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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
一寸先は闇か、明暗に拘り過ぎでしょうかね。
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    空は雪が落ちてくる様相になって来ました。
    曇天は気温も上がらず、気分も昂揚しません。
    気分とは簡単に外の影響を受けやすいものです。
    それが人間の姿なんでしょうがね。

    選挙の予想もやはり予定通りになってます。
    大勝と惨敗がくっきりと明暗を分けることになりそうです。
    明暗、それはどんなところでも、時でも結果として出されるものです。

    先の事は分かりません、がしかしその先が必ず来るんですよね。
    どの程度の先まで見通すかと言う問題は有りますが、直近の先はだいたい予想に反することは無いです。
    先物と言うものが有りますが、それは直近で、何年も先ではないですね。
    即ち、一寸先程度しか見ていないことになります。

    歴史的に見れば、100年程度は一寸先なんでしょうが、現実の時間的な感覚はせいぜい1年程度でしょうか。
    1年先はどうなっているんでしょう、中々読めません。
    日本経済も、世界的な動きも、10年先まで見えればいいのですが、直ぐ目の前しか見えません。
    それも人の生き方なんでしょうか。

    しかしちょっと戻って子供の頃を思えば、幼稚園から大学までの期間を見ながら計画的に進めている場合も有ります。
    そこにはレールのようなものが有りますからそれに乗ればいいので、それほど先の明暗に拘りません。
    その後です、社会に出てからと言うものは一寸先の明暗にしっくはっくします。
    不思議な世界です。

    それほど明が出るか、暗が出るかを気にしなければならないのです。
    人の頭脳は何故にこんなに明暗を気にするんでしょうかね。
    損得なども同様に気にする最たるものです。
    人の世は対比の連続です。
    勝ったか、負けたか、それだけを気にして生きています。

    どうにもならない人の性でしょう。
    どうでもいいような気がしますが、常に戦っていなければならない衝動にかられています。
    それがいいのでしょう、それが必要不可欠なんでしょう。
    もし、戦いが無くなったならば、多分にして人の脳は腐ってしまって、痴呆症になってしまうのですかね。

    常に戦う、これが刺激となって生きている証を確認し、痴呆症へならないように仕向けているのでしょうか。
    普通の生活には戦いを忘れてはいけないのかも知れません。
    その結果が明暗のどちらになっても、それが刺激になればいいのでしょう。
    一寸先は闇、闇の中がいいのかも知れません。
     
    | 自然・未来と過去 | 09:10 | comments(0) | - | - | - |
    残すもの、残ったもの、未来人が必要なもの。
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      9月も第一週が過ぎようとしています。
      秋風が無く、まだ夏の続きでしょうか、しかし蝉はずいぶんと少なくなったような気がします。
      気温(天気)よりも時間の方を優先しているのかどうか、時節がくれば役割は終わりなのでしょう。
      そう言えば、今年の中秋の名月は来週の8日だそうです。

      え、もう中秋の名月と思ってしまうこの気候、どうにも秋の感じが持てません。
      昨夜も熱帯夜かも、エアコンをつけっぱなしで寝ました。
      天気予報を見ても、今夜も湿度100%と出ています。
      寝苦しい日々が続きます。

      来年の今頃はどんな状況(天気)なのでしょうかね。
      状況をメモして残しておきたいものです。
      と言うのも、昨年の天気状況をさっぱり覚えていません。
      記録と言うものをしっかり取っていたいものです。

      しかし、ほとんど記録を残していません。
      勿体ない気がします。
      今朝も巌流島の決闘に関する記事を読みました。
      1612年の事であったそうですが、武蔵が勝ったのは確かですが、小次郎が武蔵に切られたのではなく、息を吹き返した後に、武蔵の弟子たちが小次郎を殺したと書いて有ります。

      結局いろんな説が残りますが、確かな記録が残っていないためでしょうか。
      昔の話でなく、今のことでも、一年前に起こした何らかの事柄を聞かれた時、記録が無ければ曖昧な説明になってしまいます。
      多くは都合のいい方向に話が向かいます。
      真実が隠されることも多々あります。

      ご都合主義、これが横行してしまいます。
      記録は本当に大事ですが、後々まで必要かどうかを考えると、途中で廃棄してしまうことが有って、ここんところが勿体ないのです。
      確かに、記録は膨大な荷物になってしまい、収納場所の問題が出ます。

      ですから、整理整頓が必要ですが、何を残すか、残されたものがどう生かされるか、これは中々難しいのもです。
      しかし、100年先の未来人は過去の人々がどう暮らしたのか、知りたいでしょう。
      1000年先の人々はどんなことを知りたいのでしょうかね。
      そこんところを知れば、残すものを決めるのが容易(たやす)いです。

      今知りたいのは江戸時代の庶民の暮らし方、地方も含めて、いろんな日本中の暮らし方、江戸時代には庶民は人をしてみなされなかったのでしょうから、記録を残すことは無かったんでしょう。
      かたりべが伝える程度のものいしか残っていないのでしょう。
      そうした庶民の記録は多分未来の人も知りたいと思うかも知れません。

      このブログも残るものの一つです。
      未来人が読んでくれれば、平成時代の生き方が少しは分かってくれるかも知れません。
      そんな気分へ思いが及んで来ました。
      参考程度の記録になるかも知れないと、そう思いながらこれからも続けて行く心構えに変わって来ました。
      | 自然・未来と過去 | 09:20 | comments(0) | - | - | - |
      欲望と時代、過去を見ると面白いです。
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        今朝6時に起きたときは穏やかな雰囲気でしたが、今は強風が吹き荒れて、風の音が物凄いです。
        昨日も突然の雨と風、天気の変化に驚きました。
        自然の現象はいろんな条件で変わるのでしょうが、穏やかな日々が続くことを祈るのみです。
        この天気の急変に体はストレスを感じますから、風邪などを引き起こすことも十分に注意しなければなりません。

        油断が禁物の時期です。
        さて、歴史小説を読んでいると、たくさんの教えを受けます。
        その中で、それぞれの主人公が欲すること、欲望がこれまたたくさん有ります。
        その内容がとても面白く感じています。

        人の欲望はその時代背景に左右されるような気がします。
        松陰は長州(萩)の出身ですが、九州への旅は彼のその当時のもっとも望むものでした。
        そして、江戸に出れば、今度は奥州への旅が大きく膨らんで来ました。
        旅をして、いろんなことを見て、聞いて、そして見聞を広げる、そのことが渇望されたわけです。

        江戸時代の背景は情報の入手などは自分の目で、耳で確かめるしか無かったんでしょう。
        旅は徒歩ですから、萩から江戸まで一か月以上もかかっています。
        旅は長い時間がかかります、九州への旅は50日以上もかけています。

        しかし、現代の旅は50日も国内を旅することは無いでしょう。
        海外だって、出張以外の旅ならば、一か月もの長い旅は無いかも知れません。
        江戸時代の旅は大変な状況だったんでしょうが、見聞の欲望が高まれば、その苦労など感じなかったのでしょうね。
        時代を考えれば、当時は凄いものだったんでしょうが、現代は九州であろうと、奥州であろうと、簡単に情報が入りますから、見聞と言う名目では旅する必要が無くなりました。

        そう見てみると、時代と言うものは面白いものです。
        現代から未来(100年先)に行った時、どんな欲望が有るんでしょうかね。
        旅もどんな形になっているんでしょう。
        未来の背景はどんな姿なんでしょうか。

        ちょっとした欲望、その重さが時代によって大きく違います。
        歴史からのメッセージがそんな風に聞こえてきます。
        松陰は苦労人だったのか、それとも楽しみ屋さんだったのか、欲望に駆られての旅は本当に大変だったと、同情したくなります。
        現代に生きていれば、徒歩ではなく、新幹線や飛行機の乗れたのに、しかし、松陰はどんな日記をつけますかね。
        | 自然・未来と過去 | 09:04 | comments(0) | - | - | - |
        期末が近づき、年間の成績が問われる時期です。
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          今日はまだ依然として気温が上りません、外気温は1度から2度程度です。
          最高は6度と予想されていますが、上るかどうか、太陽も弱弱しい光線ですからね。
          こんな日は家の中が一番ですが、どうしたって買い物やら、何かとお出かけする予定が有りますから、万全の寒さ対策をして行きます。
          そして、今夜から明日にかけてもっと寒いと言うことですから、もう春は何処に隠れたんでしょうか、かくれんぼもいいですが、そろそろ姿を現してもらいたいのが本音です。

          それにしても、あのソニーが1000億円の赤字決算になるとるとは驚きです。
          期末がまじかに迫って、経営者は夜も眠れない日々でしょう。
          ソニーと言えば、我々は創業者が健在で、いろんな所でお話されているのを、情報で知り、素晴らしい経営者だと思っていました。
          本なども読みましたし、実際に物凄く発展している時代、新工場建設に関わったことが有りました。

          有能な建設担当者だったので、いろんな面で勉強になったことを覚えています。
          新しい発想が多く、従来型の考えを破壊し、一つでも新しい思考を持って行かないと、提案しないと、採用されませんでした。
          そうして、新工場の稼動後は製造される製品が足りなくなり、又々別の工場建設に取り掛かりました。

          凄かったですよ、その勢いは飛ぶ鳥を落すくらいでした。
          しかし、何時の時代でしょうか、海外へ工場をシフトし始めたのは、あの工場も無くなったよ、と聞いた時は寂しさもあり、残念でもありました。
          音楽へ、CD開発の研究中にCDを見せてもらいましたが、今までのレコードからこんなもんで音楽が聞けるんだろうかって、不思議な感想を持った思い出も有ります。

          しかし、音楽分野では大いに業績を伸ばし、ソニーの力を存分に発揮していました。
          その当時、テレビ分野もトリニトロンと言う独特の技術でした、ビデオでも2系統に分かれてソニー開発とビクター開発で製品化され、買う方がどちらが良いのか、分からないからソニーをと言う具合でした。

          そのソニーがもう姿がどこに行ったのか、見えなくなってしまって、我々の時代人は物凄く寂しい思いです。
          もちろんソニーだけに限ったわけでなく、我々の時代に成長し、世界中で活躍した企業はたくさんありました、しかし、どの程度になっているのか、より成長しているのか、脱落してしまったのか。

          時代が変われば、企業のやるべきことが変わるのでしょうか、決してそうではなく、製造と言う分野は無くなるわけでは有りません。
          簡単に製造工場を海外へ出してしまったから、工場が無くなっただけです。
          もう戻そうとしても戻って来ないでしょう。

          期末の楽しさ、今年も昨年の何割アップと言う時代では、決算を早くしたい気分であったはずです。
          現代は決算をすることがどんなに恐怖か、その経営者は創業者のに気持ちなど微塵も知る由が無いでしょう。
          残念な日本になった気がしてなりません、我々はいい時代に仕事が出来たと思い出します。
           
          | 自然・未来と過去 | 10:13 | comments(0) | - | - | - |
          後ろを見ることは非常に少ないです。
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            二月に入りました。
            時間が進めば、当然のように次の日が来ます。
            暦が有りますから、その決まりである月が訪れます。
            なんとも自然なのですが、不思議でも有ります。
            時間を見つけ出したのは人類の最初からなんでしょうかね。
            暦を使うようになったのは、人類にとっては最近なんでしょうか、400万年前には時間も暦も無かったのかどうか。
            しかし、日が昇り、日が沈むことに変哲は無いでしょう。
            今は暦で生活の全てが支配され、従順になっています。
            逆らってもしかたがないですが、何処と無く逆らいたい気もします。

            そんな訳で、一月の思いを考えて見ると、それほど悪いことは無かったように思います。
            今年はいい面を見る様に努めていますので、その方面に気をつけています。
            しかし、中々いい面が見えない、無いですね、悪いことはいくつも目だってますがね。
            人の社会は悪徳の行為をする環境が整っているのでしょうかと、疑問視したくなります。

            性善説がこの社会に出てしまうと、消されてしまうかも知れません。
            赤ちゃんは悪を知りませんが、知恵が付き始めると、悪の王様になってしまいます。
            人を困らせる、これが善だとは思えません。
            赤ちゃんが泣く、親が困る、これから悪が開始されているのでしょう。

            そして、大人は悪に染まることも多く、他人を人と見ないで、迷惑を掛けること甚だしいです。
            歩行中のタバコはなんとも迷惑千万ですが、悪と認めない風習を早く止めさせたいです、しかし日本人はここんところが中々素直さに欠けています。

            こうして、過ぎた日々を思い返す、そして反省する、これが人に出来ることですが、滅多にやりません。
            歩行中でも、後ろを向くことはほとんど有りません。
            車ならバックミラーが有りますが、人の目は後ろが見えません。
            振り返らねば、見えない仕組みです。
            たまには、そうした後ろを見ることをしないと、過去を見ないと、前進だけでは悪に走り兼ねません。

            日記を付ける、これはいいことだと思います。
            その日を振り返ることをしています。
            やはり、日々の暮らしを、自分を見つめて、自分を見つけることがいいことにつながりそうです。
            いいことが多くなるように、この世がばら色に輝くように、そう願っているのです。
             
            | 自然・未来と過去 | 09:18 | comments(0) | - | - | - |