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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
空の色が素晴らしい写真に一枚、今はスマホで。
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    昨日の空は本当に綺麗で見事でした。

    スマホで写真を撮り、パソコンに送信して背景にしました。

    今はデジカメも必要なくスマホで間に合ってしまいますから、まさにデジカメの時代は終わったのかと思わせます。

     

    確かに、写真はその時々に見るもので印刷したものを後で見るなど殆ど無いです。

    写真の多くは邪魔者扱いになってしまって、どこに保存したらいいのか困りものです。

    かと言って捨てるのも何処からか「捨てちゃダメ」と言う呼び声が聞こえたりします。

     

    となると、写真はその場で見たら即刻消してしまえるスマホが良いのかも知れません。

    写真の発明当時は多くの人がびっくり仰天したでしょう、それが長い長い時間をかけて現代まで引き継がれました。

    そしてこんにちはスマホで十分なのですから、激変に次ぐ激変と言うものです。

     

    時代の変化に応じてこれほどの変化はそう多くは無いかも知れません。

    自動車も作られた当時から性能が良くなりましたが、基本的にはエンジンを稼働させるだけのことです。

    電車も蒸気機関から電気モーターに変わったにしても、システムは同じです。

     

    衣類も綿製品からか化学繊維に変わりましたが、作ると言う作業は機械化されただけです。

    しかし写真は随分と変化しています。

    写真技術の変遷は博物館で見られればいいのですが、どこかに有りましょうか。

     

    兎も角、変化と言うものは良い事かどうか多少の違和感も有りますが、時代人が望んでいる事でしょう。

    その流れに年寄りもついて行かねばなりません。

    今の小学生の子供たちが大人になった時には写真はどんな風に撮っているのでしょうかね。

     

    今朝の空は薄曇り、これでは写真に一枚と言う気分になれません。

    やはり美しい、綺麗が写真撮影の条件になりましょうか。

    人の欲望は常にそうした「美」の追及に飽きない様です。

    | 自然・不思議で確実 | 08:26 | - | - | - | - |
    不思議な自分の存在
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    恐ろしい寒波が来襲して日本の各地に雪を降らせる模様です。

    大雪になったら交通のマヒや被害が出るでしょう。

    適度な寒波になって欲しいものです。

     

    東京は連日の晴天ですが北風が冷たく感じる様になりました。

    日陰ではブルブルって冷えを感じます。

    日の出前の空は赤く染めて美しいでしたが空気はひんやりでした。

     

    今週は風邪を引きやすい条件になるでしょうから要注意です。

    そうした自分の管理・保護をしなければなりません。

    自分と言う存在を考えるととても不思議で不思議で考えても回答が得られません。

     

    しかし自分と言うものがこの世に存在していることにそれ程意識をせずに日々を過ごしています。

    何故この世に生まれたのかこれは謎です。

    両親の結合によって生命が誕生しそしてこの世に出て来て育てられ自立し自分を確立する努力を続けます。

     

    その努力たるや少々では無く辛苦の中でもがきながら進んでいます。

    運不運も付きまとい幸福も不幸も味わいます。

    裕福も貧困もそれぞれの努力で立場を作ります。

     

    動物たちは生まれて来てから人間のような辛苦はそう無いでしょう多少の違いはあってもほぼ平等ではないかと思います。

    しかし人間は平等など有り得ない世界です自分の存在だけが唯一であって他人などを見る余裕など全く有りません。

    金持ちになったからと言って貧困者を救うことなど気持ちさえ持ちません。

     

    客観的に見ればと言う言葉は適用されませんいつでも主観即ち自分中心です。

    しかし自分が存在していることを意識すると「何をやってんだか?」て思うのです。

    不思議な自分の存在を認識して何かをせねばならないと思うのですが見つかりません。

     

    結局不思議な存在のまま生涯を終わるのでしょう。

    自分の意志でこの世に出て来たわけじゃないと言いますがその後も自分の意志で生涯を過ごしているとも言い切れない気がします。

    環境即ち生活圏周りの影響で生き方が違って来ますし完全に服従的な行動になっています。

     

    本来の自分など無いに等しいかも知れません。

    となれば結論は自分と言う個体は有っても自分と言う存在は無いのかも知れない。

    雪が降って来て美しい雰囲気を作ってくれますその後掌の上でであっという間に存在を変えてしまいます。

     

    人の存在もそんな儚(はかな)いものなのでしょう。

    儚さに大きな期待など必要もないことかも知れません。

    妄想の中がこの世かと思う期待していることが未来では詰まらないものだったりするんでしょう。

     

    太陽は後50億年燃え続けると言いますが人間は50億年も存在するんでしょうか未来人はどんな姿になっているんでしょうか。

    自分の意志で生まれる事が出来るんでしょうか不思議さが無い存在になるのでしょうか。

    とても不思議なこの世に自分が存在していますその事が摩訶不思議です。

    | 自然・不思議で確実 | 09:20 | - | - | - | - |
    女心と秋の空になってしまった??しかし女心とは?
    0

      折角の晴天続きが今朝は途切れた。

      残念である台風の影響なのかどんどん雲が厚くなって来た。

      沖縄の友人からのメールでは台風受け入れ準備をしたそうだ。

       

      数十年前になるが沖縄で台風に出会ったときその前日に台風対策をするのだ。

      一軒家であるから天戸に釘(5寸釘)を打ち込んで風対策をしていた。

      それはそれは大変なことで実際に夜中の通過時は轟音と共に家が揺れるのを感じた。

       

      翌朝は庭に木々シュロかな、大きな枝が折れて落ちていた。

      凄い台風に出会ったと思ったがもっと凄いのもあると聞いて尚驚いた。

      今回はどんな強さで有ろうか、多少心配だ。

       

      沖縄を通過する台風は成長した若者であろうから一番強い状態であろう。

      東京に来る頃には相当に暴れまわった後だけに疲れた状態になって弱くなっているのだろう。

      それにしてもこんなに遅くまで台風が発生するなんて困りものだ、これも温暖化の影響か。

       

      くるくると変わる天気、「女心と秋の空」に例えられるが肝心の女心とはどんな心か知りたいものだ。

      実にこの世には男と女しかいない。

      しかし一体感は決してない。

       

      お互いに相手を読むことが出来ない、出来たとしてもそれは本当かどうかも分からない。

      特に女心は知れたもんじゃない。

      全く分からないと言っても過言ではない。

       

      母親から生まれても母親さえ理解できない事がいっぱいだ。

      兄弟もこれまた分からない、兄弟げんかなどが絶えないのは理解し得ないからだろう。

      ましてや他人様の心など月までの距離を感じる。

       

      特に女の事などは土星観測機が30年もの間宇宙を彷徨っていたように、男から見た女心は永遠に理解出来ないと言える。

      いや、理解しようとすることが間違いであるのか深く追及するものではないのか。

      地球上の動物で男女が理解し合っているものがあるのだろうか。

       

      兎も角、女心に振り回されている殿方が多い事は確かな事実で不思議な世界だ。

      女心などどうでも良いのだが殿方がその影響を甚大に受けてしまうのが困るし滑稽である。

      高校時代だったかいや受験勉強時代だったな、近くの女の子を思い恋ごころを抱いたものだ。

       

      しかし何をすれば女心をつかめるか、受験勉強の科目に無かった。

      だから、うやむやになって終わってしまった。

      女心をつかむ方法論などないのだろうか、皆が皆自分流の勝手な方式で女心を知ろうと努力する。

       

      努力の結果は何も残らないで終わり次の女心に挑戦する。

      女心と秋の空とは天気・心の移り変わりが早い事の例えであろうが、実は理解しえない現象なのかもしれない。

      昨日のあの青空は今朝は無い、何故か理由は兎も角良い天候になって欲しいのだ。

       

      女心を自分が自由に操りたいのだ、しかし出来っこない、天気も自分の要望に叶うことなど出来ない。

      難し過ぎる「女心と秋の空」だ、そこに共通点が有りそうだ。

      この不思議さが有ってこそ人らしさが存在するのか、難しい事が生きる上で必要不可欠であると言っているようだ。

      | 自然・不思議で確実 | 09:09 | - | - | - | - |
      言葉遊びに聞こえる「男女関係ではない」
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        ついに来た秋晴れの土曜日もう気分は落ち着かない。

        早く青空の下に出て歩きたい。

        ブログ投稿後直ちに外出する。

         

        それにしても睡眠の完熟度は高まった、「秋眠暁を覚えず」のフレーズも必要だ。

        目覚ましで起こされない限り目が覚めない。

        実に熟睡中の目覚まし時計が憎い。(6時)

         

        不倫と言う言葉が飛び交う。

        この言葉は男と女しかいないこの世では不自然なのか自然体なのかわからない。

        倫理的なことで人の世では許されない。

         

        しかし一方の言い訳は自然だ。

        男と女なんだから当然好きになることだって有る。

        とも言える。

         

        仕事仲間で心が引かれ合うことは流れ的に出来やすい。

        ふれあい、絆などは近くに居ればこそ離れ離れで絆は出来にくい。

        近隣に側にいれば自然に思い思われてくるものだ。

         

        当然の成り行き、そして好きになるのも有りうる。

        だがここで良く言う言い訳、「男女関係は有りません」。

        これが不思議な言葉だと思うのだ。

         

        男女関係と言う定義は一体どういうものか。

        二人っきりで食事をしたり喫茶したりすることは男女関係ではないと言いたいのである。

        しかし二人っきりがすでに男女関係なのだ。

         

        知らない二人が突然一緒に食事するだろうか、喫茶しながら長い時間を過ごすだろうか。

        ましてや相手の家に入り込んで時間を過ごすであろうか。

        ホテルなどに行くであろうか。

         

        既に男女関係が成立しているからそうした行動を取るのだろう。

        しかし男女関係の意味するところはセックスをしたかしないかで決めているようだ。

        セックスもきわどいところまで行かないとそう呼ばない。

         

        キッス程度では男女関係と言うことにはならない、とも言う。

        兎も角勝手な男女関係の定義を決めて、私はその一線を越えていませんと言うことは止めて欲しい。

        男女関係とは必ず一線を超えるのが当たり前、越えなければいずれはそこに到達するのだ。

         

        時間の問題だ。

        遅かれ早かれ必ず行く。

        それが普通の人間の行為なのだ。

         

        それを抑えるのが倫理であろうかと思う。

        しかし人の心を倫理で抑制出来るような人間は極僅かである。

        だから二人の行動は慎まねばならない。

         

        二人っきりが問題を発生させる原因なのだ。

        不倫をしたくない倫理が働けば二人っきりの場を絶対に作ってはいけないのだ。

        男女関係は清潔なものと誰も考えない、二人っきりになればドロドロした情欲の血が流れて来るのだ。

         

        欲望とは違った情欲は制御が効かないのだ。

        一旦流れ出すとこの世が見えなくなる盲目になるのだ。

        そして写真に収められ辞職せねばならなくなるのだ。

         

        しかし男女関係はこうしたものが自然なのだ。

        自然体が許されないのが国民を代表する(選出される)人の行為である。

        自重すべきである。

         

         

        | 自然・不思議で確実 | 08:56 | - | - | - | - |
        目の力は不思議なものです。
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          今、投稿に失敗し、再度文章を作ります。
          いやはや、この失敗は残念ながら、何も残らないので、非常に勿体無いことです。
          ですので、ガッカリしてます、簡単なものにしたいと思います。

          目の力とは、目分量や目安、目算、目測など、いろんなところで発揮されます。
          それがともすれば、神業的な結果をもたらします。
          先般のゴルフ(LPGA)でポーラークリーマーが長い長いパットをねじ込んで、優勝しました。
          その時の力は目測で判断した結果によるものでしょう。

          すごいの一言です。
          まぐれ、そんな表現も出来るでしょうが、目の力が無かったら、決して上手い結果が得られないでしょう。
          料理の時は、今では目安、目分量で作っていますが、とてもいい結果が得られています。

          武士の剣術だって、眼力がものを言うといいます。
          なんにしても、目の力なくして事を上手く運ぶことは出来ません。
          これからも、目を大切にして、目を肥やすことに努力して行きたいと、そんな気分になっています。
           
          | 自然・不思議で確実 | 09:59 | comments(0) | - | - | - |