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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
後世の人が見るものNo 4074
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    昨日は梅雨明けかと思うほど気持ちの良い日でした。
    しかし今日は薄雲が空全体を覆って日射しは弱々しい状況です。
    どうやら連休は雨の連続だとかキャンペーンの出鼻をくじかれて仕舞う様です。
    それも無理押しだったから当然かもしれません。

    しかしですよ、朝日新聞の調査では70%以上の反対意見に政府はどう見ているのでしょうか?
    だから前倒しなどやらねば良かったんだと言う自民党議員はいるんだろうか。
    誰も黙り込んで知らんぷりしてます。

    与党議員は安泰で選挙も心配無いし、余計な口を出さない方が次も当選確実になる訳です。
    広島の溝口議員でしたか安倍政権に異論を呈したら河合杏里に負けてしまった事がそれを物語っています。

    兎も角静かに政権のなすままジッとしているのが良い議員の姿なんです。
    それで責任も無いし、4000万円近いお金が入る訳で豪華な生活も出来るし良いことだらけです。
    政治家は特別扱いされますから一度政治家になったら辞められない、辞めたくないそうです、分かります。

    そうした政治家を後世の人はどう見るのでしょうか。
    と言う事で大久保利通などは自分の日記を後世の人は必ず読むと言う信念から、内容を吟味して書いていたそうです。
    今の安倍晋三氏は日記を書いているのでしょうかね、トランプはツイッターを日記替わりに使っているかも。

    いずれにしても現在だけがこの世では無く、この先もずーっと続くのですから良い政治を行う努力が大事です。
    これほど混乱させた政治は岸信介以来かも。
    岸信介は安保関連で国中を混乱させ泥沼化してました。
    やはり当時の政治は強権政治で、何でも強い政権下で進めてしまいました。

    米国との機密条約も後で出てきた様に国民には説明せずに進めた訳です。
    今の安倍晋三氏は岸信介の孫でしょう、やり方はよく似てます。
    強権政治で一強で誰も反論出来ず、それで説明も十分にせずに、物事が進んでしまってます。

    反省すら感じられず責任も感じず、国民を虫けらと思っている節が感じられます。
    今度のキャンペーンは7割の人が反対と言っている訳で、当時の安保もそう言う状況だったと思いますよ。
    次元の違いはあるにしても傾向が似てませんか?

    こうした世に生きている事が良いのか悪いのか、後世は最も良い社会になっているのか。
    100年後に小説として書かれる事が有るのかどうか。
    日記を書く、これは明治維新の人は多かった様です。
    木戸孝允も日々書いていたそうで、内容は曇空の様なものだったとか。

    伊藤博文等々の残した日記から当時の内容が事実として分かると言うものです。
    西郷隆盛は書かなかったとか、ですから西郷隆盛の人としても内容が分からない面が多いとか。

    兎も角政治政権のトップがどんな気持ちで現在を動かしていたのかを後世の人が見る事も必要では無いかと思うのです。
    それが歴史として残ると言うものでしょう。
    シュレッダーで不味いものは削除させては後世の人に対してやるべき行為ではないです。
    悪いと思う事も残さねば後世の人は悪政だったのか、良い社会を作ったのか判断出来ません。
    桜を見る会の出席者名簿も後世の人が見たら滑稽に思うのか、たいしたもんだと褒めるのか?

    即ち現状どんな事で動いていたのかを善悪を別にして後世が知る様にしてあげる、これが優しい思いだと思うのです。
    機密文書は確か30年後に公開されます、それがとても興味を持って見る人も多いでしょう。
    シュレッダーは良くありません、勿論パソコンを丁寧に調べれば出てきますがね、今度の河合議員の様に。
    しかし桜のパソコンは手に入らないでしょうから、出現させられません。

    本からいろんな事実を知る事ができるのは後世に日記を残してくれたお陰です。
    大久保利通は嫌われ者になっていますが日記と言う貴重な資料を残してくれたおかげで、明治維新の歴史を知る事ができます。
    是非安倍晋三氏も日記を100年後に公開してください、あればの話ですがね。
    | 自然・将来・変化 | 09:52 | - | - | - | - |
    変わる街の姿に驚き
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      今年の梅雨は順調に推移しているのかも、曇りや雨が多いです。

      でも気温が低いのが気がかりです。

      お米の成長に問題が起きなければいいですが、不作までは行かなくても美味しいご飯になって欲しいところです。

       

      昨日は久しぶりに先輩と昼飲食をしました。

      11時半の待ち合わせ、東京駅の地下街飲食店ビヤホールでした。

      少し時間が早めだったのでその近をうろうろしてみました。

       

      そうしたらいやはやいろんな店が変わってました。

      何時も行っていたお寿司屋さんは既に次の店に「ひものや」でした。

      その隣も、それからちょっと離れた場所にも有ったはずの店が有りません。

       

      友人の話では何時も10名程度で飲み会をしていた店も無いと言ってました。

      どんどん変化するのは良い事でしょうが馴染の店として利用していたので残念に思います。

      そう言えば、もっと古い事を思い出して、あの店は良かったと先輩と懐古したりしました。

       

      どうも日本は変化が美徳と思っているのか、新しいものが全て良い事にしているのか、どうも納得が行きません。

      店の中が古びて来て、何となく貫禄が出て来たような雰囲気っていいじゃないですか。

      そこに思い出が残っていて、郷愁を感じさせるものです。

       

      日本人はふるさと思いの国民性が有る様に思えるのですが、あの連休の帰省ラッシュから想像しても、しかしふるさとは変化したものに郷愁など感じないのじゃ無いかとも思ってしまいます。

      古いものが残っているのが良い、そう思うのですが、俺のふるさとは変わらないね、って憤慨している輩にはふるさとなどの感じ方が無いのではと思うのです。

       

      ともかく変化が激し過ぎて思い出の場所が無くなってしまうのが残念です。

      その点、昔の形を残している欧州の街並みに感心してしまいます。

      アムステルダムの街並みは好きでした、一人で街を散策し、路面電車であちこち乗って、古い古い喫茶店の路面に出ている木造りのテーブルで老人が新聞を読んだり、じっと街並みを見たりしている風景が目に浮かびます。

       

      日本にそうした落ち着き場が有るでしょうか、古い店は改造されたり次の店に変わったり、年中変化させています。

      変化が時代の象徴だと言う感覚は良いかどうか疑問です。

      | 自然・将来・変化 | 09:09 | - | - | - | - |
      キャッシュレス⇒カードレスへ移行するのはもう直ぐとか。
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        現在は薄曇りですがだんだん低気圧が近づいてきて明日は雪になるとの予報です。

        大寒も過ぎましたがこれからが冬の本番が来ます。

        今週は気温が低い日が多いようで、冬来たりなば春遠からじ、の時期に来ました。

         

        明日の雪が楽しみです。

        さて昨日カード決済の話を書きましたが今朝の記事ではカードレス時代がそろそろ本格化するといいます。

        確かにカードは紛失や盗難などで被害が出ます。

         

        カードの欠陥はその点にあります、又いろんなカードを持ち歩かねばならない事も煩わしいです。

        それがカード無しで決済できる方法に進んでいると言いますからこれはいいです。

        指、手のひら、顔等々の認識で決済できるといいますから間違いのない方法でしょう。

         

        便利と言うことも有りますが事故に会わない事が一番でしょう。

        カード事故で45億円ぐらいが被害に会っているそうです。

        何んにしてもキャッシュレスはいいことです。

         

        中国では殆どが現金を持ち歩かないそうでカードやスマホで決済しているとか日本じゃ考えられません。

        最近カード決済を優先し現金をつかわない様にしてますと小銭が必要ないしポケットの小銭の重みも少ないですからいいですよ。

        老化防止に小銭決済を進める事を以前に聞きましたがレジが暇な時は許せますが混雑時には困りものです。

         

        そんなこんなでお金と言う価値も変わってしまうのでしょう。

        現金など自分のものじゃ無いし保管も気を使います。

        銀行に置いておけば全ての決済が銀行同士で行ってくれるのですからそうすべきでしょう。

         

        キャッシュレスは非常に良い事ですからどんどん進むべきことでしょう。

        カードから手のひらや顔決済になったら「手ぶら決済」になると言うのです。

        現金もカードも必要なしいいですね、それで買い物が出来るのですから、お金を持参する心配が無くなり物足りなくなるかもしれません。

         

        財布も必要なくなりますかね、自販機も小銭無しでいいわけですから百円玉や十円玉を用意する必要が有りません。

        駅ではスイカで決済出来ますがこれが一般の販売機で指や手のひらをかざすだけでものが出て来る便利です。

        子供はどうなりますかね、預金していない人はどうすますかね、問題点は多々あるでしょうがそうした方向へ移行するのはもう間もなくです。

         

        財布の中身を気にしない時代が来るなんて考えても見なかったのです。

        同じ顔が無いわけですからこれが普及すれば印鑑証明や個人証明用の戸籍抄本なども必要なくなるかも。

        全てが簡素化されて役所の仕事も無くなるかもね。

         

        今は書類が顔(本人)よりも信頼性が高いのです、本人確認をするにしても書類が必要なんです。

        免許証や個人ナンバーカードなどが本人よりも承認要因が上なのですから狂っています。

        これから顔認証が普及すれば自分と言う保証がどこでも可能です。

         

        問題は整形美人になって顔が変わったらどうなりますか?整形産業は繁昌する?そんな事が有るかね。

        整形美人の産業は一切廃業させられることも有り得るか、偽札じゃ無いけど偽顔を作られたら困ります。

        そう中国で偽札が大量(37億円も)に見つかったとか悪者はこの世から抹消出来ないものです。

        | 自然・将来・変化 | 09:51 | - | - | - | - |
        何を選択(チョイス)するか常時付きまとう
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          昨日からの雨がやっと上がった。

          気温が低いから机に向かっていると外の風がひんやりと感じる。

          ランニングシャツではちと寒いので半袖を羽織った。

           

          もうすぐこうした寒いと感じる日が多くなるのだろう。

          太陽も南に傾いてきて穏やかになって来た感じがする。

          暑かった夏と言う思いがすっかり忘れてしまっている。

           

          寒さに何をするか、身体を動かせば当然熱が発生し寒さ対策になる。

          じっとしていれば温かい洋服を着ればいい。

          それぞれ方法論があるから常にどれにしようかと迷いながら選択している。

           

          もし方法論が一つならば選択する苦労は無い。

          しかし人の営みはこの苦労が付き物だ。

          逆に言えば選択の楽しみもあると言うものだ。

           

          さて今日は友人と帝釈天にいってから荒川の土手をサイクリングする計画が有った。

          しかし昨日からの雨、今朝も6時には小ぶりであった。

          友人から電話が有りサイクリングは多少危険が伴うから中止にと言うことになった。

           

          ここでも安全危険の判断で選択された。

          では今日はどうするか新たに行動の選択をすることになる。

          取りあえず天気次第と言うことになるので様子見だ。

           

          衆議院解散と言う大きなテーマを選択した首相、それに伴って多くの人々が選挙に染まってしまう。

          どんな風に選挙をするかを選択せねばならない。

          一方新党結成でどんな党首を選んだらいいのかも複雑な選択に追われる。

           

          国民は今度はそんな政党どんな人を選択するか難題にぶつかる。

          いやはやこうした選択の連続に驚きを感じる。

          頭脳の働きの大半は選択に使われているのであろう。

           

          右か左か簡単なことだが選択となると悩んでいることが結構多い。

          公園の散歩を右回りかいや逆に回ってみようかとか考えながら公園にたどり着く、そしてやはりいつもの通り右から行くかと決まる。

          簡単だが結論を導かねばならないのが選択だ。

           

          まそんな訳で人間は選択機(洗濯機)だと言う言い方をした人が居た。(以前に書いたと思う)

          大変面白い表現でいつまでも忘れない。

          その事が時々思い出される。

           

          北朝鮮が何を選択し、我々はそれにどう対応するかの選択はとても重要なことだ。

          メキシコ地震で多くの犠牲者が出た、次に我々のところでどんな災害が来るのか余談出来ない。

          どんな選択が有るのだろうか良く考えておきたい。

           

          昨日健康診断で血圧が高いと言う医者の言葉、毎朝血圧測定してデータを10日後に見せて欲しいと言う。

          早速今朝から測定したが普通の状態だ、高くはない。

          それ程問題では無いと思うが医者が言うからには少し測定せざるを得ない。

           

          そんなこんなで日々の選択が面白い。

          面白いのが一番いい事だと思ってそういう方向に選択チョイスしている。

           

           

          | 自然・将来・変化 | 09:39 | - | - | - | - |
          築き上げたものが崩壊、変化の生贄(いけにえ)か。
          0

            外気温は20度を下回るようになって来ました。

            今朝も17度程度で、部屋の気温も20度ぐらいやはり長袖になりました。

            急な変化に対応し切れな感じです。

             

            だってまだ冬物と夏物の入れ替えをしてないんです。

            今日はその作業をしなくてはいけないようです。

            中々大変なんですよね、入れ替えは。

             

            デパートがどんどん閉店の流れに乗ってしまったようです。

            総合スーパーも同様の運命になっているとか、何とも寂しさを感じます。

            大きな駅の駅前には必ず百貨店があります、凄いなあと子供心に感動したもんです。

             

            総合スーパーも大きなスーパーだなあ、何でも売っているので便利だなとこれも驚きでした。

            特に家電製品などはスーパーで買ったもんです。

            冷蔵庫や洗濯機等々ほとんどがそうでした。

             

            デパートはご進物、中元や歳暮に利用することが普通でした。

            お祝いの品物はどこどこのデパートで、包装紙で価値判断したものです。

            三越の、高島屋の、その包装紙じゃなくてはいけないと。

             

            今はそんな意識など全く無くなったのでしょうか。

            富裕層にその感覚が残っているのでしょうか。

            昔に築かれたもの、しかし昔と言っても50年前程度でしょう。

             

            それがどんどん崩壊しているような印象を受けます。

            作ったものはいつかは崩壊する、させることになろうかと思いますが、しかし早すぎではと、まだまだ繁栄が続いてもいいじゃないかたと。

            変化の速度は崩壊速度に比例するのでしょうか。

             

            江戸時代はゆったりとした変化だったのでしょう、お城も何百年も同じ状態であった、街並みも同じ、住む人々もそれほど変化が無かったと。

            崩壊するものが無かったかも知れません。

            悠長な、悠久な感じが有ったような。

             

            それが明治以降、変化が急激になり、作っては壊し、作っては壊し、その繰り返しが現代まで続いています。

            何百年も壊さずに残っている町は有るでしょうか。

            近代になったらもっと早くなり、どんどん街は変化し、人の街から建築物の街になってしまった。

             

            生活の場と仕事場とが分離し、お互いに疎通する関係がなってしまった。

            交通機関がその場をつなぎ、大変な思いで分離された場を渡り歩いているのです。

            人の街ではなくなってしまった、人が重要視されなくなった、人の営みが歪(いびつ)にされてしまった。

             

            朝早く住まいを出て、夜遅く住まいに戻る、そこに正常と言えるものが有るかどうか、普通の感覚ではない、そこに気付かない現代人、変化した状態に疑問を持たない。

            そうした人間らしさを無くして、何かを作ろうとしても、その感覚ではロクなものが出来ません。

            直ぐに壊す羽目になってしまうのです。

             

            昔はお城を作るにしても何年もかけて、多分5年以上でしょう、しかし今では同様なお城みたいな建築物なら2年で出来上がってしまうでしょう。

            早すぎる建築物の施工、ですから早く壊すことになるのでしょう。

            この先、どうやら景気も後退してきて、速度もどんどん落ちることでしょう、変化が鈍くなって行くでしょう。

             

            人の考えもゆっくりの方向になるでしょう。

            変化が遅くなれば、崩壊もゆっくりと、デパートも閉鎖しなくてもよくなれば、何らかの対策はないものでしょうか。

             

             

            | 自然・将来・変化 | 10:02 | comments(0) | - | - | - |
            じっと手を見る、皺の多さに年齢を感じる、自然だ。
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              久しぶりのいい天気、爽やかな秋の気配、しかしつかの間だと言います。

              何分梅雨空が続きましたから、こうしたいい天気に戸惑いも感じてしまいます。

              明日もいい天気を願うのですが、予報は雨マーク、変化が多すぎます。

               

              9月も今日で終わり、残り3か月になりました。

              新しいカレンダーや手帳が売られる時期に来たんです。

              そうなると、どことなく忙(せわ)しない気分になってきます。

               

              一年を無事に過ごしたい、これが年初め、そしてここまで来ると、今年の終盤にやっておかねばならないものはと、欲が出てきます。

              行動範囲が狭かった反省を感じて最近は行動を広げています。

              友人(先輩)と先日会食したときに、勉強会に出ていると言います。

               

              市に主催で、シルバー大学を昨年卒業し、今年はマスター教室だそうです。

              月に何回か講義を受け、また楽しい遠足(?)もあるそうです。

              最近の遠足は船の遊覧だったようです、今遊覧船があちこちで見かけますが、どうやら定期便のようです。

               

              是非乗って見たい気分になりました。

              又、俳句ももう長い間、会に入っているので、俳諧師になったんじゃないかと、本格的なものです。

              そうした友人の姿を見ていると、我ながら啓発されて来ます。

               

              老人は何歳から言うのか解りませんが、70歳を超えても若々しく、頭脳を使う、これが幸せじゃないかと、そんな気がします。

              若さの特権は感情が濃いと言うことかとも、感じやすいといいますか、反応が早いです。

              もういいや、こうなると、老化現象が新幹線並みに早くなってしまいます。

               

              何事にも興味を示し、探求心を忘れない、これですね。

              赤ちゃんの目はめまぐるしく動きます、そして何かを見つけると、一身に見つめます、興味津々と感じるのか。

              あの姿を老人は無くしてしまっています、目の輝きを。

               

              啄木の「じっと手を見る」のところだけは忘れた事が有りません。

              実に手の皺、そこに年齢を感じさせます。

              しかしもっと先になればもっと皺が多くなります。

               

              今時点は将来よりももっとも若い時なんです。

              そう考えるようにしています、今は若いんだと。

              若さゆえ、行動にも積極的に、反省しながら、このいい天気を利用して、張り切ります。

               

              じゃ、出発です、新たな天地へと。(大げさかな、たかだか量販店に行くのに)

              | 自然・将来・変化 | 09:45 | comments(0) | - | - | - |
              未来の展望・予測への無知。
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                心地よい微風、いい感じです。

                曇りの天空には飽き飽きしていますが、風は秋風です。

                今日も友人との会食があります、昼の宴会は老人の特権(?)でしょうか。

                 

                最近は居酒屋も不景気なんでしょうか、サービスがいいこと、いつもの店では刺身類は半額です、2日間だけですがね。

                大漁盛りで普通1900円程度ですから、それが800円に、ちょっと驚きです。

                アベノミクス失敗が原因なのか、お店の経営が大変なのか、とにかくお客集めに懸命です。

                 

                消費者としては有りがたいですが、逆に大丈夫と気になります。

                お店のリニューアルもした方がいいような店内も結構多いですが、それも出来ない事情が有るのでしょう。

                商売繁盛は中々難しいのかも知れません。

                 

                しかし、どこか忘れた部分が有るような気がしています。

                築地市場の問題が大きな話題ですが、その内容は老朽化です。

                全てが老朽化すること、自然現象です。

                 

                そのことに目が行き届かないのです。

                将来必ず行わねばならない、老朽化の対策、建設した当時から検討をしてなければならないはずです。

                首都高だって、この先100年ももたないでしょう、ズタズタになるまで放置するのでしょうか。

                 

                100年先を見越して、地下道を毎年10Km程度作っておけば、100年後に1000kmになります。

                そうすれば、地上(高架)の道路は無くなり、都市の空間が見違えるほど美しくなるでしょう。

                そして、老朽化したものから、次々に地下道に変わっていけば、おお騒動することは有りません。

                 

                築地も30年前から話が有ったと言います。

                ですから、100年先などあっという間に来てしまうんです。

                築地市場はもう80年も経過しているんでしょう、ですから、建設したときに老朽化したら、どうするか、その対策工事を行うべきだったんです。

                 

                それこそ、現在の市場の地下に空間を作っておけば、新市場を地下に移すことがいつでもできたはずです。

                未来なんて、すぐに来るもんです、言い方を変えれば、老朽化はあっという間なんです。

                現在高層マンションがどんどん出来ていますが、70年後に建て替えしなければならない、とすれば、どこにどう建て替えするのか、販売と同時に老朽化に備えておかねばなりません。

                 

                広い土地を確保して、現状の建物が期限になったら、保有している空き地に別棟を立てて、移る程度の余裕が欲しいものです。

                現状は35年以上も経過した老朽化マンションは非常に多いそうです、そして空き家になっているとか、格安で入手できるとか、しかし後35年後には建て替えが待っています。

                どんどん空き家になってしまって、ゴーストタウンになること間違いなしです。

                 

                住む人が居なければ、どうなるのか、今後70年後、いや100年後の大都市はどのような姿なのか、今から考えて、対応を実行してなければ、築地市場の二の舞いです。

                今や、100歳以上の長寿になっている方が6万人を超えています。

                100年後、100歳が平均寿命になるでしょう。

                 

                どうやら、人の寿命は120歳から、150歳に変更されたとか、話を聞いただけですがね。

                そうなれば、70歳は半分です、70歳からまだまだ生きる訳ですから、生活の場は老朽化させてはいけない訳です。

                建設と同時に、老朽化への対応、そこに目を向けて未来を考える、これからの方向じゃないかと、豊洲市場の問題が提言しています。

                 

                | 自然・将来・変化 | 09:29 | comments(0) | - | - | - |
                何と言う革命になるのでしょうか、やはりイギリス発(初)です。
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                  雨がしっかりと降り、立派な梅雨です。

                  やはり、梅雨はちゃんと雨が降る、これで作物も、飲み水も確保され、真夏の暑さに耐えられると言うものです。

                  もし空梅雨だったら、心配事が多々出てきます。

                   

                  しかし長さは適度に切り上げて欲しいものです。

                  大きなうねりが来ました。

                  津波のように海辺全体を飲み込んでしまうのか、影響が少ないのか、現段階では何も想像出来そうも有りません。

                   

                  イギリス発の新しい動き、革命と言う言葉が将来使われるのでしょうか。

                  何と言う名前が付きましょうか、前回は産業革命でしたが、今回は経済革命になるのでしょうか。

                  今までの43年間の経済の枠組みから、一歩抜け出して、独立独歩する方向に移行します。

                   

                  単純に考えれば元に戻ったとも言えます。

                  しかし戻ると言うことが凄いことで、革命的であろうかと、国民の意思がそうした結果を求めたことになります。

                  理由はともかく、こうした行動を起こすことが出来るのがイギリスらしさでしょう。

                   

                  まさか、殆どの人は驚き、右往左往し、金融界が混迷・混乱しています。

                  しかし勝者となった当事者のイギリス人は驚きよりも歓喜に酔っています。

                  何かを成し遂げたと言う感想を持っているかのように伺えます。

                   

                  これから大変な難題を解決する時間が費やされるでしょうが、どのように世界を引っ張っていくのか、見ものです。

                  この革命的な反応は連鎖することになるでしょう、経済の方程式が変化するのでしょうか。

                  英国連邦と言う枠組みが歴然と有ると言います、54の独立国、20億人の人口が参加しているとも。

                   

                  今後何がどう起こるのか、これからの方策が未来に対して良い事になることを祈りたいです。

                  産業革命は人々に便利で裕福な暮らしを提供しました。

                  しかしその恩恵は既に行き渡って、次の恩恵を望んでいます。

                   

                  どんな形が生まれるのでしょうか。

                  モノづくりから、カネの価値へと移るのでしょうか。

                  今や為替の変動が利益貢献をするか、しないか、生産(モノづくり)よりも大事な要素です。

                   

                  作ってなんぼ儲けた、から、1円の円安で何億儲けた、の世界になっています。

                  こうした時代に、グループごとの商圏競争は無意味になるのでしょうか。

                  為替が良いのか悪いのか、何故為替変動をさせねばならないのか、誰が分かっているんでしょうかね。

                   

                  ま、いろんな変わり方があるでしょう、イギリスがどう変わるのか、安定するまで時間がかかるでしょうがじっくりと見ていきます。

                  革命かどうかもその内分かるでしょう。

                  呑気に見守ってもいいじゃないかと、まだ始まったばかりですから。

                  | 自然・将来・変化 | 09:14 | comments(0) | - | - | - |
                  慣習を変える、何が邪魔になるか。
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                    久しぶりに東京に雪が降りました。
                    湿った雪ですが結構積もりました、ここでは屋根の上に5cmほどでしょうか。
                     
                    今は雨、霙(みぞれ)か降っています、道がぬかるみで歩けないでしょう、通学の子供たちは大変だろうな。
                    サラリーマンは長靴と言うわけにもいかないと、普段のまま、しかし靴の中は水びだしでしょう。
                     
                    天候が悪い日は休み、となればよいものですが、世の中そう甘くない、実に辛い一日です。
                    でも予報では3時ごろから晴れマーク、我慢ですかね。
                     
                    センター試験がもし今日だったら、混乱したでしょう、よかったですね。
                    受験生の一生がかかっているわけで、気象条件だけは最良にしてあげたいです。
                     
                    そこで、いつも思うこと、この時期を変更してはどうかと。
                    センター試験を秋口の気候のいい時に行う、そうすれば受験生も気候の心配なく、又実力を発揮できると考えてしまいます。
                    何故この時期なのか、卒業もまじか、忙しい3年生に、受験も重荷になります。
                     
                    会社の就職試験は早々と夏ごろに行いますよね。
                    大学への試験だって、早々と結果が出たっていいじゃないかと。
                    そうすれば、準備期間も十分にあるし、卒業までに高校でやり残したものも余裕で出来ます。
                     
                    こうした慣習を変更することが中々出来ない、何故でしょうか。
                    そこには一旦決めたことに対する変更の面倒さによるものでしょうか。
                    慣習は人の世では物凄く多く、ほとんどが慣習の中で生きているかも知れません。
                     
                    法律が決めたものでもなく、変更はそれほど手続きが無いのかと思いますが、どうなんでしょうかね。
                    韓ドラの「イ・サン」(1600年代かな)を再々放送していますが、そこで強調しているテーマにこの慣習の打破が有ります。
                    古い時代から慣習にしばられて人は生活しています。
                     
                    韓ドラは悪の根源になっている慣習を正すもので、悪習を追求し、どこにその根源が有るか、突き止め、改革していきます。
                    その実行者が王の「イ・サン」です。
                    しかし大それた事項でなくても、変えた方がいい、と言うものを変える、誰が行うかです。
                     
                    実に複雑な現代、王様も居なければ、権力者も居ません。
                    首相の一言で変更できるものは何一つない世の中、民主主義とは面倒な制度でも有ります。
                    この先、改革と言う言葉は存在しても、それを実行する人はいないことになりましょうか。
                     
                    それこそ悪弊、悪習が有っても、変更するには多くの人の賛同が必要です、過半数の原理ですかね。
                    ところが組織(会社や団体)内では社長の「鶴の一声」で変更は簡単に出来ます。
                     
                    東芝などはそうした一声で、悪をしたわけですから、単純な構造です。
                    これが一般の世間になれば、そう行きません。
                    受験生の苦労などなんのその、いい時期に受験できるようにしてあげたい、そんな感覚はセンターの中に誰一人いないんでしょうか。
                     
                    イノベーションなど外国語を使って改革を進めている、しかし言葉だけに終わってしまっている。
                    実に情けないことです。
                    そう、情けない、勇気が無い、どうでもいい、忙しいから、などなど理由が並びます。
                    実行する人は「言い出しっぺ」になりかねない、だから黙(だま)っている、その方が楽ですから。
                     
                    それが現代版の改革、慣習に触れない、静かに時を過ごすのみ、未来は子供たちの世界、良い慣習を残してあげたい。
                    | 自然・将来・変化 | 09:30 | comments(0) | - | - | - |
                    やっと気づき始めた、自動車の改善。
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                      晴天の秋空、スポーツの秋にふさわしい。
                      散歩だけでもいい運動になります。
                      身体が自然に動いてしまう、そんな感じですね。
                       
                      VWの問題、排ガスの放出による大気汚染、人に影響するだろうとのことからの規制値、しかし走行中のデータは皆目分からない。
                      規制値をオーバーしているのが普通、常識であろうと。
                      特に大型のトラックは殆どがディーゼルエンジン、排気中に含まれる有毒物質はどの程度ばらまかれているか、知れたものではない。
                       
                      と言う話は誰も言いません。
                      排ガス規制値を遵守されている、それ以上に問題化したくない、そうなんでしょう。
                      なぜならば、次の手がない、即ち、問題化した後の対応が無いのです。
                       
                      従って、規制値の話は掘り返さない、と言うシナリオでしょう。
                      しかしここに来て自動車各社はこのままでは問題が大きいと思い始めたのでしょうか、未来車についての話が急に出てきました。
                      それも、さほど遠くない時期に、電気だとか、水素だとか、クリーンな車を目指して。
                      どうしたって、現状をこのまま推進していては地球にどんな悪影響が出るか、恐ろしくなって来たのではと。
                       
                      そんな気がします。
                      以前から車に乗らない、これを主張して来ましたが、車屋さんも気づき始めた、そんな気がします。
                      若者は車を欲しいと思わない、そう言う意識が高いようです。
                      いいことです、都会で車など必要ない、そのことです。
                       
                      必要な時には便利なレンタカーがいっぱい有ります。
                      ところが、この辺でも小さな家の前には必ず車を止めています。
                      玄関前に、玄関を開ける隙間もないほどの狭い場所に、車庫証明がよくぞ取れたものと。
                      家族そろって車の旅、程度しか使わない車、何故必要なのかと。
                       
                      排ガスを出して、地球に迷惑をかける、将来までその傾向が続けば、地球はもたない、そう思い始めた車製造業者、当たり前の所にやっと気づき、遅すぎたの感が有ります。
                      温暖化の問題だけでない、様々な異常さを生み出しているのが車なんです。
                      しかし気づかないのではなく、無視したいのです。
                       
                      車が売れる、それがこの世の経済発展に寄与すること甚大です。
                      もし、車が売れなくなったら、経済の鈍化が著しくなります、と言うシナリオは既にできあがっています。
                      車社会、それは使用するユーザーだけのことではなく、経済の面から、車企業化しているのが現状です。
                       
                      影響が大きい車、改善への取り組みは自然体です。
                       
                      期待したい改善を願うのです。
                      | 自然・将来・変化 | 10:03 | comments(0) | - | - | - |