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自然の豊かさを心の泉に

地球上の大自然は素晴らしい。その豊かさに抱かれて。
いつも何かを待つ、追いかけている。
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    長いこと待っていた春が目の前に現れた気がする今日この頃です。
    朝方はまだ冷え込みを感じますが、洋服は厚手から若干薄着でも行けるようになり、何とはなしに体が軽くなってきました。
    一番の違いは気分です、寒さに耐える気分は相当な圧力(重圧)感を受けています。

    開放された、壁が取り除かれた、障害物を乗り越えた、いろんな表現ができます。
    人はそうした辛いものを背負って生きているんですね。
    何故に重圧に抵抗しているのか、即ち、生きるとはそうした重圧を押しのけるということなんでしょう。

    喜びや幸福感などは刹那であって、ほとんどが辛さの中に生きている気がします。
    ですから、いつでもいいことが有れば、来ればと待ち望んでいます。
    或いは、ああなればいい、ああしたい、と何かを追い求めています。

    それが人生の中身かもしれません。
    金持ちになりたい、偉くなりたい、何々になりたい、そう言う希望、夢を追いかけて日々を過ごし、年を取ります。
    年齢が加算されても、その追いかけるものが皆無になりません。

    人はこれほど欲望の虜(とりこ)になっているとは実に嘆かわしい気がします。
    これが煩悩(ぼんのう)というものなんでしょうが、仮にこの煩悩が無くなれば、「待つ」の行為が無くなるんでしょうか。
    その境地はまだ経験していませんから、一度仏門に入ることもいいかも知れません。

    待つ、これだけで疲れることも有ります、「待ちくたびれた」の言葉があるくらいですから。
    待ち合わせ、待ち人来たらず、寒風の中で待つ辛さ、待つというものは比較的困苦です。
    待つから苦しいのかも知れません。

    しかし待つこと久しで、永遠に待つの行為を続けるんですね。
    そうして生涯を「待つ」の一言に征服されます。
    いやはや、「人」と「待つ」の関係がこれほど強固だとは気づきませんでした。

    古い時代から、人類が発生してから、この「待つ」が人の「性(さが)」になってしまったんでしょうかね。
    今も何かを待つ、昼頃友人を待つ、昼はんを伴に過ごす計画を待つ、まさに待つの連続です。
    そして待つが過去へとどんどん去っていくのです。

    待つが今度は歴史に代わって、結果がちゃんと記憶されてます。
    そんなことをふっと頭に浮かびました。
    待つの言葉がもう少しロマンチックな言葉に変えたいですがね、明るい未来への夢ですから・・・。
     
    | 自然・未来 | 09:25 | comments(0) | - | - | - |
    現代社会(経済優先)が変わる(崩壊)ときが必ず来る、未来の姿とは。
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      暖冬、これが予報だったんでしょうか、実に変な感じです。
      昨日バンクーバーの友人から電話を貰って、やはりあちらも暖かく、雪はないそうです。
      NY(ニューヨーク)では21度とかで、驚いているそうです。
       
      市場も暖冬で冬物が売れず景気の盛り上がりが無いと、良い事のか、悪い事のか、家計的には暖冬の方が経費が少なくて助かります。
      今は原油が安いためか、灯油が非常に安くて、助かっていると聞きます。
      ガスストーブを使っているので実感は有りませんが、多分ガス代も安くなっているんじゃないかと。
       
      しかし使う機会が少ないからか、そこが一番の経費節約です。
      ともかく原油がどこまでこの状態が続くのか、そろそろ中東地区の産油国では困りはじめたとか、財政の赤字が続けば借金しなければならない、しかし国債を発行しても海外から買い手が出ないと、お金が入って来ません。
       
      投資家だって、むやみに国債を買わないでしょうし、この先混乱が出ないといいですがね。
      中国経済の減退がこうした原油価格まで影響するとは、如何に世界が中国に頼っていたか、今更ながら分かって来ました。
      そうなると、次の中国(ポスト チャイナ)が出ないと、世界は闇の中に入ってしまうのでしょうか。

      経済発展とは比較的パイの小さなところで動いている、ですから直ぐに満タンになって、後退につながってしまうのですかね。
      今後はインド、そしてアフリカでしょうか、そして世界中が満タンになったら、経済と言う社会が終わるのでしょう。
      その前に、次の社会が現れるかも知れません。

      ​モーゼが、キリストが、孔子が、孟子が、ブッタが、いろいろな人がこの世を変えようとしました。
      ​しかしその後2000年もの間、それほどの変化もなく、人の社会が営まれて来ました。
      試行錯誤しながら、最もいい状態の生活スタイルを求めて、しかしどこの世(歴史)もこれと言って最高峰は有りませんでした。

      ​そして今でも最高峰を模索しながら日々を送っています。
      現代的社会システム(経済優先)では最高峰が得られない、そのことをだんだん知ることになるんでしょう。
      そう考えると、次の社会が魅力的に見えてくるような夢をみます。

      経済と言う魔物、狂人、悪魔等々は人を際限なく酷使します。
      思考の限界を求めます、そして限界を超えると、正悪の判断がつかなくなり、思わぬ落とし穴に落ちてしまいます。
      落とし穴、それが経済と言う魔物です、経済の根底は利益ですから、不正な会計をしたり、粉飾したり、脱税したり、偽装したり、ともかく経済の中でもがき苦しみます。

      ​今年はその現象が見事に露呈しました。
      ​悪魔に取りつかれ、狂人になり、非常識を常識にすり替えることをしても気づかないのです。
      ​そうした現象の歴史は膨大です、ドラマになるのはそうした気づかない異常な極限を題材にしているのが多いです。
       
      不正会計をした内容を克明に調査し、フィクションのドラマを作れば、高視聴率間違いなしです。
      人は気づいているのに、そこに触れない、触れたくない、しかしドラマならば安心と感じます。
       
      偽装も知っていても、世間に知らせない、それは異常なんですが、異常と感じ無いようとしているのです。
      どこでも異常さを感じない様に避けているのです。
      それは一般人だけではありません、世界中で、どんな人も、その異常さを感じているのに、避けているのです。
       
      遠ざけていると言った方がいいのかどうか。
      温暖化の意識だって、誰でも肌身に感じているんです、しかしその異常さに触れないで、車を乗り回しているのです。
      この世が終末になるのは、その異常さが極度に上昇した時でしょうね。
       
      もうそろそろと思うのですが、気づくことができるかどうか、いや気づいても知らんぷりでしょう。
      しらんぷりがどこまで長持ちできるかどうか(耐えられるか)、次世代の人々があざけ笑う日が未来とは情けない現代です。
       
      戦国時代を我々が可笑しな時代だったと見ているように。
      | 自然・未来 | 09:30 | comments(0) | - | - | - |
      行先、想像する旨い下手が有りましょうか。
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        落ち着きを取り戻した感が有ります、ここ数日の天気。
        乱調だったリズム、どうもなじめませんでした。

        風は北に変わったようで、いくぶん涼しさが混じって来ました。
        しかし湿度が高く、エアコンは必要ですね。

        この地区でも熱中症でしょうか、老人が家の中で亡くなったと言うニュースに驚きを感じています。
        エアコンへの欲求はいよいよ高まり、無ければ過ごせないほどになりました。

        もし、エアコンが発明されていなかったら、今頃どんな生活になっていたんでしょうかね。
        こんなに暑くなるとは予想できたでしょうか。

        今の札幌程度が都心の昔の気温だったような気がします。
        最高気温30度程度だったでしょう、普通は27度ぐらいか、その程度であれば扇風機でも大丈夫だったような、その前はうちわだけでしたからね。

        夕方の打ち水がなんとも涼しさを呼んだもんです、しかし今水を撒いたらムッとして来ます、一瞬に水蒸気になるからです。
        蒸気加熱されたような、蒸し焼きでしょうか。

        この気候を想定・想像した人はどのくらいいたでしょう。
        先のこと、行先については中々想像できないし、又しても出来ないものです。

        行先に心配をする方も中にはおるでしょうが、心配をしても解決にならない、これが普通ですかね。
        ですから、行先についてあまり考えていません。

        楽観的と言えるかも知れませんが、見えない未来をいくら考えても出てこない、ですから考えないとなります。
        大石内蔵助もそうしたようです、行先がどうなるか、実際にその場に立って次を考えると言ってます。

        しかし未来を予想して、見通して、事を運ぶ評論的なことは結構面白いものです。
        これからの株の相場は、などと言う記事が多く見かけます。

        現在の根拠から発展させて、こうなるだろうと、しかし未来は不確かなものですから、違ったとしても誰も咎(とが)めたりしません。
        そうでしょう、未来が分かったらこの世の人では無いでしょうから。
        宇宙人になってしまいます。

        未来はそうした見にくいもの、見えないもの、分からないもの、それで良いと、そう思っています。
        内蔵助の生き様が好きです。(おれの足音・池波正太郎)
        | 自然・未来 | 09:03 | comments(0) | - | - | - |
        目指すもの、長期的な考えが無いですね。
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          ここまで気温が上がれば家の中は素足で歩いています。
          どうもスリッパと言うものは身体によくないそうです。
          理由は分かりませんが、素足が一番いいそうです。

          確かに、足の裏は物凄く敏感です、小さなものが有れば必ず感じます。
          水が落ちていれば冷たさで感じます。
          油などは滑りますし、汚れのところはべたつきます。
          スリッパはこの全てを感じませんから、足の裏の神経を使わないことになり、この辺が頭脳刺激を失くしていることが問題かも知れません。

          ともかく、この時期になれば素足で刺激いっぱいになります。
          キンキンも亡くなったそうですね。
          80歳、やはり寿命でしょうかね。
          3月に兄が亡くなりなしたが、82歳でしたから、この辺が寿命と見ることができそうです。

          キンキンは最後まで仕事に係わったようですが、人は何を目指すのでしょうかね。
          この辺で余生を送ろうなどと言う話は現代では無いのでしょう。
          江戸時代ならば、跡継ぎに譲って自分は隠居生活に入る、そんな悠長な考えが有ったようですが、現代は死ぬまで何かを追い求めているような感じを持ちます。

          目指すものは何か、どうも無いのではと思います。
          会社の一員として定年まで働き、そこに何を目指していたか、定年後考えても浮かんできません。
          毎日の仕事に必死さだけで、目指す取締役など、社長など、最初っから持ちません。
          せいぜい部長程度になれれば、そんな程度でしょう。

          そんなものは目指すものでも無いし、それほど重要な問題ではないです。
          しかしそんな小さなものしか見えないのが現場に働く者です。
          では大きな目指すものは、と言われても、無いですね。
          結局日々の中にある現象を見ながら年を追っています。

          この現代に生まれて生涯を過ごすのに、目指すものが無ければいけないか、と言えば、特になくてもいいのです。
          じゃ、こんな言葉はいらない、となりますが、小学生から塾通い、ずーっと自分の私生活を犠牲にして勉強、そこには目指すものはなんでしょうか、東大でしょうかね。
          無事着地したのち、またまた高い目指すものを得るために勉強が続きます。

          確かに生涯勉強と言いますが、極度にがり勉などしなくてもいいと思うのです。
          ま、そんな訳で、目指すものなどに拘ることもないかと、気分を楽にして暮らしています。
          | 自然・未来 | 09:50 | comments(0) | - | - | - |
          何を待っているのでしょうかね、日々の暮らしの中で。
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            再び天候が崩れて来ました。
            しばらくは太陽が見えないかも知れません。
            春の日差しは柔らかくて肌に刺激が無いように感じます。
            いっぱいその日差しを受けたいのに雲に邪魔されています。
            残念です。

            こうして季節を追いかけて日々を過ごしています。
            毎日が刺激的で、興奮状態で、うっぷんも持ち、いろんな気分で過ごしています。
            で、その先に何を求めているんでしょうかね。
            短期的にはどこかに旅をしようとか、あの仕事を完成させようとか、誰それさんと会話や酒を酌み交わすことを予定しているとか、しかし遠い将来の思いはどれほど持っているか、そんなことをふと思いました。

            いったい何を待っているか、はっきりとしたものが無いです。
            死を待っている、これは無いでしょう、誰でも死にたくないの気持ちが大きいはずです。
            とすれば、生きている間に何を自分のものにしたいのか、お金でしょうか、友人でしょうか、恋人でしょうか、財産を残すことでしょうか、何にしてもどうもあやふやな感じがします。

            都度方向が変わったり、世の中に流されたり、そう言えば、先日東京駅八重洲口の商店街でトップコーンを売っていた店に長蛇の列が、なんだろうかと、友人と話しました。
            日本人は流されて生きているんだね、と。
            そうかも知れません、何かの情報が有ると、即長蛇の列が出来ます。

            求めているのはそうした短期的な、衝動的な、流行的なものしかないんでしょうかね。
            実に勿体ないことですが、時間を有効に使うことなど全く思考にないです。
            若い時は仕事で時間が無かった、と言う理由が立ちますが、こうして老後を自由な時間の中で過ごしているに、何もしない(長期間のやりたいこと)のは本当に勿体ないのでしょうね。

            考えを変えねばと思いますが、惰性に流されてしまって、変更が効きません。
            性格によるものかどうか、ともかく恐ろしいほど無駄な時間を過ごしています。
            何かをしたいのに、しないのです。
            人とはそうしたもんでしょうか。

            この辺で何か長期的な計画を持ちたいものです。
            定年後8年ほど自分の会社を創設して会社経営をしましたが、今ではそれも終わりにしていますので、これから何を、を考えねばと、そんな気分になっています。
            さてっと、考えがまとまるまで時間がかかりそうです。
            | 自然・未来 | 09:38 | comments(0) | - | - | - |
            次のこと、大事です。
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              今日も朝方雨でしたが、この時間は暖かい日和になって来ました。
              「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」と言うところでしょうか。
              そう言えば小さな梅の花を見かけます。
              花の中で梅の花は春を待たずに早々と開きます。

              さくらのような派手さが無く、梅前線なども有りません。
              静かにじわじわっと北上しているのでしょう。
              梅園を見学するのもいいですが、庭の小さな梅の木の一輪もいいものです。

              最近気がなりな事っていっぱい有りますが、その中でも「次の人に」、このことを忘れている人が結構多いと言う事です。
              喫茶店でもいいですが、自分でテーブルを汚したとした場合、そのままでは当然次の人が困ります。
              どうすればいいか、分かっているのに何もしないで立ち去る行為はどういうものかと疑問になります。

              しかしこうした行為は目に余るほど多いです。
              自転車の不法な置き方、そこ(次に)を通る人に迷惑になることは当然のことです。
              不法な駐輪が無くなりません、たまたま予告の撤去日時が有る場合は不思議と道路に置き去りは無いんです。

              自分本位にものごとを考える現代人、この調子で進めば、もう未来はめちゃめちゃになるでしょう。
              未来とは「次に」の連続です。
              今の次は未来です。
              過去の人びとが有って、我々が存在し、次に未来が必ずある訳です。

              自分だけの時代でこの世は終焉するわけでは有りません。
              この「次に」を大事にしたいものです。
              大事にすれば、未来人もきっと大事にし、その未来人へとつながると思います。

              しかし現代のような「次に」では混迷の次になってしまって、美しい未来は無いような気がしてなりません。
              混迷の世界、しかし必ず次が来るのです。
              今、整理整頓していなければ、いつ混迷を解決するのでしょうか。
              次に残すものは整然とした社会です。
              混迷の社会は未来人が要求していないでしょう。
              | 自然・未来 | 09:58 | comments(0) | - | - | - |
              便利さの物語、未来はどんな話に。
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                冷たい風、寒さを感じさせます。
                そんな気候になって来ました。
                長袖を着る時節になったんですね。
                蝉の声がしている時にはこんな状態を想像出来ませんでしたが、秋の虫が騒がしくなると自然にこうした変化が起きます。

                自然の中で、四季を感じながら過ごすことが日本のいいところかも知れません。
                これから紅葉が始まれば一段と寒さを感じます。
                そして暖房が欲しくなります。
                夏の暑さなど思い起こすことが無く、寒い寒いの連発です。

                便利さはこうした季節感を失くすことも有ります。
                部屋の中はエアコンで一年中一定の温度、湿度管理が出来ます。
                四季を忘れさせる環境を作り出せます。
                しかし便利さはいったい人にとってどんな物語を作っているのでしょう。

                高速の電車や自動車道路は早くて便利です。
                しかし便利さに隠された(失った)ものがたくさん有るような気がします。
                新幹線に乗れば途中の街を知ること無く目的地に着きます。
                高速道路もそうしたものです。

                途中の街、昔はどこどこの駅弁、例えば釜飯とか牛飯とか、その地域(街)でならではのものが有りました。
                今ではその釜飯を駅で買うのではなくデパートのも催事で見かけるのです。
                これも便利でありますが、しかし街を感じません。
                感受性と言うものがどんどん便利と言う魔物に食われてしまって、無感動人になって来てしまっている気がします。

                昔は電話もそうです、リリリリーとベルの音がすると飛んで行って受話器を取ったものです。
                凄く緊張して感情が昂ぶって何を話したのか終わった時に忘れているくらいでした。
                手紙もそうです、郵便受けに来ているかどうかよく見に行ったものです。
                そして来ていた、そんな時に早く中を読みたいその気持ちがなんとも言えないほど嬉しかったのです。

                しかし現代はメールと言う便利なものが有りますから、いつでもどんな場所からも都度連絡が取れます。
                メールの内容にそれほどの感情も持ちません。
                凄く嬉しかった、そんな感情を出せるようなものが少なくなりました。

                便利さ、それをどう評価するかは未来人のすることでしょう。
                便利さを追求する現代の姿、どう見ても背伸びしすぎではないかとそんな気がしてなりません。
                しかし現役時代はそうした競争の中にいましたから、便利さをとことん追求していました。
                ですが、こうして現役を離れて客観的に見れば、今の状態が異常さを感じるものです。

                昔は良かった、懐古趣味では有りませんがそうした感想を持ち始めています。
                この世の流れに逆行することもいいんじゃないかって、そう思う時も有ります。
                いろんなものが混じり合ってもいいかな、そんな気分です。
                | 自然・未来 | 08:39 | comments(0) | - | - | - |
                突然2100年を思う。
                0
                  今朝は気分最高の天気になりました。
                  北半球の中で、ここ日本は素晴らしい気候に恵めれているような気がします。
                  他の国でこんなにいい気候は有るのでしょうか、幸せ感に浸ります。

                  さて、唐突に2100年が浮かび上がって来ました。
                  何故かは分かりませんが、数字が出て来ました。
                  そして、その2100年はどんな状況になっているんだろうかとも考えました。

                  その前に、今日生まれた人でも、2100年まで生きる人は少ないでしょうね。
                  今年は2014年ですから、86歳になっています。
                  或いは、その時代は100歳が普通になっていて、一世紀以上生きることが出来ることになっているかも知れません。
                  未来は全く想像の範囲を超えています。

                  しかし、2100年は必ず来ます。
                  その時のために現代人は鋭意努力して、国を豊かにし、世界を平和にしています。
                  と言いたいところですが、果たして人の行動とはそうした謙虚なものでしょうか。

                  私利私欲にかられた日々を過ごしている、これが現実でしょう。
                  未来の2100年のことなどへ考えが及ばないものです。
                  実際に自分が死を迎えることを想像して、葬儀代を、或いは墓の資金をと、いろんなことを考えています。
                  その以前に動けなくなったら、どうしよう、お金を貯めなければと、老人ホームに入るにはとか、ともかく老人になればなるほど、私利私欲の方向に走ります。

                  でも、その後が必ず有ります、即ち自分の時代以降の未来が有るのです。
                  そんな訳で、これから2100年の未来はどんな姿なのか、想像してタイムカプセルに入れて保存したいものです。
                  面白いですね。
                  松陰はその当時(1870年ごろ)日本がどうすべきかを、その為には世界と言うことを知らなければならないと、そう思っていたそうです。

                  自身欧米に渡り、見聞したいと思っていたそうです。
                  鎖国の時代に、禁制を破っても、意志を貫きたいと、しかし結局は失敗に終わりました。
                  今の時代から、未来はどんなものか、どこを見聞すればいいのでしょうか。
                  難しいことになりました。

                  でも、2100年を想像することが楽しくなって来ました。
                  | 自然・未来 | 08:43 | comments(0) | - | - | - |
                  次に何をするのか、大仕事の後に思う。
                  0
                    五月晴れ、いい天気でここ毎日が嬉しい限りです。
                    梅雨の前のひと時、大いに楽しみたい気分です。
                    気分はもうここには居ません、どこかの空の下に行ってます。

                    日々の中で、大仕事をする時が有ります。
                    そんなときはとても気分もいいし、達成感も有ります。
                    充実した結果、満足の出来ることが何よりです。
                    しかし、次に何をなすべきか、空白のひと時も生まれます。

                    継続的に充実していることは中々難しいのです。
                    行ったり来たりなんでしょうか、密度の濃淡が有るようです。
                    それがいいのかも知れません。

                    濃淡はいろんな場面で有ります。
                    自然だって、天気が晴天も有れば、嵐も有ります。
                    その中で、人は生きているわけですから、変化に富んだ生き方が普通なんでしょうかね。

                    怒りもするし、笑いもする、この現象が常に持ち合わせているのです。
                    瞬時に変わることも度々です。
                    人の気持ちほど自由で千変万化は無いかも知れません。

                    次に何をするか、それが有ることが楽しいことなのでしょう。
                    大仕事、次も大仕事、って頑張ってみても、それが成功することが続くかどうか。
                    どうにも、この世は自分の気持ち通りにならないのが普通です。

                    さて、今日は気分転換して、軽い感じの方にしたいと思っています。
                    軽重も意識的にすることがいいのかも知れません。
                    | 自然・未来 | 08:24 | comments(0) | - | - | - |
                    世間を騒がす、好いことも悪いことも、悪いことが多いかも知れません。
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                      いい気候です、恵まれた天気が一番のご馳走です。
                      旨いものもご馳走ですが、天候に左右されやすい人の感情はいい天気に憧(あこが)れます。
                      ですから、今日などはとっても気分がいいです。
                      健康な人も、悩みを持つ人も、今日の天気で一層の鋭気を持てるでしょう。
                      続いて欲しいものです。

                      台風の来襲に人は驚き、恐怖を感じますが、世間を騒がすものも、物騒(ぶっそう)なものです。
                      一人の科学者に翻弄されている、揺れ動いている、騒がしい、この数か月、そしてこの先も続くであろう不確実な話。
                      もう相手にしない方がいいのではないかと思います。
                      事実ならば、その内に確証が得られるでしょう、事実に反していれば、暴(あば)かれるでしょう。

                      騒ぐ必要の無いことです。
                      そうっとして、時間の経過を見ていればいいのです。
                      冬だって、いつかはこうして春が来ます。
                      発見も又事実かどうか、必ず判明します。

                      今、即刻解明しなくてもいいのではないかと、そう思うのです。
                      実際に、現実は不明な点、まだ未知のことに大きな話題を持ちたがります。
                      「はっきりしてよね、はっきりしてよね」って、百恵ちゃんの歌に有りますが、そんなに要求したって、まだ不明で有れば、はっきりしようが無いです。

                      そして、結局悪ものに仕立て上げる、これが世間です。
                      又、騒がせる方も悪の意識が存在していることも多々有ります。
                      往々にして、悪を抱いて世間を喧騒に巻き込む、そのようなシナリオを作りたがります。
                      漫才ならば許せますが、実社会では決して正常な行為とは言えません。

                      事実のみがこの世なのです。
                      架空は存在しないのです。
                      夢も存在しません、夢見るのは夜だけでいいです。
                      夢を現実に結び付ける、このことが今の世を混乱と騒がしさを生んでいます。
                       
                      | 自然・未来 | 09:07 | comments(0) | - | - | - |