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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
新緑の季節、躍動感が何とも良い感じです。
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    春眠暁を覚えず、朝寝坊したい気分です。

    今朝は久しぶりに晴天域が広がってますので気分爽快です。

    やはり空には太陽が照り輝いているのが自然です。

     

    樹々の緑は日々濃くなっていきます。

    小さかったイチョウの葉っぱもどんどん大きくなってきています。

    同時に色も黄緑から緑に変化しているのがよく分かります。

     

    植物にとってはこの時期が一番の見せ場でしょうか、花をつけている時期は人も見てくれますが、本来の躍動の姿は今です。

    この元気に緑の変化を見て欲しいと木々は語っている様に見えます。

    この活動する自然の中で人は生きているんです。

     

    変化の乏しい地域、砂漠やら熱帯やら氷河帯やらの中でも自然の躍動が出てきている事でしょう。

    動物も木々の変化に従って眠っていた冬眠中の熊も出て来ることでしょう。

    どんどん新しい生命が誕生して、いろんな虫たちが空を飛び回り、部屋に入って来る虫も多く、人に嫌われます。

     

    網戸などで遮断されますが、隙間を見つけては部屋に入り込んできます。

    大空、広い空間があるのに、なんで狭っ苦しい部屋に入って来るんでしょうかね。

    そうして殺虫剤で殺されてしまうんですから、虫も考えればと思うのですがね。

     

    その新緑の中(木々の長いトンネル)を自転車でギーギー音を立てながら通るのが又面白いです。

    今朝は空気も澄み切っている感じで、そろそろ出かけようと思っています。

    お隣の町まで用事がありますので、普通はバスですが今日は自転車で行きます。

     

    人の躍動時期はやはりこの時期ではないかとも感じます。

    新学期が始まり、子供たちも何となくウキウキした気分になっているでしょうし、運動会が目の前に迫って来てます。

    これから練習が始まるでしょう、実に長い時間をかけて遊戯などのお稽古をします。

     

    勉強も新しい教科書を手にして、一歩進んだ内容になりましたか、難しい言葉も出てくるでしょう。

    一年生は保育園と違って教科書を手に取って困惑しているかも知れません。

    遊びに勉学が加わるわけですから、戸惑いも当然です。

     

    出来るだけ精一杯の活動をしたいと気を入れて今日も出発です。

    | 自然・安堵 | 08:55 | - | - | - | - |
    100歳までの長生きが普通になるのでしょうか、その間の生き方は?
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      曇り空はやはり暖かみをもたらしてくれません。

      この分だと一日肌寒さが感じられそうです。

      朝方の天気でこの日の過ごし方が決まってしまう様に思います。

       

      この分では木々の春が遅くなってしまうのでしょうか、友人からのメールでは河津桜も例年よりも遅い開花状況のようです。

      現在は7分咲きになっているようで見ごろに近付いて来たそうですので、3月2日に花見でに出かけます。

      例年春一番に会って物凄い風に煽(あお)られるのですが、今年は穏やかな天気になって欲しいものです。

       

      寿命もどんどん延びているようです。

      100歳以上になっている方々は何人いるのでしょうか、そろそろ総人口の何割になるのではないかと、老人口の半分まで増えるのではと、そんな勢いでしょう。

      74歳などまだまだ青二才かも知れません。

       

      しかしですよ、もし100歳までと言うと残り25年も有ります。

      これから先25年をどう過ごすかと問われると、回答は全く持っていません。

      では10年先まではと言われても何ら思うところが有りません。

       

      で、今朝の記事で日野原重明さんの本が紹介されていました。

      「生きていくあなたへ」(105歳どうしても遺したかった言葉)です。

      日野原先生の話は前から聞き及んでいました、本もたくさん出されていることも知っています。

       

      しかし一度も手にしたことは無く、今回は是非とも読んでみたいと思いました。

      先ずは読んでみてからのことですが、何かを与えて下さるような気がしています。

      日々を過ごしているのも何か無駄が多くて勿体ない気がしてますが、それもこれも自分の主義なるものを持ち合わせていない為でしょう。

       

      平々凡々とは言っても、徒然(退屈)でもなく何かに時間を過ごしています。

      それは行き当たりばったりで計画的な行動になっていないのです。

      時には友人との会話や旅、飲み会程度が計画されたもので、それ以外は無駄な時間の様な気がしています。

       

      これがこの先も続くのでしょうから、この辺で日野原重明先人のお話を伺ってみたい気分になって来ました。

      これから本屋さんに行って買って来ます、近くのイオンに書店が有りますので助かります。

      人生って本当に無駄にしてはいけないのですが、無駄ばかりです。

      | 自然・安堵 | 10:29 | - | - | - | - |
      蓋を開けて見なければ分からない 新年の幕開け
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        快晴の毎日に感謝の気持ちが湧きます。

        暖房も殆ど使わなくて済みます。エアコンも電気ストーブも全くつける必要がないのですから助かります。

        ただし外は風が有るときは非常に寒いですがそれでもパンダのように着ぶくれしなくても十分です。

         

        良い正月が続きます。

        三が日が過ぎれば正月気分は無くなりますが実は元日から最近の雰囲気は正月気分が有りません。

        どこか寂しい感じです 綺麗な衣装・着物を着ている人を殆ど見かけません。

         

        何処かに真新しさを感じるのが正月なんですがどうもその辺が無いんです。

        正月用に新しいセーターなどを用意して着るのもいいと思うのですがそんな雰囲気も有りません。

        正月のおせち料理も手作りよりも市販の出来合いのもので間に合わせることが多いでしょうか。

         

        年末に20品余りも作ったのですが今年の年末はどうするか悩ましいところです。

        今年はどんな年になるのかもう蓋が開けられましたがまだまだ詰まっているものが見えて来ません。

        いろんな予測が入り混じって話が飛び交っていることでしょう。

         

        中身は良い事も悪い事も入っています。

        多くは悪い事がメディアで取り上げられ話題になります。

        良い事も多いのですがこちらは話題性が低いのでしょうか新聞の一面を飾ることが少ないです。

         

        世間は悪い事に興味を示し良い事には振り向かないものです。

        良い事は瞬間に通過してしまいますが悪い事は尾を引いて長く続きます。

        加計や森友などは今年に入ってからも消えないでしょう。

         

        良い事か悪い事かの境目に有る様なものも有ります 豊洲新市場が今年10月に移転すると言いますが良いと言う人と嫌だと言う人が混在しています。

        これはいつの世も同じこと 時代とは前進していると思っていますがどうやら人の世自体は変わらない気がします。

        秀吉の時代と今との比較をしてみれば人の意志と言う面では変わってない様な気がするんです。

         

        当時は戦国時代で能力主義でした上手く立ち回れば殿様になれましたし他国を占領することも出来ました。

        現代も会社の勢いが有れば買収して他の会社を傘下に収めています 占領と同じ事です。

        強い弱いは世の常 人の世です。

         

        今年の箱はパンドラの箱なのかどうか 不幸が先行し希望が望めないのか 希望の党もパンドラの箱だったのか分からないです。

        開けてしまった箱の中身に興味深々です。

        手品であれば仕掛けが有りますが現実の社会では予測不可能です。

         

        どうなるのか期待したい気分ですが 裏切られたら大変です。

        そう言えば今朝方初夢を見ました とても気分のいい夢でした ですが突然目覚ましのチャイムが鳴って目が覚めてしまったんです。

        残念な事でした パンドラの夢?だったんでしょうかね。

        | 自然・安堵 | 10:11 | - | - | - | - |
        謹賀新年
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          新年が明けました。

          おめでたい事です。

          この一年が無事に過ごせることを祈ります。

           

          こうして始まる一年ですがいよいよ365日がスタートしました。

          カレンダーも汚れが無いし平穏な地球が存在しています。

          しかし日時が経つと汚いものに汚染されて醜いカレンダーになってしまいます。

           

          いつでも清廉潔白なカレンダーであってほしい。

          人の世は何故汚れを容認し 一方では汚染を実行するのか 他の動物には無いことです。

          自然の営みを不自然にするのが人であるなら 人は地球上にいない方がいいのです。

           

          正月を迎え誰もが良い年を過ごしたいと願います。

          しかし汚染者は今年どれだけのものを獲得するかを考えているでしょう いやもう元旦から実行しているでしょう。

          誰かが振り込め詐欺の餌食になっているでしょう。

           

          綺麗な表だけが有る訳じゃなく汚い裏表紙も有るのです。

          これが表裏一体綺麗なものが保たれたらこの世は皆安堵の気持ちを持てます。

          安堵こそが頼りなのです。

           

          初詣で何を願うか 家内安全でありましょう 安寧を願うのです。

          何も無いことを願うのです。

          欲望よりも安寧です 平穏さえあればいいのです。

           

          ミサイルが飛んできても日本に落ちなければいいのです。

          どうぞミサイル開発を進めてくださいと しかし日本にだけは通過させてください。

          その保証が有れば日本人は安寧できます。

           

          一年は平穏・安寧だけでも十分です。

          欲望が間違いを犯す要素だろうと思います。

          昨年のいや過去の嫌な悪夢が再現しないことを祈るのですが 再現は繰り返すのです。

           

          それに対応出来るかどうか 人の欲に標的されているので 不可能と言えるでしょう。

          平穏を破る 安寧を破壊する 標的になることを意識すべきでしょう。

          毒針を持った害虫を退治出来ないのですから。

          | 自然・安堵 | 09:10 | - | - | - | - |
          残り僅かと言っても実は続くのである
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            年末の好天は歓迎する。

            大掃除も楽に出来るし買い物で自転車に乗るのも問題なしだ。

            しかし雪が降ったりみぞれになったりしたらこれは大変である。

             

            太平洋側に住んでいることがこの時期とても有りがたい。

            雪国での4年間の生活経験があるがこうした好天など全くないから雲泥の差がある。

            これほど不公平は無いと言える。

             

            今年も残り2日となったがそれ程深く考えなくてもいいかと思った。

            なる程日々は続いているわけでカレンダーが新しくなるだけなのである。

            年号が変わるだけなのだが大層に考えてしまうのである。

             

            今年はどうだった そして来年こそ何々する そんな意気込みが入るのだ。

            それが新年の良い処だろうがその始まりだけを強調してその後はだらだらと坂道を駆け下りてしまう。

            又普通の日々に戻ってしまう。

             

            新年が特別なわけじゃないのに特別扱いしてしまうのだ。

            これは子供のころに経験したものが残像的に残るのであろう。

            確かに正月が特別な日から普通の日々と変わらない日になっている。

             

            コンビニでもスーパーでも総菜屋オリジンでも飲食店でも居酒屋でも遊戯場でもう正月休みが無いのだ。

            何か違和感を覚えたものだが考えによってはその現象こそが普通なんだろう。

            人間以外の動物に特別な日は無いのである。

             

            魚だって普通に生きているしライオンだって腹がすいたら獲物を取らねばならない。

            正月など無いのだそれを特別にしたのはカレンダーの始まりからだろう。

            それも冬の寒い時期に南半球は真夏だろうが これを春に設定されていたら正月も気候が良くて良かったと思うのだ。

             

            北国の正月は用意するだけでも大変だろう 寒さも手伝って大掃除だって出来ない 雪の中にすっぽり家ごと隠れてしまっているから。

            もし春ならば雪も無くなり日光の下に楽な正月を迎えられるだろう。

            どうも変な時期にカレンダーが更新される。

             

            であるから正月は個人的に決めてもいいかも 実は自分の誕生日が本当の正月であると思う。

            即ち特別な日であるのだ。

            誕生日には絶対にお祝いし豪華にご馳走を食べ特別扱いを受けるべきなのだ。

             

            それ以外は特別な日など無くてもいいのかも知れない。

            と思うのだがやはり年末・正月の行事は特別に考えてしまっている。

            可笑しいことと思うがどうしようもない 習慣と惰性の流れかも。

            | 自然・安堵 | 09:05 | - | - | - | - |
            経験で知るもの
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              快晴、実にこの言葉がぴったりな今の天候だ。

              快い晴れであるからして気分は高揚している。

              だが残念なことに数日前から鼻水が出っぱなしで困ってる。

               

              風邪なのかも知れないが医者には行っていない。

              昨日どうにも我慢が出来なかったので薬屋に行ってみたら、「はながつらいかぜに」と言うものがあったから買った。

              そして飲んだら30分ぐらいしたら鼻水が止まった。

               

              驚くほど効くものだ。

              鼻水が垂れて来てテッシュが間に合わない程流れ落ちる状態がピタッと収まったのだ。

              嘘でしょうと言うほどの効き目であった。

               

              何が原因かは医者に行って聞いて無いので分からないが鼻が敏感過ぎるのかも知れない。

              ともかく今朝もまだ鼻水は止まっているし、薬も一回だけしか飲んでない。

              だから今日は快晴快適なのである、しかし何となくムズムズ感が有るので若干心配だ。

               

              花粉症の症状を持っているから鼻水には慣れているがこれ程ひどい症状は無い。

              と言うわけで注意しならが過ごすことにする。

              今日は歯医者に行く日なので治療中に鼻水が出たら大変だ、女医さんに申し訳ないから。

               

              そんなこんなといろんな経験をするものだ。

              経験則と言う物差しが有るようだが頭だけの計測と違って実に説得力がある。

              自分に対しても他人に対しても、特に自分には安心感を与えてくれる。

               

              こうした経験から人は善悪を理解するこのだろう。

              国会でも丁寧な説明と言うフレーズが横行しているが実際には何も説明されていないと言う。

              それは直接問題に関わった人の話を聞けないからではなかろうか。

               

              外野の人の話では具体性が無く真実かどうかも掴みにくい、森友学園の場合も値段を決めた人が居るはずであるからその人に算出条件を聞けば一発で説明が着くと思う。

              文章が処分してしまって証拠が無くなっていると言う程度で茶を濁すのは無く、当事者に直接聞くことだ。

               

              しかし国会と言う場は議員同士の結束が固いのか、国会は国会議員だけの場だと主張する。

              その国会議員が経験不足の人がワンンさと居る、何が出来るか分かっているのか疑問符が着く。

              議員を選ぶ選挙では人を選ぶと言う形に変えないといつまでたっても日本の政治は不明朗が続くだろう。

               

              議員がそうだから国を牛耳る官僚たちも不明朗が当たり前と不要と思える文章は消してしまうのだ。

              官庁は不要かどうかは自分たちで決められる、企業ならば7年間かな必要書類と言う名目で保管が義務付けられている、

              だから内部調査でどんどん明らかにされてしまう、神戸製鋼や日産などの問題も保管資料で全てが明らかにされる。

               

              しかし官庁は違うのだからどうしようもない、不利な文章は抹殺してしまう、これに携わった人々はどんな気分でいるのだろうか。

              官僚を退官後の日々はどうなんだろうか、あの時の文章は残して置くべきであったと言う気持ちは無いのだろうか。

              全てあれで良かったと結論づけるのだろうか。

               

              首相が嘘を付ける様に環境を整えるのが官僚なんだろうか、国は豊富なお金・財産を持っている、それを官僚が自由に処分できるのであるから凄い、いや必ず国会議員が関連しているのだ。

              首相のお友達に安く引き渡すのが口利きなのだ。

               

              そんなこんなで実際の経験者の談話を聞きたいのが市民の意向であろう。

              実態を知るには経験者以外に無いのだから当事者が前面に出て来て話せばいい、週刊誌に載せてもいいじゃないかと思う。

              メディアも何らかの手を使うことに努力を払ってもらいたい気分だ。

              | 自然・安堵 | 09:50 | - | - | - | - |
              溝は埋まらない
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                いい天気になって太陽光が部屋の中に入り込んでいる。

                折角の太陽だがカーテンを閉めて日よけしているのが勿体ない気分だ。

                今日は気温も高くなりそうなので外出が一番であろう。

                 

                どうも話が見えないとか言う場面が有る。

                言っていることが理解されないし、言われていることが的外れになる。

                こうしたことは一般的普通なのかも知れない。

                 

                即ち相手をどれほど考えているかによるものだと思う。

                普段は利害に関係のない人と人の交わりではそれ程真剣な会話など無い。

                差し迫った危機でもなければ何ら会話に神経を使う事など無い。

                 

                しかし関係が深い場合は別だ。

                お互いに利害を重要視しての会話は真剣だしお互いに主張することが度を超すことだってある。

                それが溝を生むことになってそうなるともう問題が大きくなるものだ。

                 

                確かに城を作る条件に堀がある。

                二重に三重に堀を廻(めぐ)らして或いは自然の要塞として川を利用する場合がある。

                今日は久しぶりにパソコンの反応が遅いので困っている。

                 

                ここんところとても順調な状態だったのだが今朝はパソコンと意志が通じないまさに溝が出来てしまった。

                冗談は兎も角溝などと言うものは堀と比べたら小さなものだがそれが大障害になってしまうのだ。

                人の気持ち言い分などは大して重いものじゃ無いのだが大げさに考えてしまう、認識し過ぎてしまう。

                 

                パソコンがどうも調子が出ない、溝が埋まらない、この辺で中止にする。

                もうこの程度を書くのに30分も要した、出かけた方がいい。

                | 自然・安堵 | 09:43 | - | - | - | - |
                自然界には台風が有るが政治には無い無風状態
                0

                  台風が通過したのは夜中の3時ごろであろうか猛烈な風雨であった。

                  目が覚めて外を見たら近くの公園の大木が大揺れしていた。

                  滅多に強風など来ないから木々たちも戸惑っていたのではと思う。

                   

                  当然木々に巣を作っている野鳥たちはどんな風に避難したのだろうか。

                  我々のように避難場所を確保してそこに野鳥たちが集合して過ごしたのか、有り得ないとすればどうするのか。

                  そう言えば野鳥の声が聞こえてこない、まさか全部被害に有ったのか、これも有り得ない。

                   

                  自然界は自分たちで台風対策をしていたのだろう。

                  先ずは台風一過の晴天を望みたいがまだ空は雲が垂れこめている。

                  午後に期待したい。

                   

                  安泰の選挙結果であったと、大方の人は安堵したことだろう。

                  国民はそれほど現在の生活面に苦渋している感じは無いのだ。

                  先ずは国も安定しているし自分も多少の不満はあっても支障はない。

                   

                  そんな雰囲気の日本で新しい事への希望などそれ程の魅力は無かった。

                  何々を希望する、これは国民の意見で有り願望だ。

                  国民の希望を把握して一緒に事をしましょう、と言う振れ込みならば国民も投票したろうが一団体の希望に国民はついていけなかったのが本音ではなかったか。

                   

                  結果は予測通り今後も意外性のない政治が行われるだろう。

                  株高も順調だし経済成長も上向きだし貿易収支も黒字だし兎も角安定しているのが日本の現状だ。

                  このままオリンピックまで順調に進めば海外の人を迎え入れるに十分な体制が出来るだろう。

                   

                  今後大型選挙も無いことだから落ち着いた経済活動を行なえばいいと思う。

                  人間は大変な努力をしなければ生きていけない種類の動物だ。

                  野鳥たちは餌を求めるだけ時に子孫を残す行為はするが瞬間的な時間しかない。

                   

                  パンダだって他の動物だって同じようなものだ。

                  しかし人間は違うのだ。

                  何かを作り考え何かの行動で何等かの成果を出さねばならない事を要求されるのだ。

                   

                  何もしなければ喰う事さえ出来なくなってしまう。

                  実に厳しい生き方を強いられている。

                  常に努力の連続で有る。

                   

                  そんな中で安定と言う言葉がどれほど貴重かを知っている。

                  動乱の中東の様には決して欲していない。

                  どんなに希望的な話を聞いても実現するかどうかを疑うのが普通の考えだ。

                   

                  混乱を選ばない理由は疑いを無くす術である。

                  安寧の日々が訪れ静寂さが続くのが一番いいことだ。

                  江戸時代が長く続いたのも安定の日々だったからこそであろう。

                  | 自然・安堵 | 09:17 | - | - | - | - |
                  安堵を求めること、大昔からの課題が未だに未達。
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                    青空が覗く程度の空模様、逆になれば晴天になります。

                    この先どちらが勝つのでしょうか、予報では雲の勝利です。

                    しかし、毎日の天気予報を知らせる側も大変なご苦労があるのでしょう。

                     

                    あてにされている天気予報ですから、外れれば非難ゴウゴウ、当たれば平然とした反応、やってる方はやりきれないところかも。

                    最近はプロ野球に興味を無くしてしまっていますので、ナイターの天気など気にしてませんが、好きだった当時は予報を必ず調べたもんです。

                    小雨なら試合がある、行こうかと。

                     

                    予測、中々難しいもの。

                    未だに巨大地震の予測は分からない、後何年後に来るのか、分かるようになんとか研究して欲しいものです。

                    必ず来る、これは分かっているのですから、いつ、どこに、どれほどの大きさのものが、日にちまで分かっていたら随分と安心出来ます。

                     

                    人の世、そうした安心に包まれていたいものです。

                    しかし、現実は逆で不安の中で生きています、行動しています。

                    上から鉄パイプが落ちて来る、そんな危険なことも現実なんです。

                     

                    車両の脱線事故、夏ごろでしたかここの私鉄で起きました、上り線で脱線、下り線の電車が寸前で止まってました。

                    もし、下り電車が特急でスピードを出していたら、衝突、大惨事になったことを考えたら電車も危険そのもの。

                    最近の自転車は電動式でスピードが出ます、上り坂だけでなく平坦な道でも使います、その結果自転車じゃなくバイクと言えます。

                     

                    それにぶつけられたら、人は吹っ飛んでしまい、大けがをします。

                    自転車も危険な乗り物です。

                    スマホも火災を起こす、1社のみの問題では無いと思います、同じ構造の電池をどの機種も使っているのですから。

                     

                    今までに事故が無かっただけかも知れません、今後も危険が皆無と言えないでしょう。

                    何事を取り上げても、安心のところから離れてしまって、心配の連続です。

                    宝くじ、5億円の宣伝を見て買いたくなると思う反面、当たらないの気分が先行します。

                     

                    お金、いつでも不安です、いくら持てば安心するのでしょうか。

                    5億円もあれば安心するから、その金額を提示しているのでしょうか。

                    安心・安寧の世界が人の世に有るのかどうか、「無い」と言い切ってしまえば諦めもつきますが、「有る」と信じてしまっているこが不安の発生原因なのかも。

                     

                    しかし考え次第とも思えます。

                    無我の境地に達すれば、不安が解消されると、簡単にそこに行きつけばいいですが、これも人として到達することの難しさ。

                    なんたることか、人の生き方は不安を作るためなのか、安心を手放すことなのか、大昔から、モーゼ等が現れて四民を助けるが安心の世界は出来なかった。

                     

                    結論は「無い」にすべきか、しかし安堵したい気持ちは待ちたい。

                    | 自然・安堵 | 09:01 | comments(0) | - | - | - |
                    温もりの中に安心が宿る、不安は消える。
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                      冷えて来た、そんな言葉を使いたくなるような陽気になって来ました。

                      急すぎる変化に戸惑いを感じています。

                      素足で床(フローリング)を歩いていますが、今朝は若干ひんやりとしました。

                       

                      スリッパ嫌いなので、これから靴下が必要になります。

                      だんだんと気温が下がって来る時期はどうしても暖かさを欲します。

                      まだ水道の水が冷たいと言う所まで行きませんが、そこに到達すると冬か、と気分が違ってきます。

                       

                      温もりを欲しがる、これは何も寒いからだけではなく、心に不安など有ったときに、寂しさが襲ってきたときに、貧しさに耐えているときに、等々場面がいっぱいあります。

                      この温もりは母親の中で育てられたものでしょうか。

                       

                      赤ちゃんは母に抱かれて、その温もりを感じ、安心してすやすやと眠りにつけます。

                      それがずーっとどこかに残っているんでしょう、永遠に。

                      母親とは自分(誰でも)にとってかけがえのない存在です。

                       

                      動物の世界だって、そうしたもんです。

                      生き物は温もりが唯一の安堵のゆりかごかもしれません。

                      日本では握手をする機会は少ないですが、外国は握手や抱擁を挨拶に使います。

                       

                      これは相手の温もりを感じ、自分の温もりも相手に伝え、お互いに安心するものだと、そんな気がします。

                      ですから、出来るだけ握手をするように心がけています。

                      会ったとき、分かれたとき、握手をして安堵の気持ちを共有したいのです。

                       

                      肌に有る温度、体温はとても優しいものです、熱くもなく、冷たくもなく、実に快いものです。

                      親しい人とは抱擁することもしています。

                      こうなると、安心がぐっと増します。

                       

                      お互いに受け入れる方向に、話もお互いに理解する方向に、嫌悪感など無くなります。

                      生まれたときから、温もりを求めている訳ですから、日本人も大いに握手や抱擁をした方がいいのじゃないかと思うのです。

                      どうも日本人は気取った雰囲気を持ち過ぎですかね。

                       

                      いいじゃないですか、人目(他人の目)など気にしないで、お互いに温もりましょうよ。

                      いい関係が出来ます。

                      大人になると、母親と手をつなぐこともしなくなります。

                       

                      ここに寂しさが生まれて来ます、寂しいさを消すのも、不安を消すのも、母親の温もりです。

                      | 自然・安堵 | 09:53 | comments(0) | - | - | - |