いや、有ったはずです、人が誕生したとき、嫌だなあと言うことから始まったんでしょうか、そうでは無かったと思います。
                しかし人が増えて来ると、感情を持つことになり、その感情が好き嫌いに発展し、結果我慢と言うものが生まれた気がします。
                あかちゃんも泣きわめきます、これも嫌なことに気づいている証拠でしょう。
                我慢が出来ないからその表現として泣くのでしょう。

                そうして人は我慢からスタートして我慢でエンドに至るのですかね。
                ああ、この寒さに我慢、この程度であればいつものこと、しかし政治の世界になると分からないことだらけ、我慢できないこと多しです。
                選挙の運動期間中、うるさいことしかり、報道番組もそれ一色、なんともこの世で過ごすことは我慢・我慢です。
                | 自然・意思表示 | 09:35 | comments(0) | - | - | - |
                開放的で自由、他人への思いやりも考慮。
                0
                  台風一過、物凄く綺麗な青空が素晴らしかった。
                  遠くまで視界がのび、すっきりとしたものを感じました。
                  台風も被害をもたらさなければ、大気の掃除役をするのでいいものです。
                  夜は満月(13夜かな)もくっきりと見えて、ウサギの餅つきが見えました。

                  美しい空気ってのはこうした強風が無いと中々出来ません。
                  北京でも台風が来れば、PM2.5も吹っ飛んでくれるでしょうかね。
                  しかしその微粒物質がまき散らされては困りものですが。

                  現代は自由が誰でも得ることが出来ます。
                  思考も開放的で、何事(何人)にも制限されることは有りません。
                  もちろん学校とか仕事とかで時間的な制約、行動の制約、思考の制約は有るとしても、その他の場所では自由そのものです。
                  しかし自由がほしいままになっているような気がします。

                  何と言っても自由が自分のものであって、他人には関係が無い、と言う理論でしょうか。
                  他人に迷惑をかけようが、他人を抑制しようが、どんな状態になろうが、一向に気にしません。
                  ここんところが時に気がかりになります。

                  現代ほど自由を謳歌出来る時代は無かったのではと、そんな気がします。
                  我々は常に他人の目を気にしながら日々を過ごして来ました。
                  他人の目、それは自由を若干でも制限するものです。
                  この行いはしてはいけない、その気分がいつでも有りました。

                  しかし現代は他人へのそうした思いやりなど無く、ただ自由を得ることのみに奔走している感が有ります。
                  逆からに見ると、開放的な自由さが過剰になり、ついには閉鎖的な制限の中に落ちているような気がします。
                  やはり自由と言うものは自制心を伴う必要があるような気がします。

                  自分で自分を管理すると言うか、制約すると言うか、この程度まで、そんな気持ちが欲しいところです。
                  たばこを吸いたい、しかしここでは(歩行中)他人に迷惑がかかるから我慢しようと、そんな気分を持たねばなりません。
                  現代はそうした自制心を全く失くしてしまいました。

                  自由を確保する、しかし自由は全ての人の権利でも有ります。
                  他人の目、これは自分を自制する目です。
                  迷惑、これだけはしたくない、そう何時も思っています。
                  良い世の中、それはみんなと一緒、そんな気分がいいのではないかと、ふと思っています。
                  | 自然・意思表示 | 09:09 | comments(0) | - | - | - |
                  新しい、このことにのみ心が動きます。
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                    台風がどんな動きになるのか心配です。
                    ここ東京に直撃されては大変な混乱をきたすでしょう。
                    海寄りに避けて欲しいものです。
                    しかし自然の猛威は御嶽山のように、人に優しさなど気遣いなどなしに襲って来ます。

                    対応策の準備だけは怠ってはいけないのでしょう。
                    突発的な噴火にどんな準備が必要だったのか、今回はその教訓を残してくれたように思います。
                    若いころはずいぶん山登りをしました。
                    それも近くの山、見えている山、それが2000m級の山です。

                    天気のいい日に山登りしようか、そんな気軽な気分で友人たちと登ったものです。
                    それも軽装で、何事も起きない、それが前提でした。
                    今思えば怖さ知らずでしたし、何事も無かったことが不思議なくらいです。
                    もし、そのことを考えたらぞっとします。

                    自然の変化を知る、予知することに心配りをしていないかを物語っています。
                    楽しさだけを追求し、怖さはどこかに置いてしまっています。
                    両面が有ることを忘れています。

                    普段の生活でもそれが言えそうです。
                    過去の事、過去に起きたこと、それをすっかり忘れて常に新しいものだけに興味を持ってしまいがちです。
                    過去が有って現在が有り、そして明日が有り未来が有ります。
                    しかし部分的即ち現在だけが最大級になってしまっています。

                    ちょっとでも古いもの、これには目を向けません。
                    過去を全て捨ててしまいます。
                    しかし過去が懐かしむことだっていいことだとそんな気がしています。

                    今机の上には学生時代の山登りの写真を飾っています。
                    懐かしいのです、そんな過去が有ったんだと思うと、嬉しくなります。
                    現代にだけしがみついていてはいけない、そんな気持ちになっています。
                    | 自然・意思表示 | 10:26 | comments(0) | - | - | - |
                    自由にしてもいいですよ、この後に続く言葉が責任でしょうか。
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                      秋の天候になったような、気分は最高にいいです。
                      目覚めた時に、暑くなく、窓を開放すると涼しい新鮮な空気に出会います。
                      さて、運動ストレッチをして今日の一日に備えます。
                      約20分程度縮んでいた筋肉を伸ばして、身体を夢から現実に戻します。

                      目覚める直前まで夢を見ていますから現実が遠いのです。
                      しかしストレッチの後はとても爽やかな気分になって、朝食の用意をします。
                      毎朝、土日も関係なく5時に起きて、最近は目覚ましで起きますがね。
                      快調な一日を過ごせます。

                      何もサプリメントなどを服用しなくても元気は続いています。
                      まだまだ続きそうなサプリのCM、騙される人の多いことを物語っています。
                      高額なサプリを服用して、安価な食物を買って、バランスがいい訳がないでしょう。
                      それも添加物だらけの加工食品を、食材の分からない冷凍食品を、新鮮な旬な食べ物にはどんなサプリよりも良いんですからね。

                      自由の行動・言動についてこれほどまで騒がれたことは過去に無いんじゃないでしょうか。
                      朝日新聞の反響は世界中に広がっています。
                      自由を勝ち取った新聞の世界で、勝手な解釈を自由だからと言って掲載したことは自由のはき違えで有ったのです。

                      しかし自社を庇(かば)うことに一生懸命な面が出過ぎて、どうも一般人として納得が行きません。
                      自粛する、これが感じられないのです。
                      数日の間新聞発行を中止して、社員全員が禅でもしてみたらいいのにと思ったりしています。

                      即ち、自由の対面に責任が有るはずです。
                      責任を全く感じない、伝わってこないのです。
                      こうした傾向は現代の風潮ではないかとさえ思えてなりません。
                      会見で頭を下げるシーンは今年もいっぱい見ました。

                      頭を下げることで責任を回避したと思っているような節が見受けられます。
                      その後は会見もせずに、どうなったか分からないのです。
                      責任とはそんなに軽いものでしょうか。
                      この責任については一般の社会で無責任時代になっているのではと、そんな気がします。

                      どうもそのことに引っ掛かりを覚えます。
                      無責任でもこの世は過ごせます。
                      その方が自由を謳歌できるような雰囲気が有ります。
                      自由の主張は最も大事なことですが、それだけで全てになってしまって、その後に起きうる現象については検証さえしません。

                      不正な研究論文を発表した後、バレたら仕方が無い残念と思っているんでしょうかね。
                      「狡(ずる)い」と言う言葉を使った子供の頃を思い出します。
                      ずるい、これは不正をしても良いものを得たいと思う行動です。
                      かけっこ(走る)も白線の内側を走って一等賞を貰う子供もいました。

                      ずるをした、そんな表現で攻め立てました。
                      しかし勝つための自由な行動になった訳で、現代はそうした「ずるさ」の横行が目立ちます。
                      責任などどこに飛んでしまったのでしょうか。
                      責任に羽が付いているのでしょうか。

                      自由と責任、そのことを朝日新聞は書いていません。
                      今日の天声人語も「やはりか」、そんな印象です。
                      | 自然・意思表示 | 08:43 | comments(0) | - | - | - |